- 2月21日、朝日カルチャー主催の掲題のツアーに参加。
13時に神田駅南口集合。
この日は午前中は三井ガーデンホテルでの「古文書を読む」の講義が12時まであったのですが、ちと間に合いそうもないので、早退して神田に向かいました。
錦糸町駅手前で電車が急ブレーキをかけて、停車。アナウンスがあり、平井駅で軌道内に人が確認されたのだと。
5分くらいで動き出しますが、一時、「古文書」早退した上に、間に合わないのか、自分の人生、いつもこんなもんなんだ、と悲劇の主人公演じてました。
錦糸町で乗り換える予定でしたが、各駅も乱れているに違いないと、東京駅乗り換えでギリ、間に合います。奥さんは家から直接来ていて既に到着していました。
今日の講師は建築評論家の小林一郎さん。神田駅南口で集合西口方面から東京方向に向かい、高架鉄橋を東側へ潜ります。
配布された資料には記載が無く、話だけだったので、内容をよく理解していないのですが、高架橋の構造で大正時代の煉瓦構造が一部残っており、小口煉瓦を並べた「ドイツ積み」と言うのだそうです。
「フランス積み」、「イギリス積み」というのは聞いたことがあったのですが、ドイツ積みと言う言葉は初めてで、他にもあるのかと…
調べると、オランダ式、アメリカ式などもありました。巻末に調べたことを記載します。
神田駅は線路の増設と共に増築され変わって行ったようで、高架橋が南、西口の第1鍛治町橋、北口の第2鍛治町橋(閉鎖)、東口の第3鍛治町橋高架橋とあるようです。
小林講師、高架橋は専門分野の一部みたい。そうか、これも面白そうな世界だなと。
今回、初めて参加させていただいて、もうこれは近代日本の歴史と相まって、面白くてしょうが無かったのですが、少々寂しく、もどかしさを感じた点もありました。
例えば最初の丸石ビルディングは中に入ることを禁じられているとのことで、外に立っての説明でしたし、また、銀行として実際に使用されている三井本館は端から入れませんでした。
ビルディングは外装が自分には興味がありますが、内装の凝り方もこれは是非確認してみたいところであります。ジジイどもの興味に付き合っていたら大変なことになるでしょうから、よく解りますが….
中に入れた三越、高島屋などでも、団体で堂々と歩き回るのは気が引ける感じで、歩く場所は限定されていたし、少々、限界があるツアーではあるのかなと思いました。
三越および高島屋は各々で館内の見学ツアーを企画しているようなので、申し込んで行ってみるかなと思っています。
また、小林講師にはツアと同タイトルの「目利きの東京散歩」とか、「ここだけは見ておきたい東京の近代建築」などの著作があります。
取りあえず、購入して勉強させていただき、気になる建築を訪れるときに参加するという形がいいのかと、考えています。
一部フェースブックに報告しましたが、以下の順に周りました。
①鍛治町高架橋
前記したとおりです。
②丸石ビルディング(千代田区鍛治町、国登録文化財、千代田区観光協会)
1931年竣工。山下寿郎(1967年仙台市役所、1968年霞ヶ関ビル等)の初期の作品。
1階外壁に石材を使用し、2階以上がスクラッチタイル貼りとなっている。
スクラッチタイルは関東大震災で残り、強度があるものと考えられたのでそうです。
1階外周を巡るアーチと随所に施された動植物像やレリーフなどの豊かな装飾が特徴。また、6階胴蛇腹と頂部のテラコッタ製蛇腹で外観に変化を与えている。
③三井本館(中央区日本橋室町、重要文化財、三井広報委員会)
1929年竣工。設計はトローブリッジ&リヴィングストン事務所。施工ジェームス・スチュワート社。昭和2年(1927)着工。
旧三井本館は明治35年(1902)に竣工。20年後の大正12年(1923)、関東大震災で、建物の躯体そのものは致命的なダメージを受けていなかったが、内部の焼失が大きかった。
内部のみを修復することも検討されたが、震災復興に対して「三井」が範を示す、また三井の諸事業の発展拡大により、今後、旧三井本館では手狭になるとの判断から、旧本館を解体して、新規に建設することとなった、のだそうです。
④按針通り(三浦按針屋敷跡)
道端に石碑がポツンと建っていました。
