白山とともに世界遺産候補となった白山神社は石川、福井、岐阜各県にある白山への登山道である「禅定道」の馬場だったところが基になっているということです。
ちなみに「禅定」とは山の頂を指します。
「八百万(やおろず)の神」であらわされるように、日本は世の中の事物全てに神が宿り、あちこちに神を見るという思想があるようです。
山を神と仰ぎ見るというのも同じ発想だと思いますが、ひときわ山は霊峰としてあがめられ、神格化されることが多いように思います。
関東にいると富士山がいろいろなところから見えるように、福井に住み始めるとどこに行っても白山が見えて、気になります。
また、海を走る船から見える白山は航海の目印になっていたということです。雪に覆われた白山を海上から見てみたいと思います。
意識せずとも白い雪を頭に抱いた山がいつも見えている、近隣の地に出かけてもまだ山が見える・・・毎日見ているうちに山を見る・・・というより、山がいつでも自分を見ていてくれる、という感覚がでてくるのではないでしょうか。
山が知らず知らずに親しみを覚える存在になると共に、いつでもそばにいて励ましてくれる存在として神格化されて行くということではないでしょうか?
敦賀に住む自分にとって毎日見えて、時々登る野坂岳は神様というよりお友達の感じですが ・・・近寄りがたい奥深い山、高い山には畏敬の念を持ち、敬い、祈る存在になるというのは考えられると思います。
五木寛之の出ていたテレビ番組「百寺巡礼」は番組と同名の五木の文章の単行本および資料集としての写真本がそれぞれ出版されています。
その百寺巡礼の北陸編に「泰澄が白山に登ったときに白山神の本地仏である十一面観音菩薩と対峙し、その後平泉寺、那谷寺を開いた。
これが神仏習合の由来とされる。」と記載されています。
ネットなどで白山の説明を見ると、その他にも白山三峰の各本地仏として阿弥陀如来、聖観音にもお会いしたとされています。
野坂に上り始めた頃でした。白山を遠くからみるだけでなく、一度近くで見たいと思いました。登山基地まで行けば見えるのではと思い、ともかく市ノ瀬に到達。
でも白山はまったく見えませんでした。登山姿の皆さんは市ノ瀬でマイカーを降り、登山靴に履き替え、続々とバスに乗りこんでいました。
その中で、短パンでスニーカ状態でバスに乗る勇気はとてもおこらず、引き返すことにしました。
今考えると別当の出会いまでは堂々とバスに乗ってもよかったのかと思いますが・・その後白山スーパー林道で白山をようやく目の前に見ることができました。福井からの白山とは裏返しになりますが・・・
市ノ瀬か初めての帰り道に勝山に寄り、お城の前でソフトクリームを食べながら近くの白山神社(平泉寺)へ行きました。
森林の中に広がる苔の庭にすっかり見せられてしまいました。
神宮寺も神仏習合の寺と言われており、やはり苔の庭が印象的でしたが、苔の見事さは平泉寺に軍配があがりそうです。
平泉寺は延暦寺の末寺として強大な力を持ち、より広大な寺域を有していたそうです。
南北朝の戦い、信長、朝倉家の戦いなどの歴史の舞台に登場しますが、一向一揆に対抗し、焼き討ちされてしまいます。
白山信仰との関連で神社であるのは確かなのかもしれませんが、その歴史、雰囲気から見た感じでは平泉寺の呼称の方が自分にはしっくり来ます。こんなこと勝手なわがままなのですが・・・