薬師寺

8月23日月曜日は病院で胆石の溜まりまくった胆嚢摘出手術の相談に行きます。
来年の4月か5月かなと考えていました。

奥さんも話を聞きたいので敦賀にくるとのこと。

薬師寺世界遺産石碑
薬師寺世界遺産石碑

ついでに自分が室生寺に行ったことを聞いて室生寺に行きたいと。ともかく、前日の日曜日に京都で落ち合うことに・・・

先々週行ったばかりで、自分の中ではちょっと室生寺が飽和している感じ・・・結局、この間行けなかった薬師寺唐招提寺で勘弁してもらいます。

薬師寺玄奘三蔵院伽藍
薬師寺玄奘三蔵院伽藍

どうせ行くなら、平城京跡の遷都祭のメイン会場も覗いてみたいなと京都の近鉄の切符売り場で訊くと、電車、バス乗り放題で一日1300円というチケットがあり、購入します。

まず、近鉄西の京駅まで行って薬師寺を目指します。室生寺が40年ぶりなら、薬師寺は中学の修学旅行の時以来ですから47年以上振りに来たことになります。

薬師寺東塔
薬師寺東塔

修学旅行の時の記憶にあるのは東塔と、若かりし高田好胤師(だったと思うのですが・・・)の軽妙な説明です。

当時、その姿のなかった西塔は、その礎石の窪み(?)に溜まった水に映る水煙が美しいという話がありました。そう言えば、「凍れる・・・?」とかいう言葉があったなと・・・

薬師寺東塔
薬師寺東塔

調べてみると、アーネスト・フェロノサが薬師寺を訪れた時に東塔を表現して、「凍れる音楽」と評したということで、水煙を評しているのかと思いましたが、建築物としての東塔のことを述べた言葉の様です。

ただし、Wikipediaによると、ゴシック建築をイメージした「建築は凍れる音楽である」というドイツ語表現はあるが、フェロノサがその言葉を薬師寺で口にしたという事実は否定的な説が有力なようです。

大講堂
大講堂

アーネスト・フェロノサは明治時代にアメリカから招かれた東洋美術史学、哲学者で東京大学で教鞭をとり、その弟子である、岡倉天心とともに東京芸術大学を設立。

日本の仏教、美術に深く傾倒し、日本美術の紹介、仏教美術の調査をし、「国宝」の概念もフェロノサにより導入されたのだそうです。

また三井寺円城寺で仏門にも帰依しており、お墓も三井寺の塔頭にあるとのこと、今度訪れた時にお参りしたいと思います。

薬師寺は680年天武天皇が、後の持統天皇となる皇后の病気平癒祈願のために開基された法相宗のお寺で、平安遷都に伴い718年に現在地に移設されたのだそうです。

大唐聖域壁画下図
大唐聖域壁画下図<平山郁夫美術館

法相宗は玄奘三蔵法師の弟子の慈恩大師が開創したもので、唐に渡った留学僧達により日本に伝えられ、興福寺、薬師寺が開基された。また留学僧道昭の弟子行基により大衆に広められた。(薬師寺ホームページとWikipedia)

西の京駅を降りると薬師寺近道と表示があり、玄奘三蔵伽藍に導かれます。

玄奘三蔵院の奥にある大唐西域壁画殿は全面に平山郁夫の壮大な絵が描かれていました。正面のエベレストの絵が迫力ありました。奥深い、高山の「静けさ」が、シーンという音で聞こえてくるような・・・って良く判らないか・・・

玄奘三蔵院から、東塔、西塔のある白鳳伽藍に向かいます。帽子を忘れた頭に容赦なくきつい陽射しが照りつけます。

白鳳伽藍に入り、順路に従いまず東院堂に向かいます。東院堂には聖観世音菩薩がおられます。

聖観世音菩薩
聖観世音菩薩 薬師寺ホームページ

ほとんどの建物が近年に再建されている薬師寺の中にあって、東塔と鎌倉時代に再建された東院堂が古い建築物になり双方とも国宝に指定されています。

中門から白鳳伽藍に入り直すと、金堂が目の前にそびえています。

金堂
金堂

回廊を右に折れて東塔に向かいます。

回廊の壁に説明があり、東塔の芯柱が菌、あるいは白蟻のために空洞化して応急処置していること、今年の11月から約10年かけて東塔の解体修理が始まるという記述がありました。

金堂と西塔、本堂は再建された建物で朱色が鮮やかです。

今も続けられている軽妙な金堂の説明で、窓の部分が緑色に近い青色に塗られており、建物が赤で塗られている。赤い色は、いわゆる朱色、赤色ではなく丹(に)である。

奈良の枕言葉の「青丹(あおに)よし」はこの色の組み合わせから来ている・・・とのことでした。

西塔、金堂等の建築物の再建は薬師寺の悲願で、これを実現したのが、高田好胤師の進められた写経による寄進を募ったことにあったのだそうです。

薬師寺西塔、金堂
薬師寺西塔、金堂

色鮮やかな建物の彩色に非難があるようですが、自分はオリジナルの彩色の再現をすることが自然な姿だと思います。

まあ、再建しないというのも一つの選択肢だとは思いますが・・・東院堂の様に鎌倉期に再建されたもので、現在は国宝として認められていることを考えると、やはり当時の姿を復元できるのであれば実行して行くべきではないでしょうか。

この薬師寺、唐招提寺をお参りした後に、平城京跡に行きますが、発掘が並行して進められる中、朱雀門と大極殿が色鮮やかに再建されていました。一乗谷の朝倉邸の発掘もわくわくしますが、奈良の各所の発掘も楽しみです。

金堂では皆を集めて説明が始まります。47年前と変わらぬ(?覚えていいないけど・・・)説明で、非常に手慣れていて、内容も興味のある話になっていると思います。

薬師寺金堂
薬師寺金堂

金堂には薬師如来が日光、月光菩薩を従えた薬師三尊がおられます。

薬師三尊(薬師如来、日光、月光菩薩)
薬師三尊(薬師如来、日光、月光菩薩)     薬師寺ホームページ

薬師如来のお姿を建物の外から撮影させていただきました。建物を撮影したらお姿が入ってしまったということでご勘弁願いたい。だけど、あまりいい写真になっていません・・・

薬師如来像
薬師如来像

大講堂で奥さんがご朱印をいただいているのを待っている間に、ちょっと目の前が暗くなってきます。無帽で歩き続けて軽い熱中症に罹ったようです。(当時、御朱印をいただくことはしていませんでした。)

大講堂から東塔、金堂、西塔
大講堂から東塔、金堂、西塔

唐招提寺に向かいますが、ちょっと危ないので、薬師寺を出たところの喫茶店に入りました。フルーツの乗った美味しいかき氷と立て続けに水をもらって少し息を吹き返します。

暫くして調子が良くなってきたので、奥さんの日傘を借りて唐招提寺目指して歩き始めました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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