⑤三越日本橋本店(日本橋室町、2016年重文指定)
1914年竣工後、横川工務所設計。1935年まで増改築を繰り返した。そのため、重文指定が高島屋に比較して、遅くなったと言われている。
以前に、福井県恐竜博物館の主催の、福井市の建物での化石探検ツアーと言うのに参加しました。
建築物に使用されている大理石はスペインや、イタリアからの輸入品が多く、多くの化石を含んでいる例が多いのだそうです。
恐竜博物館により福井市内の種々の建築物が調査済みで、化石が多そうなビルで化石を探し回る催し物で、子供に交じっておいちゃん楽しまさせていただきました。
三越、またこの後に行く、高島屋双方とも化石が多く発見されているようです。三越では大理石の中に存在している化石を筑波大が調査しており、約13,000個の化石があることが認められている、とのお話を聞きました。
前述したように、三越本店では館内を案内するツアーが第2土曜日に開催されているとのことで、案内嬢にお話を訊きに行くと、リーフレットをくれて、一応予約をしてから来て欲しいとのことでした。
高島屋でも館内ツアーは用意されていて、こちらは毎月第2金曜日とのことです。いつか双方のツアを経験してみたいと思っています。
ついでながらと、今この近くで簡単に見える化石ありますか?と案内嬢に問いかけると、ご案内しますと、連れて行っていただきました。
館内工事していてアクセス出来ない部分もあり、結局、一番大きいアンモナイトの化石に案内してくれました。
お忙しいところ申し訳ないことでした。
江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、ここと、松坂屋上野店のみ。近年、総額200億円を投じる隈研吾を起用した、改装計画が発表され、2020年春の完成を目指しているのだそうです。
⑥日本橋(中央区日本橋、重要文化財)
市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することを定められ、明治5年築の木造橋、に代わり、建設された。
1908年(明治41年)着工、1911年(明治44年)竣工。石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27 m、設計は米本晋一。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は徳川慶喜。
日本橋の上を走る、高速道路は、前回の1963年竣工、前回の東京オリンピック直前であった。地下化工事は2020年東京オリンピック後に着手され、10~20年の大工事になるらしい。
高速道路が日本橋を隠すような形になったのは、場所の選定上川の上を通らざるを得なかったなど、実際には色々な理由があるのだろうけど、世界で都市部に高速道路が貫いている例は少なく、その希有な高速道路を誇示するためにこの地を通したのだと言う説明がありました。
それが今、邪魔だからと、地下化工事が始まるということに面白みを感じました。
日本橋近辺は水運を利用した魚河岸となっていて、築地に移転したのだそうです。
⑦高島屋日本橋店(中央区日本橋、重要文化財 重要文化財日本橋高島屋)
江戸時代末期創業の高島屋が時を経て、昭和8年、日本橋に全館冷暖房装置を備えた店舗を構えた。
創建時の建物は日本生命館。日本生命が建設し高島屋が借り受け、一部を日本生命東京総局が事務所として使用していたが、昭和38年に日本生命が転出。
戦後復興から高度経済成長期に増築、改築を繰り返し、昭和40年には1街区を占める店舗となった。
平成21年、日本橋高島屋は、百貨店建築初の重要文化財の指定を受けた。
日本橋高島屋の建築にあたっては、「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」という様式を求めた設計図案競技で1等当選した、高橋貞太郎の案が採用されました。重厚な西欧の歴史様式に、和風建築の意匠が随所に見られます。
増築を手がけた村野藤吾は高橋の意匠を継承しつつ、近代建築の手法を取り入れ、昭和8年の竣工から約30年間にわたり増築を重ねて、見事な調和をみせた。
