ニューヨークの初朝・・・「しょちょう」ではなくて「はつあさ」・・・って・・・ちょっと疲れ果てて、ブログ遠ざかっていました。
昨日の荒天は何処へ行ったのか・・・今日は天気はよさそうです。
この数年、天候に恵まれないと思っていましたが、この後、ニューヨーク滞在中に傘を必要とすることはありませんでした。
少しだけ、運気が上向いてきた・・・ハワイのパワースポット巡りがよかったのでしょうか?
ホテルの向かいのスタバで朝食のサンドイッチとコーヒーを・・・意地汚くミドルサイズのコーヒー頼んで飲みきれずに店を後にします。
今日は「昭和の日」・・・「あらかん」には天皇誕生日の方がピンときますが・・・アメリカはもちろん関係もなく、出勤途中のサラリーマン、OL風でスタバは混み合っていました。
大分以前になりますが出張でノックスビルからミュンヘンに向かう途中、無理やりニューヨークでトランジットしてほぼ一日を過ごしたことがあります。
よく覚えていないのですが、国内だったからラガーディア空港だったのでしょうか、街へ向かうイエローキャブの運転手が空港周辺の混雑の中で、他の車の運転手と怒鳴り合いをしだして・・・
最初から度肝を抜かれて、ビビりました。
どうも相手が割り込んできたのを注意したようで、外見に似合わず、きちんとした運転手みたいでした。
そう言えば、今回、空港からホテルまで運んでくれたガイドが、イエローキャブ以外のタクシーもあるにはあるが、危ないので、イエローキャブ以外には乗らないようにとの注意がありました。
当時怖くて一人では乗る勇気がなかった、ニューヨークの地下鉄・・・
地下鉄のチケットはプリペイドカードになっています。買い方がよく判らず、窓口で現金で購入します。
「さあ、自由の女神に行くぞ」と地下鉄に乗り込もうとすると、ゲートがプリペイドカードをなかなか認識してくれずに、一気に汗が吹き出します。
カードをスライドさせるのに慎重過ぎてスピードが遅いと認識しないみたい。見かねた窓口のおっちゃんが「もっと早く!!」と身ぶりで教えてくれます。
日本に帰るころには自分も奥さんも慣れてきましたが、始めは何回かスライドを繰り返して入っていました。
1番線のSouth Ferryで降りて外にでると、空はますます碧く、建物のスカイラインを際立たせています。
小学校の遠足や運動会の時に、晴れ渡った朝に感ずるワクワク感が蘇ります、ってよく判らないか・・・
自由の女神像は船で行きます。
2001年の911以降、2004年7月までは観光は出来ない状態が続き、頭部へのアクセスはさらに、2009年の独立記念日まで禁止されていたのだそうです。
今でも頭部へのアクセスは制限されており、大分前に申し込んでおく必要があるのだそうです。 (当日ガードマンに言われて、知りました・・・)
船に乗るための大行列は厳しいボディチェックのためでした。
船が岸壁を離れるとハドソン川対岸のニュージャージーのビルが見えてきます。手摺のところにわんさか人が集まって、写真を撮るのもままになりません。
自由の女神の居るリバティ島に着くと、またボディチェックの行列が始まります。
おまけに、バックパックは全てコインロッカーに入れろとのこと、バックパックを排除した後に、金属探知機のチェックがありました。
バックパックは危険物を避けるというより、混雑の時にパックが邪魔になるということみたい・・・
確かに狭い場所で背中に注意が行かない人間にバックパックで押されるという経験は時々あります。って自分も人に迷惑かけていること多々あると思うけど・・・
自由の女神はドラクロアの「民衆を導く自由の女神」がモデルで、自由の女神、マリアンヌはフランス共和国のシンボルなのだそうです。
自由の女神像は、南北戦争で混乱し、疲弊していたアメリカを励ます意味で、アメリカ独立(1775年)100周年を記念して、フランスから寄贈された。
国家間の贈り物というよりフランスのフリーメーソンがアメリカのフリーメーソンに寄贈したという一面もあるとの説明がWikipedia にありました。
製作にはエッフェルも参画し、1886年に完成したもので、もともとは聖火の部分が燈台の火になっていたのだそうです。
アメリカ独立戦争のフランスのアメリカへの肩入れは、英仏戦争(7年戦争)のパリ条約(1763年)でカナダを奪われたイギリスへの恨みがあったのだそうです。
加えて、独立した後のアメリカの利用価値を考慮していることもあったということで、明らかに、国家のエゴの産物だったと言えるようです。
その昔の恩義を100年経って「また想いだせ」、と言わんばかりのプレゼントは、なんとなく皮肉な感想を持ってしまいます。まあ、ひねくれ過ぎかもしれません。
後ろに廻ると女神の右足の裏が見えました。
フランスのプレゼントということのせいか、周りにはフランス人の観光客が多い様な気がしました。
てなことは、内部の博物館で解説読みながらぼんやりと考えたことで、目の前に、女神像を見ると、圧倒的な存在感に気押しされて、カメラ構えっぱなしになってしまいます。
自由の女神の廻りはゆっくりと散歩ができるようになっています。
天気が良くて、桟橋越しに見えるマンハッタン島もしつこく写真を撮りまくりました。どうもこの、海にポツンとある桟橋は好きな題材で同じ様な写真を撮り続けてしまいます。
左がハドソン川、右手がイースト川です。
真正面のマンハッタン島の高層ビル群のほぼ真ん中というのか、ちょっと左よりというのか、スカイラインが若干凹んでる部分があります。
ここにワールドトレードセンタービルがそそりたっていたようです。エンパイアステートビルはいまやニューヨーク一の高さを取り戻しました・・・
湾の南側に見えた港湾施設・・・ニュージャージーになるのでしょうか・・・
リバティ島から移民の窓口の歴史を持つエリス島へ向かいます。
自由の女神の足元にあるようなエリス島の移民管理局に海外からの移民達が集まり、全米に散っていきました。
今は当時の面影を遺しつつ、移民達の歴史を説明する博物館になっています。大きな博物館で展示物を追っているだけで、結構時間がかかり、朝から張り切っていたので少々疲れてきました。
催物の案内のお姉さん。怒られるのじゃないかとビクビクしながら取りました。
この後、バッテリ公園を北上して、ホテルに戻ってシャワーを浴び、夜の「SMOKE」に備えました。続きは次回に・・・