日仏会館

山種美術館でのお茶を諦めて、今夜の講演会「印象派時代における美学の展開」会場の日仏会館に向かいます。(2017年1月28日)

距離は1.5Km程度、道を知っていれば15分くらいで着くくらいの距離だと思いますが、Google Mapに頼る覚束ない足取りは、曲がり損ねて戻ったり、を繰り返し、30分以上かかったでしょうか。

途中でお茶する予定も、もう少し近づいてから、と躊躇するうちに、日仏会館にたどり着きます。

時間はまだ2時間近くあるので、喫茶店を探しますが、日仏会館にはレストランしかなく、これはお茶は無理そうと、周辺を探して歩きます。

恵比寿ガーデンプレイス

お酒を飲むには面白そうなところが幾つも有りますが、お茶に適するところは見当たらず、結局、交差点のはす向かいに広がる恵比寿ガーデンプレイスの中で探そうと・・・

目に付いたのが「俺のBakery&Cafe」。おっ、よさそうと、近づいていくと、なにやら大行列ができていて、とてつもない人気店みたい。これでは2時間並んで終わりそう・・・

恵比寿ガーデンプレイス

他を探しますが、エビスの本拠地でビールでなく、コーヒーのみと言うのはなかなか度胸のいることだったのかと。

お茶代わりのビールにすることも考えましたが、わざわざ恵比寿にきて、講演会で眠るのかよと、自制します。

恵比寿ガーデンプレイス

喫茶だけでも構いませんよと優しく入れてくれたお店の相席の大テーブルの目の前の客が美味しそうにビールとソーセージを味わうのを観ながらカフェラテで時間をつぶしました。

恵比寿ガーデンプレイス、オープンしてからかなり経つけど、それなりに人が集まってくるようで、イルミネーションを楽しむ家族も多かったようです。

恵比寿ガーデンプレイス

辺りが暗くなり、イルミネーションが輝き始めて、ようやく日仏会館に再度向かいます。「俺の・・・」はディナータイムを迎えてということなのか、行列がより長くなっているようでした。

講演は成城大学に招請されているパリ第1大学ドミニク・シャトーさん。

日仏会館

日仏の同時通訳付ですが、慣れない美術用語がちりばめられ、堪能な日本語で話ていただいても、理解が難しい話がスライドに従ってスラスラ進みます。

必至にメモをとりましたが、ついて行けない部分が多く、今読み返しても、単語の羅列で、意味不明のところも多々あり、総体的に何が結論なのか・・・でも、刺激的で面白い経験でした。

それにしても、同時通訳不要の人も多く、フランス語で質問する人もいて、こういう世界があるのかと、カルチャーショックでした。

モネ緑衣の女性(カミーユ)1866

間違いだらけかもしれませんが断片的な記憶を綴ってみると・・・

「美学」には2つの対象がある。一つは美術作品の形、もう一つは印象あるいは思想。

モネによるモデルニティズム(現代性、同時代性?)の変化により、風景画が変わった。それは時代がそうさせたのだ・・・

風景画を評価しないゾラがモネの変革は評価した。

モネ ラヴァクールのセーヌ川 1880

モネ「緑衣の女性 1866」から「ラヴァクールのセーヌ川 1880」への変化

画家達の新しい対象の場所の追求。

フェルメール、クールベ等はアトリエで仲間を作ったが、印象派以降の画家は戸外にでた。ドニはセザンヌに影響を受け外にでるようになった。

ゴーギャンはピサロにならい、セーヌ川を描き、その後、ポンタヴェンからタヒチへ行き熱帯植物を描いた。モネはブーダンの影響を受け、ノルマンディの絵を描いた。

カイユボット イタリア大通り 1880

映画の登場が絵画に影響を与えた面があり、カイユボット「イタリア大通り 1880」の俯瞰の視点がそう言えるだろう。ヴァロットン「ボール 1899」もそうだ。

ドニの言葉「絵画とは一定の制約の下に並べられた色彩の平面である。」

文脈の中では理解できなかったのですが、前回載せたナビ派のセリュジエの「Le Talisman(護符) 1888」がモネと共に最初に出てきていました。印象派、ポスト印象派もひっくるめて大きな新しい動きの一つということなのかと。

スーラ グランドジャット島の日曜日の午後 1884-86

形状の革命。セザンヌの絵の解体、空白の表現。

スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後 1884-1886」遠目で観ると気がつかない細部が・・・

これからも、素人なりに理解に努めて行こうと。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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