村野藤吾は多くの百貨店、ホテルを手がけているほか、新歌舞伎座、広島世界平和記念聖堂、読売会館、日生劇場、赤坂迎賓館の改修など多数の設計、改修をてがけている。
高島屋の屋上まで行き、工事中で外にでることはできませんでしたが、エレベーターホールの雰囲気に浸り、ツアの最後となりました。
【参考】煉瓦の積み方について
北海道の煉瓦積み工事会社㈲吉田工業さんのホームページに詳細な記述があったので、まるまるお借りして、ちとお勉強をさせていただきます。
煉瓦はもともと西洋の建築資材であった為、建築技法も西洋からの輸入で、その地方で多くみられる積み方をその国の名で呼ばれているのだそうです。
Ⅰ.煉瓦の種類
Ⅱ煉瓦の積み方
1.ドイツ(小口積み)
小口積みで、壁の化粧面を小口面が表れる様に積み上げる積み方。
端部の処理の仕方(異形煉瓦を使用する)で方式が異なる。下記は端部に「しちごぶ」を使用した七五角。
2.イギリス積み
小口積みと長手積みを交互に段を違えて積む積み方。ドイツ積みやフランス積み程外観は良くないが、最も堅実で廃材のでない合理的な積み方。根付(最下段)と天端(最上段)は小口積みで収める。下記は端部に「しちごぶ」を使用した七五角。
3.オランダ積み
2.のイギリス積みと同様、小口積みと長手積みを交互に段を違えて積む積み方。
イギリス積みと違いは長手段の端部を七五の隣を小口で継ぐ段と、長手でのばす段と隔段に交互に積み上げる事。
4.フランス積み(フランドル、フレミッシュ=実はオランダ、ベルギーの地方の積み方)
各段、同段中で小口と長手を交互に積み、小口の縦芯と上下に積まれた長手の縦芯が必ず揃わせる積み方。
化粧面の仕上がりが最も煉瓦らしく美しいといわれているが、手間がかかり工賃が高くなる。端部処理七五角の例。
5.アメリカ積み(ガーデンウォール)
五〜七段の長手段を積み上げて一段小口積みを積む積み方
長手段は裏表で半枚ずらして積む。工期は早いが。内部に「いも目地(=上下遠い通しに一直線の目地)」ができ、あまり強くない。
6.小端フランス積み(小端空間積み)
空間を持たせる積み方?空気層ができ断熱効果が多少期待できるが、煉瓦積みで最も大切な圧縮強度が小さくる。
【補足】コトバンク[山田幸一日本大百科全書(ニッポニカ]
水平方向の目地は一直線に通るが、垂直方向には破れ目地(馬乗り目地ともいう)とし、芋目地(垂直方向に一直線に通る目地)とはしない。
芋目地をつくると荷重が集中して地盤に伝達され躯体に不等沈下を生じるおそれが多いからである。
したがって芋目地は正面のみならず断面方向でもつくらないようにしなければならない。
古今東西を通じて、れんがの長手と小口の寸法比は二対一を標準とするが(日本の現行規格では21センチメートルと10センチメートル)、これは芋目地を避けるのにもっとも都合がよいからであり、それでも避けきれないときに半桝(はんます)、羊かんなどの異形れんがが用いられる。
れんが壁の厚さは長手一枚幅のものを一枚積み、小口一枚幅のものを半枚積みといい、それらの組合せにより一枚半積み、二枚積みなどとよぶ。高大なれんが造建築では四枚積み、五枚積みにされることも珍しくない。
れんが積みの壁体は耐力壁となるので、これに開口(出入口や窓)をつくればそれだけ強度を弱めることになり、いきおいこれは小さくならざるをえず、とくに横長のものは危険である。
組積造建築において一般に縦長の窓が多く、横長のものが少ないのはこの理由による。開口幅の狭いときにはその頂部を(まぐさ)(水平の横架材。通常は石材を用いる)で支えることも可能であるが、広い場合はアーチ(拱)を組まなければならない。
ゆえに組積造を1名拱式構造とよぶこともある。アーチの応用構法としてドームとボールトがあり、これによって屋蓋や床組みをつくれる。
れんが積みの表面は左官工事などによって化粧(仕上げ)することもあるが、れんがの肌をそのまま仕上げ面とすることも多い。
これを化粧れんが積みといい、目地も単に平らに押さえるものばかりでなく、凹面や凸面につくりだすこともある。
また、れんがそのものの表面にあらかじめ文様を施し、それを積み上げて壁面を飾る場合もある。このようなれんがを装飾れんがとよぶ。