8月24日は手術後の検査、診断を受けに斉生会病院に向います。
血液検査で、肝機能等の数値が改善されるなど体調は順調であると・・・
激しい運動をしばらく避けるということ以外は通常の生活をしていい、本件に関する件での通院は不要ということになりました。
これで福井病院での糖尿治療に専念することになります。行方不明になって先生が探し出してくれた胆石21個が入ったケースと福井病院への手紙を託されます。
形の上で福井病院から紹介されて、斉生会に行ったため、福井病院に患者を紹介してもらったということになり、お礼をしておきたいとのことでした。
会社は休みをもらっているので、のんびり敦賀に帰りますが、前に福井県立美術館で準備していた「森と芸術展」が気になるので覗いて行くことにします。
同展覧会は4月~6月の東京都庭園美術館(東京都港区白銀)を皮切りに7月~8月の福井県立美術館(福井市文京)、9月~10月の札幌芸術の森美術館(札幌市南区)において順次開催されました。
明治学院大学名誉教授の岸谷國士の監修による統一された展示がされますが、各美術館においてはメインの展示の他に、「東京の森」、「福井の森」および「札幌の森」という各美術館独自の展示も実施しています。
福井県立美術館はフクイサウルス・テトリエンシス、フクイラプトル・キタダニエンシスをはじめとした化石群が森の起源の時代を表します。
「福井には平地の少ない若狭地方に縄文の遺跡が多く、山々とその周辺や島に様々な鎮守の森が残ります。
また、特異な森神信仰の聖地・ニソの杜(大飯町大島:11月22‐23日の祭日以外には禁足地)※等、有数の森=杜に恵まれた地域です。」(同展図録集)
![カイ・ニールセン グリム童話集「ヘンゼルとグレーテル」 1929年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83j815B838B83Z839381E83w8393835B838B82C683O838C815B83e838Bsmall.jpg)
巌谷國士監修の『森と芸術』という図録集が受付に置いてあり、帰りがけに購入。
巌谷の森への思索がつづられ、通常の図録集以上の面白さがあり、他の読みかけの本に優先して読みふけってしまいました。少々話の進め方が強引な気もしますが・・・
この間、テレビのクイズ番組で自然のままが「森」で、人工の手が入ると「林」という回答がありましたが、いささか異なる話が展開します。
![ポール・セリュジエ ブルターニュのアンヌ女公への礼賛 1922年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83A839383k8F978CF682D682CC97E78E5Esmall.jpg)
「森は木の「もりあがり」(即ち山)を指し、林は平地の木立を示し、その他に杜(もり)という言葉があります。
杜と言う字は本来、中国では落葉高木のヤマナシを指しており、(もり)とは無縁でした。杜は、日本において初めて(もり)と言う音を与えられます。
日本では社(やしろ)を(もり)と読ませる用例もあり、杜はただの木の集まりでない聖なる領域としての森、ときには(やしろ)と同一視される森をさしていたのです。
![ディアズ・ド・ラ・ペーニャ フォンテーヌブローの森の小径 1872年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/838983y815B83j8383814090X82CC8FAC8Casmall.jpg)
「杜」と意味を同じくする「社」の偏、「示」は神に生贄を捧げる台を意味し、杜は神の居る土地、神の祀られている領域を指します。
(もり)は単に木が多く生えている「森」と、神がいて祀られる「杜」という二つの面をもつことになり、人間(日本人)と「もり」との関係があきらかになってきます。」
![カミーユ・コロー サン・ニコラ・レーザラスの川辺 1872年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83T839383j83R8389838C815B83U838983X82CC90EC95D3small.jpg)
日本の森の話はさらに、概略以下の様に続きます。
「豊富な森の中の樹の実を食糧とし、狩猟を生業とした縄文人に対して、水稲耕作技術を持った弥生人が渡来し、平野部で水田を発展させ、強大な支配者の出現による古墳時代を迎えます。
縄文人は「先住民」、「野生人」として森に追われて行き、山姥、山神、鬼、天狗、神隠し、狼少年、山伏、マタギ、サンカ等々の森の不思議の元になっているという説に繋がっていきます。」
![モーリス・ドニ 聖母月 1907年 この絵が自分の一番のお気に入りです。](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83h83jsmall.jpg)
この本では水稲耕作が森の伐採に寄与したとしています。
しかしながら、水を護る必要のある、水稲耕作は一部の森は伐採しますが、水の源である山、山にある森は保護する必要があります。
中国の湖南地域と日本に広がる水田は従って、文明が森を破壊しつくし、砂漠化に至る道をかろうじて避けることが出来る地域であった・・・これは、実は梅原猛の受け売りですが・・・
