以前疋田と塩津を結ぶ深坂古道を歩きましたが、今回は新保から木の芽峠越えで今庄に抜ける木の芽古道を歩きます。
木の芽古道は嶺南と嶺北を分ける分水嶺にある木の芽峠を越える道で、平安時代に開発され、かつては現福井県の嶺北と嶺南を結ぶ唯一の道だったようです。
紫式部、新田義貞の軍勢、永平寺の開祖道元、真宗の祖親鸞、吉崎御坊を開いた蓮如、松尾芭蕉等多くの人が通ったとされています。
近いところでは北から峠を越えて、新保で投降した武田耕雲斎率いる水戸天狗党、明治天皇が挙げられています。
木の芽峠周辺には幾つかの山城(木の芽城砦群)があり、分水嶺を争って朝倉義景と織田信長軍の攻防があったようです。
誰が通ったという記録には残っていないのでしょうが、当然、朝倉義景、柴田勝家、明智光秀、前田利家、金森長近、大谷吉継達の戦国武将が木の芽峠を往復したのだと思います。
記憶は定かではありませんが、「国盗り物語」で明智光秀が一乗谷を頻繁に訪れ、足利義昭と織田信長の連携の橋渡をする場面があったと思います。
後に信長を弑することになる光秀の胸の内にどのような思いが抱かれて、木の芽峠を往復していたのか・・・
蓮如さんに関しては、吉崎御坊で毎年4月23日~5月2日に蓮如忌が開催され、法要が営まれます。
それに先立ち、蓮如さんが京都から、吉崎にたどり着いたことを偲んで、門徒が徒歩で御影(ごえい)の入った輿を、東本願寺から吉崎まで運ぶ「蓮如上人御影道中 」が毎年行われています。
4月17日に京都東本願寺を出発し、湖西の西近江路を抜けて敦賀に入り、木の芽峠を越えて4月22日に吉崎御坊まで到達する240kmを歩くのだそうです。
前に訪れた時の吉崎御坊の印象から蓮如さんに心情的に共感というか親しみを感じるようになったのか・・・畏れ多いことですが ・・・
なぜか蓮如は「さん」付けになってしまいます。
大分前置きが長くなりました・・・
木の芽峠歩は深坂古道と同じ、以前、敦賀駅に有った敦賀周辺観光のリーフレットで知りました。
リーフレットは新保までタクシーで行って陣屋を起点として、茶屋跡まで行って戻るコースと南今庄まで歩くコースが紹介されています。
敦賀駅前から新保までバスが運行されています。
駅前の駐車場に車を止めバスで新保まで行き、古道を歩いて南今庄から電車で敦賀まで帰る計画です。
敦賀駅前はなかなか写真になりにくいところです。まあちょっと道路を強調し過ぎのきらいはありますが・・
バス停の時刻表の写真を撮ろうとしたら、後ろからバス停周辺の清掃のオバサンがお構いなしに話しかけて来ます。
「それは熊除けの鈴ですか?
私ら山菜採りに行くのでいい熊除けの鈴さがしてるんだけど・・・それは丈夫そうでいいですね。
この間調べたら林野庁なんかで使うのは特注で一万円くらいするんだって・・ええ?1300円?安いですね」
ミツワで買ったこと、でも最近、他の鈴を探しに行ったら置いてなかったこと、井筒旅館に山用品置いてあるらしいから行ってみたら?
福井に行けば好日山荘あるのであそこなら絶対あると思う
などとバスの時間が迫ってきたので目一杯説明して話を終わろうとしますが、オバサンなかなか話が終わりません。
ようやく開放されて、バスを待っていましたが時刻を過ぎてもきません。
うん?そう言えばオバサンに気をとられて時刻表よく見なかったけどなにかマークが付いていたな?・・・
なんと土日祝運休の▲がついているではないですか・・・次のバスは4時間待ちです・・・
学校が休みだと利用客は少ないのだと思います。
でも木の芽峠のために、タクシーで4000円だして新保まで行く人がいるのかと思います。
鶏か卵かではないですが、8時は早くても、9時ごろに観光客用のバスがあってもいいのではないかと。
大阪方面からの新快速に時間を合わせる必要もあるかもしれませんが・・・
まあ木の芽峠自体は今庄に属するので敦賀側で力は入らないかもしれません。
ということで自分の車で新保に向かうことになり、今庄側に抜けるのはあきらめました。
上の日吉神社は新保の手前の葉原の外れにあった日吉神社です。戦争に行かれた方の犠牲者の碑が近くにありました。
毎度のことですがイントロが長すぎて本編に入れずに、続きます・・・