10月1日(金)は大阪出張で打ち合わせ。終了して懇親会で大阪の味と美しいママさんのお店で楽しみました。
![20150301003](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/20150301003.jpg)
明けて2日は帰るだけですが、会社の同僚が大阪城見て帰るというので連いて行くことに。
![大阪城地図](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00091E58DE38FE992n907D.jpg)
ホテルで大阪城案内図をもらいます。地図の右下の地下鉄森の宮駅から大阪城公園に入ります。
![森ノ宮駅方面からの大阪城](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00290X83m8B7B89w95FB96CA82A982E782CC91E58DE38FE9-1024x767.jpg)
公園の中では多くの業者が集まった花木市が開かれていました。せわしない大阪の街中の喧騒に比較すると、のんびりした雰囲気でホッとします。
東京の皇居前と日比谷公園がドッキングしたみたいな感じでしょうか?皇居と誰でも入れる博物館の大阪城の違いがあるわけですが・・・
![大阪城公園](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00591E58DE38FE98CF68980-1024x759.jpg)
公園から外堀を下に見ながら天守閣に向かいます。途中に「蓮如上人袈裟がけの松」が在ります。
![大阪城公園](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00791E58DE38FE98CF68980-1024x768.jpg)
本願寺8世法主蓮如上人が山科本願寺の別院として大阪御坊を開いた地とされているところです。
蓮如さんが袈裟を掛けた松と言うのは史実としては怪しいとの記述もありました。(現地説明板)
![東外堀](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a006938C8AO96x-1024x768.jpg)
大阪城天守閣ホームページに大阪城の時代ごとの説明があり、引用させていただきます。
山科本願寺が戦乱で焼失した際に、10世法主証如が大阪御坊に逃れてきて、これを石山本願寺とし、その後、城砦化を進め、11世顕如の時には一向宗の総本山として、信長を脅かすまでの勢力となった。
![一番櫓](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00888EA94D498E-757x1024.jpg)
1580年に、11年の戦いの後、顕如は石山を追われ、本願寺は堂塔伽藍全てを焼失。そのため石山本願寺の詳細は判っていないとのことです。
![南外堀](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a00993EC8AO96x-1024x748.jpg)
1583年、秀吉が信長の安土城の大天主を意識し、それ以上の城を目指して外観五層の天主を持つ大阪城を築城したのだそうです。
![a0108AO96x82A982E793V8EE58At](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a0108AO96x82A982E793V8EE58At-1024x768.jpg)
何故、大阪か・・・既に、信長が大阪の優れた地勢を喝破した文章が残っており、信長自身も大阪城築城が構想にあったのではと記載されています。
信長の感覚が傑出していたのか、大阪を護りの要とする考え方が当時の共通認識になっていたのか・・・
![桜門・・・さらに歩くと大手門が在ったようですが桜門から入りました](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a0138DF796E5-1024x763.jpg)
大阪城は冬の陣で難攻不落の城であることを証明するが、講和条件により掘を埋められ、夏の陣で落城する。
![空堀の石垣](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a0268BF396x82CC90CE8A_-1024x768.jpg)
徳川時代になり、秀忠、家光により、構築されますが、本丸の位置も大きさも秀吉の大阪城とは異なったもので、天主閣もさらに巨大なものが建造されました。
![蛸石.](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a01591FB90CE-1024x768.jpg)
この天主閣は落雷で焼失し、再建されることはなく、幕末を迎えます。
天主閣は焼失しましたが、現在残る石垣、巨石は全て、秀忠、家光の築城による遺構なのだそうです。
![蛸石越しの天主閣](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a01491FB90CE82A982E793V8EE58At-1024x746.jpg)
また、現在の天主閣は昭和時代に市民主導で、秀吉の天主閣を模して、徳川時代の天主の位置に建造され、平成時代に大改修をされたものだそうです。
![天主閣<博物館正面付近から>](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a01693V8EE58At-1024x768.jpg)
たどり着いた天守閣は博物館になっていて、各階に時代毎の展示やビデオで、ホームページに記載されているような大阪の歴史を易しく説明してくれていました。
天主閣から出て、色んな写真を・・・・
雀が水たまりで水浴びしてました。陽射しがきつく、かなり暑くなりました。
![a022909D82CC9085978182D1](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a022909D82CC9085978182D1.jpg)
帰りがけによった豊国神社、秀吉の背中はなんとなく寂しそうに見えてしまいました。
![豊国神社](http://pandapanda.link/wp-content/uploads/2010/11/a2796L8D9190_8ED0-1024x768.jpg)