![カミーユ・ボンボア ピクニック 1930年 ポーシャンと同じ素朴派の作者。面白い・・・](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83J83-8386837B8393837B83A81E83s83N83j83b83N1930small.jpg)
世界最古の文学作品である「ギルガメシュ叙事詩」は人間の生業が自然を破壊しつくしていくことを象徴的に物語ります。
「メソポタミア南部、ユーフラテス河下流のシュメール人都市国家ウルクの王ギルガメシュはレバノン杉の森に押し入り、森の神フンババを殺し、木材を伐採して持ち帰り、壮麗な城砦都市を築き上げます。
![アンドレ・ポーシャン 楽園の開花 1940年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83A839383h838C837C815B83V838383938Ay898082CC8AJ89D4small.jpg)
しかしながら、フンババとの争いで友、エンキドゥスを失った悲しみとフンババの主神であるエンりルの怒りへの恐れから、安定な生活を得ることができず、彷徨いの旅を続けることになります。
肥沃な三角地帯にあったメソポタミア・・・現在のイラクは不毛な土地に化しており、「文明」による森の破壊が主神の怒りを買ったことを物語っているのです。」
![川田喜久治 地獄の入口 ボマルツォ、ヴィルテルボ、イタリア(聖なる森) 1969年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/90EC93c837B837D838B83c83H92n8D9682CC93FC82E88CFBsmall.jpg)
展覧会の説明は下記のように、森に対する親しみの念を説明します。
「人間にとって森は単なる木の集まりではありません。
森を見て、森のなかを歩くときになにかしら心休まるもの、懐かしいもの、そして聖なるものを感じます。
それは、かつて森でくらしていた人類の記憶がよみがえり、郷愁や憧れのかたちをとるのだともいえます。
![東京大学総合研究博物館モバイルミュージアム 森のカメラ・オブスクラ 2011年](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/938C91E5918D8CA4948E95A88AD990X82CC83J83818389small.jpg)
はるかな昔、人間は森に住み、森の恵みを糧に暮らしていました。のちに森を離れて文明を築くようになってからも、人間は森という故郷に「楽園」の思い出を重ね、ノスタルジアを抱きつづけてきたのです。
古今の芸術作品のなかにも、そうした原初の森への郷愁や憧れがあらわれています。
森の神話・伝説を描く絵画、情感ゆたかな風景画、メルヘン絵本、植物文様をもつアール・ヌーヴォーのガラス器など、森の魅惑を体現する作品の数々が展示されます。」
![ポール・ゴーギャン 愛の森の水車小屋の水浴 1886](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/83u838B835E815B83j838582CC8FAD94N82CC9085978182D1small.jpg)
ゴーギャンが題材とした「愛の森(ポワ・ダムール)」はポン・タヴェン村の北部にある美しい森で、ゴーギャン、ボナール、セリュジエ等のポン・タヴェン派の聖地とも言うべき場所なのだそうです。
フランス南部の都市ポン・タヴェンは「アヴェン川の橋」の意味ということ。ここも魅かれる場所の一つになりました。
![](https://pandapanda.link/wp-content/uploads/2020/09/ポンタ・ヴェン地図-700x507.jpg)
正直言うと、無理矢理と「森」にこじつけた企画を押し付けられるのではと、余り期待はしていなかった展覧会でした。
危惧したところも感じられるところはありましたが、魅せられて、図録集を買って帰ることになりました。
満足して大分遅めの昼飯に「うな信」で「ひつまぶし」を・・・
![](https://i1.wp.com/pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/a0824015.jpg?ssl=1)
![](https://i1.wp.com/pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/a0824017.jpg?ssl=1)
![](https://i2.wp.com/pandapanda.link/wp-content/uploads/2011/10/a0824019.jpg?ssl=1)
うな信の売り物みたいだったので頼みましたが、自分にはやはりお重か丼が合うようです。
※「ニソの杜」について、関西電力ホームページ原子力事業本部大飯発電所の項で紹介されています。「おおい町の語り部たち」
関西電力はその広報誌で「わかさ」の風景、風習を詳細に紹介しており、それらをまとめた「新わかさ探訪」を発刊しています。最近再編集されて「新」が付いたようです。
以前、原子力事業本部に葉書で申し込まないと入手できないということで、そのうち、そのうちと思いつつ手にしないままでしたが、先日KABOSに「新」が山積みされていて即購入しました。
KABOSの「福井」コーナーは「くま」にとっての宝物がごろごろしている宝庫なのです。