東日本大震災の前日でした。
もう雪はない・・と思っていた矢先に、前夜降った雪が白く残っています。
出勤途上、ゴミ処理場の前の梅林と後ろの三内山が白く輝いているのを観て、我慢できずに車を止めて、写真を撮ります。
後から来た会社の同僚が人の姿観てあきれたように、笑って通り過ぎて行いました。
翌3月11日、敦賀は震度2の揺れがありました。
3階の事務所で執務中にゆっくりと長い間揺れ続ける感覚は始めての経験でした。
不吉な感じを覚えましたが、「未曾有」の災害の余波だったことが徐々にあきらかになって行きました。
4月10日付けの報道では死者と行方不明の方を含めた2万7千人の犠牲者をだしたうえに、避難先で苦労されている方達の総数が15万人を超えているのだそうです。
震災当日からしばらく、セコムを利用した会社からの安否確認が頻繁に入りました。なにか間違いがあるのかと思いましたが、本社のある地域で震度5を越える地震があると安否確認が飛ぶらしい・・・
こちらは全く揺れていないので安否確認されて、ちょっと変な感じです・・
福島第一原発については東電から復活への工程表が発表されました。
まあ、まだまだ状況把握の途次であり、世論に追い詰められて、努力目標としてのロードマップを発表ざるを得なかったと言うところが実態だとは思います。
ただし、曲りなりにも、マイルストーンが設定された(設定根拠は脆弱かもしれませんが・・)ということは、実行側にも周りで観ている人間にも、目論見と実態の乖離を節目節目で確認できるようになるのでいいことなのだと思います。
全てが闇の中であった状態からは、微かに踏み出す事ができて、安定化への方向にようやく歩みが始まりつつあるのだと・・・
正直いうと・・・保安院、原子力安全委員会の会見時の「外野席からの発言」的な態度に自分としては不安を感じていました。
今後は東電、保安院、原子力安全委員会が協調して会見に臨む方向であるとの報道があります。
ここに至って、事業者も規制側も両者を指導する立場も、全て叡智を結集して事に当たる、今からでも遅くはない・・・アレバがあれば一安心・・・なんて言わさない・・・
※彼方の雲の中に野坂が隠れてしまっています・・・自分にとっての密かな野坂撮影の絶好ポイントだと思っていた場所なのですが・・・目指した雪の「逆さ野坂」はまたの機会に譲ります。
外国からの助勢もどんどん受け入れるべきだと思います。
ただし、その有効性、受け入れの優先順位などを検討して、実行して行く、日本側の責を追うべき人、機関の足元が同じ方向を向いていなければ、助勢を有効に活用することも難しくなると思います。
と、ちょっと、ずーっとやきもきしていたので、つい声が大きくなって・・・