21日(日)は家族が遊びに来るというのに、朝から仕事・・・敦賀に直接向かわないで、京都あたりで遊んで、夕方に着くからとの家族の言葉に感謝。
夕方に落ち合い、あわただしく、金崎宮、気比神宮、松原海岸、水晶が浜を案内して、美浜丹生の「かつみ屋さん」に。写真は1月の新年会の時の写真です。
駐車場には車が数台、大阪NO.のバイクが10台くらい止まっています。「かつみ屋」さん繁盛しているみたい。
ゆっくり風呂に入った後に、ありとあらゆる海鮮物の炉端焼きコースを堪能します。
焼き物だけでも十分すぎるのに、船盛の刺身に海水の生簀に泳いでいる透明のイカ刺しが別途でてきます。皆感激ひとしきりです。
風呂上りのビールが美味しくて、量がいってしまい、持ち込みの「花垣特選大吟醸」がちょっと重い感じです。
奥さんがくいくい飲んでくれています。2月、3月の忙がしかったのが終わったので、安心してお酒が美味しいのだと思います。
早く寝すぎて3時ごろに目が覚めてしまい、寝苦しい一夜を過ごしました。
翌日はとりあえずレインボーラインへ。
レインボーラインを三方側に抜け、「淡水」が開店していることを確認しながら熊川宿へ。
熊川宿で鯖ずしの昼食と考えていましたが、そうだウナギも良いなと・・・
皆に諮ると、両方食べたいとのこと・・・結局、熊川宿で鯖ずし一つを皆でシェアしてお腹に余裕を残して、淡水に戻ることになりました。
3組程待っているお客さんの後、ようやく席に座れました。前にも載せた淡水のウナ重の写真です。
予想通り、関東のウナギとは異なるものでしたが、皮がパリッとしてウナギの味と香りが楽しめる美味しいものでした。
今回は笑顔の淡水です。
2 7号から、熊川宿を曲がるところを間違えて、「くまナビ」は信頼を失います。久しぶりの熊川宿は人の出もそう多くなく、早い春の陽を浴びて、くつろいでいる感じです。
鯖街道と言うのは後世の命名の様です。
奈良時代から若狭は天皇家に食物を献上する御食国(みけつくに)の一つで、若狭の海産物が京都へ運ばれていた。
その海産物の中におそらく江戸時代頃から塩鯖が含まれるようになり、「鯖街道」と呼ばれる様になったということのようです。(奈良時代に鯖を送っていたという証拠はないらしい・・)
熊川宿を通り、朽木を通り、京都大原に抜ける若狭街道(387号)あるいは今津に抜ける九里半越え(303号)から水路か湖西を走る西近江路(161号)をたどる道等、若狭から京都へ結ぶ道全てが鯖街道にあたるとのこと。
また神宮寺、鵜の瀬から遠敷川沿いに上根来を抜ける針畑峠越え(35号)が最短の街道として利用されており、その他に名田庄経由で京都に入る周山街道(162号)、鞍馬街道に抜ける道(38号?)、美浜新庄からマキノに抜ける粟柄越え(213→161号)等があったそうです。
前に歩いた敦賀から琵琶湖に抜ける深坂古道(塩津海道)や海津街道(161号)は鯖街道としては定義されていないようですが、その一種と言えるのだと思います。地図は熊川宿のホームページから拝借しました。
鯖ずしは葛の店、「まる志ん」さんでいただきました。分厚い鯖の切り身のお寿司に皆、大満足でした。一人だけ頼んだ「葛湯」もとても美味しかったです。これで30分後にはウナ重を平らげるのですから、痩せるわけがないか・・・
写真の鯖ずしはお取り寄せができる福井の「四季食彩 萩」さんのものです。