2016年11月13日、クラブツーリスム主催の「山手線一周歴史探訪」の第8回に参加します。
奥さんは第1回から参加して、品川駅から始まり、今回の「五反田~品川」で完歩、今回終了後に表彰状をもらいました。
自分は以前「目白~新宿」に参加しましたが、その時は敦賀からの一時帰宅で参加したもので、今回が千葉をベースにした「東京はいかい」の1回目ということになります。
各コースで廻るべき基本的な名所はあるのでしょうが、それらを含めて、ガイドの先生がご自分の趣味に沿った立ち寄り場所を選定して、メニューが決まるようです。
10時~16時程度の時間を目処にして、1回10~12kmくらいの距離を歴史を手繰りながら歩くというもので、途中でランチの時間も設けられています。
ランチに関しては、色々文句がでるらしくて、選定に苦労するのだそうで、今回のランチ場所は結構、コースから外れた感じの場所にあり、少々あきれました。
山手線の1周は約35Kmということですから、ムキになって歩けば、1日で1周できる距離でしょうが、8区分にして、面白そうなところを解説を聞きながら巡りるため、1日の行程が5時間くらいになっています。
今回、自分の歩数計が調子悪く、奥さんの歩数計で26,000歩、家から最寄り駅までの往復が5,000歩程度あるので、21,000歩。歩幅70cmとして、約15Km歩いたことになります。
一応、御朱印帳は持って行ってるけど、時間が限定されているので、出さないようにしていますが、少し、時間が有る時には書いた紙をいただくことはしています。
先週行った「中央線を歩く」の部で、高幡不動尊で自由行動になり、御朱印帳に記載してもらったのが希有な経験となります。
ツアに参加して、教えてもらったポイントをベースに再度徘徊してみようと思っているので、今回は情報収集というところではあります。
今日の行程は下記のように盛り沢山でした。説明だけで、素通りも多かったのですが・・・
①五反田駅集合
②居木神社:創建の時代不明であるが、江戸時代初期に、目黒川溢水の難を避けるため現在地に「五社明神」として遷座。明治5年に「居木神社」と改称。
③金剛山圓通院観音寺:後出、寄木神社別当寺であった。庚申供養塔、石造り馬頭観音
④大崎ゲートシティ(トイレ休憩)
⑤春雨寺:元東海寺塔頭。家光が沢庵和尚を東海寺開山として迎える祭に、沢庵配流の地、出羽から春雨庵(しゅんぬあん)を移設した。
今は近代的なビルになっており、沢庵和尚の絶筆と言われる書がある。拝観はせず、門前をパスでした。
⑥興業社(品川硝子製作所)跡地:東海寺内の三共製薬敷地内に、板ガラスの実用化を目指して建設された。当時の煉瓦造りの建物は明治村に保存されている。
⑦東海寺大山墓地:沢庵和尚、賀茂真淵、西村勝三(品川硝子製作所民営化、品川白煉瓦創設)、鉄道創始者井上勝等の墓。
井上勝の墓の近くに、一面の花に埋められている華やかなお墓があり、びっくり、島倉千代子(2013年11月8日逝去)さんのお墓で、命日が近かったため、多くの人がお参りされた後のようでした。
⑧万松山東海寺:1638年開基。沢庵和尚開山。沢庵は秀忠の代に幕府に抵抗し、出羽に配流されていたが、秀忠死後、沢庵の徳を知った家光が呼び戻すために東海寺を開基したと言われる。塔頭、墓地も含めると広大な寺域であったなと実感しました。
⑨品川神社:1185年(文治3年)源頼朝が千葉の洲崎神社を勧請して創建。1637年(寛永14年)家光が沢庵を招請しての東海寺開基に際し、鎮守社となった。
京を中心とした勅祭社に対し、明治の遷都に伴い、品川神社を含む東京中心の12社を准勅祭社を定めた。
実質的な運用はされなかったが、そのうちの10社が東京10社として名乗っている。板垣退助夫妻のお墓がある。(元東海寺塔頭高源院墓地)
6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が上り下りする。
⑩妙蓮寺:丸橋忠弥首塚、薄雲太夫墓。
⑪願行寺:しばり地蔵。
⑫海蔵寺:海蔵寺無縁塔群=慶応の津波被災者、大正の京浜鉄道事故被災者、関東大震災の死者の供養のため供養堵。江戸時代には、鈴ケ森で処刑された罪人や引き取り手のない遊女などを葬ったため「投げ込み寺」とも呼ばれた。
⑬レモン哀歌の碑:高村光太郎が妻智恵子の臨終を詠んだ「レモン哀歌」を刻んだ碑。智恵子が亡くなった元ゼームズ坂病院の敷地に立っている。
⑭泊船寺:俳人である杜格斎山奴(とかくさいさんど=白牛禅師)坐像、松尾芭蕉坐像、芭蕉の弟子の服部嵐雪、宝井其角の坐像がある。いずれも木造の寄木造。
⑮立会川蕎麦屋 吉田屋(ランチ)
⑰海雲寺:千躰荒神堂奉納扁額(大絵馬)、江戸三十三観音番外
⑱品川寺:江戸三十三観音第31番
⑲荏原神社:創立は和銅2年(709)、貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していたが、明治8年、荏原神社と改称。6月上旬には、海中渡御を含む荏原神社例大祭(南の天王祭)が行われる。
⑳寄木神社:鏝絵天鈿女命功績図(こてえあめのうずめのみことこうせきず)江戸後期から明治時代に活躍した左官の名工、伊豆長八の漆喰鏝(こて)絵。
㉑品川宿本陣跡:本陣1脇本陣2カ所が置かれていた。明治天皇が東京へ下った時に本陣に宿泊したことを記念し、今は聖蹟公園と呼ばれている。
㉒品川台場跡:幕末、江戸の町の防衛のために築かれた「品川台場」のひとつ。第二台場にあった品川灯台(愛知県犬山市の明治村に移築)のレプリカが台場跡に建つ。
㉓利田神社と鯨塚:1798年(寛政十年)に暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑。
㉔品川駅解散
添付:午前中の地図(五反田駅→昼食場所立会川吉田屋(蕎麦屋))
添付2:午後の地図(吉田屋→品川駅)