金糞岳をあきらめての帰り道、このまま帰るのでは気持ちが収まらず、途中にある賤が岳に寄ります。
と言っても、気持ちは萎えてて登りはリフトを使ってしまいます。若干意地を張り、下りはのんびり歩きました。
リフトを降りると琵琶湖が広がり、少し離れたところに余呉湖が見えます。
余呉湖を起点にして歩き回るのもよさそうです。
頂上の説明板に、賤が岳の戦いの概要が記されています。
賤が岳の戦いというのはこの山に限定した戦いのことを言うのだと思っていましたが、戦域は湖北全体に広がる戦いだったようです。
現在、樹木に覆われている山々は当時はススキと笹の草原だったそうで、この賤が岳からは各戦線の動きが眺望できたのかもしれません。
戦いの経緯を読むと、賤が岳の戦いで、戦況に応じて岐阜から駆けつけた秀吉の動きの素早さが際立っていたようです。
本能寺の変のときの中国地方から引き返した時の速さといい、秀吉の決断力の速さと行動に移す機敏さが秀吉を信長の後継者としたと言うことなのではないでしょうか。
世の中の流れを読み取ろうとする感覚を持ち続けること、判断の材料となる情報収集の手段を常に講じていたこと、集めた情報を分析できるブレーンを身近に置くなど・・・
自分が天下を握るという強固な意志を持ち、そのためのシナリオが描けるというか、肝心なところを見逃さないという感じですか。
また柴田勝家の陣営の前田利家、金森長近は勝家の使者として秀吉との交渉にあたり、後に秀吉側に就くことになったと言う話があります。
人を信頼させる人柄であったということもあるのかもしれません。
なんとなく武将としての素質に秀でるというよりは、現代人に通ずる、合理的な思考方法で人より先んずることで世の中を席巻していったという感じがするのです。
・・・・と、まあこれは今まで読んだ小説や漫画に出てくる秀吉像にに影響されすぎているかもしれません。
降りてきた所に伊香具神社があります。
人の気配はなく、4~500年の樹齢を重ねた杉と神社がなにかの気を感じさせる気がします。
小浜の姫神社でも感じたぞくぞくするような感じです。
って自分は決して霊能力者ではないので・・・雰囲気に染まりやすいというだけの事なのだと思いますが・・・
寄生している藤が想定樹齢200年だそうです。
お気に入りのスポットとして記憶して、一路敦賀に帰ることにしました。