新聞に成田山公園紅葉まつりが11月12日~11月27日に開催中とありました。
千葉の住民になって34年?にもなるのでしょうか・・・成田と紅葉は結びつきませんでした。11月20日、面白そうだから行ってみるかと、奥さんと出かけます。
正月に風邪でダウンして、欠席したことがあったはずなので、毎年とはいかないのですが、その他では成田山の初詣を欠かしていない。
引越してきたばかりの頃、成田山は女性の神様が居られて、夫婦で揃ってお詣りすると、嫉妬されてよからぬことが起きる、と言う話を聞き、門前で奥さんと別れて別々にお詣りした記憶があります。
そのうち、どうでもよくなり、家族揃ってお詣りするようになりましたが、改めて確認すると、どうも成田山に弁天様が居られることを指して、そう言う噂が流れているということらしい。
初詣には行くけれど、1月以外にはあまり縁がなく、ましてや成田山で紅葉などと言う発想はありませんでした。
初詣は本堂とこの10年くらい本堂のお詣りの後に出世稲荷にお詣りするだけなので、成田山全体の伽藍の配置も境内全体の構成も判っていませんでした。
最近は、新勝寺とは反対側にある51号沿いの市営駐車場に車を停めて、お詣りに行きます。
元気だったときには、成田山の裏山に、車を乗り入れて、進めるところまで進んで、山道の端に車を置いて、お詣りに行くという荒技を使っていたことも有りました。
当時は知らなかったのですが、成田山公園は本堂の裏手の、その山道の下に広がっていて、大きな池があり、紅葉が広がっていました。
成田山公園にも駐車場がありましたが、駐車に時間がかかるのが嫌で、初詣と同じく、市営駐車場に車を停めて歩きます。
10時頃に成田山公園に着いた時には、駐車場にはまだ余裕がありましたが午後1時頃出ようとすると、駐車場待ちの車の列が長く延びていました。
入り口からすぐの所にある池が竜智の池で、池の中に張り出した浮御堂でマイクの準備を進めていました。今日は浮御堂で二胡の演奏があるのだそうです。
池に沿って歩くと、常緑樹も混じっていて、紅葉一色というわけではありませんが、紅葉は盛りというところで、愉しめます。
程なく茶室「赤松庵」にくると、一段と紅葉が綺麗ですが、入り口のところに椅子が百脚くらい並べてあり、人がびっしり座っていて、とても入って写真を撮る雰囲気ではありません。
並んでいればお茶の振る舞いを受けられるらしい・・・しばらく一番後ろに座って、様子を見ていましたが、順番が進む気配はなく、これは1時間程度では番が回ってこないなと諦めます。
先を進んで、書道美術館に来ると、今日は入場料無料です、との呼び込みを受けます。
中に入って、正面の壁にそびえ立つ中国山東省泰山摩崖碑「紀泰山銘」の拓本に驚かされます。裏に回ると拓本のメーキングの工程の記録パネルがあり、面白かったです。
『唐の玄宗皇帝は「開元全盛」の治世10年を越えた開元12年に、泰山封禅を願う上奏が行われ、開元13年(725年)を期して、玄宗の泰山封禅が実行に移される。時に玄宗四十歳であった。
※封禅:泰山の頂に土を築いて壇を作り、天を祭り、天の功に報いることを「封」、泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが「禅」とされる。(司馬遷「史記」)
磨崖碑は726 年(開元14年)に玄宗皇帝の封禅の儀式の翌年に彫られたもので、 縦 13.2m、横 5.3mの壁面に約 1,000 文字が刻まれています。揮毫は玄宗皇帝自らとの伝もある。
現在、「紀泰山銘」 は碑文を保護するため金箔が貼り付けてあり、拓本はできないため、書道美術館にある 「原拓 紀泰山銘」はなものとされている。』
参照:紀泰山銘 – 九州大学
無料で入れていただいて、感激して、申し訳ないと、人の良いくまさん、このまま帰れずに、「般若心経」の写経セットを購入。
上からなぞる般若心経が薄く書いてある紙が5枚、本ちゃん用が10枚。今年、色々と落ち着いたところで写経を始めようと考えています。
逝ってしまった兄が、無宗教を言いながら、般若心経を繰り返し写経していたのを、後で知り、その気持ちを少し斟酌できるかもしれない。
てなことはこじつけですが・・・
光明堂、開山堂、平和大塔と普段お詣りすることのないお堂をお詣りし、御朱印をいただき、どこかでお食事をと思いましたが、公園の入り口にある名取亭は20分待ちとのこと。
かねてより調査済みだった芝山の鰻屋さん新川に電話予約して、向かいます。
時間予約したけれど、行列ができていて30分程待たされます。それでも、2500円で鰻がびっしりで、お重の大きさを超えてはみ出す、びっくり鰻重。
庶民的な、味付けで微笑ましい、というのでしょうか、満たされて帰ります。