平河天満宮

2月24日(金)はプライムフライデーの初日ということで、各種のイベントが催行されていたようです。

三菱一号館美術館のホームページで「ナビ派」の展覧会のスケジュールを確認しようとして、イベントがあることを知りました。

美術館の閉館時間が20時と遅くなることは普通の金曜日と変わりないのでしょうが、18時から内部にあるカフェで、ワインと生演奏があり、2,000円のチケットを購入すれば、「ナビ派」鑑賞と込みで全て楽しめる、と、かなりの割安です。

正直言うと、プレミアムフライデーの趣旨もわからぬまま、申し込んでしまいましたが、後になって考えると、毎日遊んでいて、一番趣旨に沿わない立場で申し訳ないようなものかなと。

展覧会鑑賞を2時間として、16時頃に美術館に入れば、楽勝か、どうせなら、三菱一号館を終点として周辺を歩いてから行こうと計画しました。

起点をどこにするか・・・前回、大学の同窓会である青葉工業会主催の「ロボット化・AI応用」講演・交流会の帰りに夜の国会議事堂を垣間見て、昼間に周辺を歩いてみたいと思っていました。

地図を見ていて、半蔵門近くに平河天満宮を見つけ、ここを起点にして、半蔵門、国立劇場、国会議事堂、桜田門、二重橋、日比谷公園から丸の内まで歩こうと。

時間があれば、日枝神社まで脚を延ばし、半蔵門、桜田門以外に内堀にいくつかある、見附跡も確認していこうと欲張った計画を立てました。

結局、何のことはない、9時半頃に家を出ようとすると、雪がちらほらと舞い始めて、一気に気持ちが萎えます。

陽が射し始めた12時頃、ようやく気を取り直して出かけますが、昼飯食って、半蔵門にたどり着いたのが14時半頃でしたか・・・

行動計画は大きく崩れ、結局内堀沿いに歩いて、丸の内に直行に近いことになりました。

平河天満宮は平河城城主太田道灌公が文明10年(1478年)、平河城内に建立。周囲に多くの梅の木を植えて、梅林坂と呼ばれるようになり、現在、皇居平川門内にその名が残っているのだそうです。

徳川家康公の江戸平河城入城後、築城のため平川門外に奉遷、慶長12年(1607年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷、地名を本社にちなみ平河町と名付けられた。

徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていた。(以上、平河天満宮公式サイトから引用させていただきました。)

現存している境内は想像より狭いものでしたが、歴史を感じさせる雰囲気が漂い、自分には好ましい空間でした。磨り減った牛の象がまた面白い。

2月25日から桃の節句にちなんだ御朱印をいただけるということでしたが、今日は一日前、平河天満宮の御朱印をいただきます。

それでも、今の時期は梅の季節にちなんだ御朱印なのだそうです。

できれば、中央の「平河天満宮」は印でなく、手書きがいいなと思うのですが、今までも神社は、手書きが少なかった様な気がします。

ふと見ると、今日は酉の日で、境内にある「平河稲荷」の御朱印もいただけるとの記載があり、双方をいただきました。

天満宮を後にして、国立劇場に向かいます。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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