坂戸 金剛山西福寺

新聞に入っていた千葉県の広報に「坂戸の念仏」※の記載があり、33年に一度の「お十夜」※※が11月3日に執り行われるとのこと。

場所が「金剛山西福寺」・・・敦賀の西福寺と同じく浄土宗のお寺だということです。

千葉県四街道の住人になったのは35年くらい前のことになります。

引越当時、千葉から水戸まで通ずる国道51号の佐倉市との境界に近いところに住んでおり、51号が八街に分岐する交差点が坂戸でした。

東京から深夜バスで帰って来れます。もう、縁が無さそうですが。

「お十夜」がどんなものなのかは判らないまま、33年に1回ということであれば、行ってみよう、川村美術館も近いはずだから、立ち寄ろうと、思い立ちます。

地図で確認する我が家からだと、全行程8kmくらい。

昔はホタルが飛び交った水田ですが・・・

四街道市内で転居して、今は比較的駅に近いところに居るのですが、以前の団地に住んでいたときに、夜中に酩酊状態で駅から何回か歩いたことがあります。

酔っての事ゆえ、さらに、大分昔で、記憶も定かではありませんが、1時間弱で、たどり着いたような記憶があります。

元の団地から西福寺まで、まだ距離がありそうですが、1時間半か2時間くらいで着くだろう、天気もいいし歩こうと。

古い記憶を頼りに、自動車道路を避けて、なるべくの近道をと、田んぼの真ん中を通り、林の中の道を探りながら、途中で花の写真など撮りつつ、進みます。

落花生の野積み干しの「ボッチ」、北総名物?

林の中に、ネットで囲まれた大きなサバイバル・ゲーム場があり、ゲームを楽しんで居る人達がいて、驚きます。

計画が宙に浮いているらしい、ゴミ焼却炉建設予定地の辺りは、団地開発が中断されている状況がマザマザと・・・

計画放置されている新焼却炉用団地から現焼却炉を見る

皮肉なことに、平成27年に運転を停止する予定だったゴミ焼却場の煙突が遠くに見えています。ここまで来ると、もう国道51号で、まあ、全行程の3/4程度までは来たのかと。

2時間ほどで、西福寺に近い、川村美術館までたどり着きます。

美術館の近くの広場に、祭壇として使用されるのでしょうか、大きな土盛りが2つ出来ていて、参列者用の椅子が並べられていました。

ここから更に10分程歩いた所にある西福寺に集合し、祭事をおえたあとに、この広場まで歩いてきて行事を行うらしい。

交通整理をしていた、関係者らしい方にお訊きすると、行列は既に西福寺をスタートしてしまったとのことです。

それでも、西福寺を目指そうと、道を遡り、途中で行列に遭遇、写真を撮りつつすれ違います。

行列に出会います。

お詣りして、御朱印をもらおうと思っていましたが、たどり着いた西福寺は行列に出払ってしまった感じで、人の気配がありません。当たり前か・・・

広場に戻ろうと歩きますが、途中にあった川村美術館の魅力が勝って、まあ行列の写真を撮ったし、もういいかと断念、美術館に方向転換。

『レオナール・フジタとモデルたち』展と広大な庭の秋を愉しみ、美術館のシャトルバスで佐倉駅まで送っていただきました。

展覧会鑑賞が終了して、美術館内にあるレストランで、ランチしようと思いましたが、かなりの人数の待機組がいて、諦めました。

平日に来ればこんなことはないとのこと。今日は「お十夜」目当てに来たから、祭日だけど、そうだ、もう何時でもこれる人なんだと。

結局昼抜きで、歩き通す結果となりましたが、久しぶりに歩けて、気持ちの良い1日でした。

千葉県教育委員会「坂戸の念仏(講)」

浄土宗の西福寺では檀家たちによって男組と女組からなる念仏講が作られている。坂戸の念仏は主にこの女組によって伝承されている。

応安年間(1368~1370)、良栄上人が西福寺を開基した際、鹿嶋明神に参籠し37日を断食した満願の夜、「冠をいただき、白装束を着し、鐘鼓を鳴らして踊念仏すべし」という夢のお告げを受けたことによると伝えられている。

12月を除く毎月9日の月並念仏(1月は18日)のほか、18日の観音講(1月は20日)、22日の大師講、そして1月16日のおえんま様(鉦おこし)、2月15日の涅槃講、春秋の彼岸会、4月15日開山忌の一万遍、8月14~16日のお盆、11月14、15日のお十夜などにそれぞれ行われます。

これらの日には坂戸地区の年配の女性たちが西福寺に集まり、阿弥陀来迎図・阿弥陀三尊図の掛け軸の前で念仏を唱える。

特に33年に1回のお十夜は「大十夜」と称し、檀徒・檀家総代なども加わって万灯を先頭に約200人の人達がお練り(行列)を行い、その後、念仏塚のまわりで念仏踊を踊る。

このときには「朝顔」「しもつけ」の2曲を踊る。和讃(やさしい和語で仏をたたえる歌)は対象によって曲目が異なり、数が非常に多くある。仏事のある家に呼ばれた場合などには、場に応じて「まくら念仏」「あなばた念仏」「石建念仏」「いざよ念仏」などを唱える。

坂戸の念仏では、ことばも純粋の念仏和讃と異なり、風流踊歌などの要素が入り独特のものとなっている。

※※十夜(じゅうや)法要)(浄土宗公式サイト)

10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院でひろく行われる 念仏会(ねんぶつえ) 。

「お十夜」「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」などともいい、正しくは、「十日 十夜(じゅうや) 法要」といいます。もともとは陰暦の10月5日の夜から15日の朝まで、10日10夜にわたる 法会(ほうえ) でした。

金剛山西福寺

この法会は、浄土宗で最も大切な経典(きょうてん)の一つ『 無量寿経(むりょうじゅきょう) 』の巻下に、 「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていることによって、その教えを実践したもので、10日10夜にわたり 不断(ふだん) 念仏を称えて 別時(べつじ) の念仏を修し、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要であります。


今から550年ほど前( 永享(えいきょう) 年間) 、 伊勢守平貞経(いせのかみたいらのさだつね) の弟貞国(さだくに) が、京都の天台宗の 真如堂(しんにょどう) で修したのが、この法会の始まりとされています。

その後、 明応(めいおう) 4年(1495)に、現在浄土宗の大本山の一つになっている鎌倉光明寺の第九世 観誉祐崇上人(かんよゆうそうしょうにん) が、後土御門(ごつちみかど)天皇に招かれ、宮中で、『 阿弥陀経(あみだきょう) 』の講義をされ、さらに真如堂の僧といっしょに 引声(いんぜい) 念仏を修し、 勅許(ちょっきょ) を得て、光明寺で法要を行うようになりました。

これが浄土宗でのお十夜の始まりで、今では浄土宗の大切な法要となっています。

お十夜は、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてこれをお (とな) えする大切な法会です。

今日ではその期間も10日間から5日、3日、あるいは1日と短縮されて行われていますが、この大切な念仏会に参加し、仏の国での千年の善行にも勝る善行を、ぜひ積んでいただきたいものです。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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