元旦に市内の神社巡りをした時でした。
春日神社、津之守神社、護国神社と巡って、志津八百稲荷神社に達した時に、向かいのガラス屋さんのおっちゃんが、ふらっと境内に入ってきます。
うちのお向かいによくお詣りしてくれたね、という感じですが、お話しているうちに、ここの神事を司る神主さんなのだということが解ります。
以前、この神社の神事はプロの神主さんに依頼してお祓いをしていたが、最近では自分が代わりに執り行うようになった。
駅の向こうの香取神社の宮司さんとお知り合いで色々アドバイスを受けていたが、あるとき、誰かに頼むんでなく、自分でやれば良いんだよ、と言われて、衣装など取りそろえてまかなうようになったということでした。
そういえば市民大学の忘年会で自分と同い年のおじさんが、最近神主をやってるんだと、訳のわからぬことを言っていて、話を伺い感心したことを思い出しました。
一通りの勉強を済ませており、神社庁へ神職への申請はしたが、順番待ちで、その順番が、神社の家系、学問の系譜などが重視されるため、事実上は、神職に就業できることはないだろうと言われたと。
正式な神職就任を諦める一方で、近所の神社の神主さんに、臨時に神事を頼まれるようになり、衣装を用意してもらって、ボチボチと依頼されたお祓いをするようになってきた、という話です。
出雲大社紫野教会(神主さんのブログ)に神主さん(神職)になる方法が書いてありました。
神職になる方法としては事実上神社本庁が発給している神職資格を得るということになる。
神社本庁、というと国の組織のように思えるけど、全国の神社の総意によって設立された宗教法人ということで、神社本庁の神職資格といっても、あくまでも民間資格になる。
ということで、例えば自分で新たに神社を建てて、装束つけて神職だと名乗れば、それで神職と言えるということになるらしい。
神社本庁から神職資格を取得する方法としては下記の方法がある。
- 國學院大學、皇學館大学の神職取得課程 (4年制)を卒業する。
- 國學院大學、皇學館大学の神道学専攻科(1年)で取得する。(大学卒業資格者)
- 神宮研修所、京都國學院、大社國學館など 神職養成所で取得する(2年、高校卒業資格者、年齢制限あり)
- 神職養成講習会(國學院大學、皇學館大学など)で取得する(1ヶ月程度)
4の神職養成講習会を受けるのが手っ取り早い様で、きっとおじさんもこれは受講したのだと思います。エリアの神社に空きがあれば、上から順に認められていくのでしょう。
といっても、おそらく学歴として、1から4へ下っていく序列があり、4番は順番待ちで後ろに回されてしまうということなのかと。
また神社の血縁者で、神職を継がねばならないと言う人は他人を持って充てる訳にいかず、当人を優先せざるを得ないでしょう。
ということで資格を得たと言っても学歴、血筋の壁で、正式な神職に就くことはかなり難しいということになるのだと思います。
ところで神社本庁って・・・
終戦後、進駐してきた連合国軍総司令部は日本改造に着手した。
その一貫として、昭和20年12月15日に「神道指令」を発し、軍国主義の排除、 信教の自由の確立のため、信教における国家神道廃止、 神社を国家から分離することを命じ、 内務局の外局であった、神祇院を解体した。
神祗院解体を受け、昭和21年2月3日、民間の神社関係団体であった「皇典講究所 」、「大日本神祇会」 および「神宮奉斎会」の3団体が集約し、「神社本庁」が設けられた。
各々、「皇典講研究所」は皇道の教化活動を行う機関として開講された学校で、國學院大學創立の母体でもある。「大日本神祇会」は伊勢神宮をはじめ官国幣社以下全国の神社の神官の団体 。 「神宮奉斎会」は伊勢信仰の伊勢講を母体とした教派神道の団体。
さらに、各都道府県に、地域の振興をはかることを目的に、神社本庁の地方機関としてそれぞれの「神社庁」を置き、神社に関する事務をとり、市や郡に支部が置かれている。(Wikipediaと神社本庁公式サイト )
話を下志津八百稲荷神社に戻します。
ここの最大の行事は2月2日の初午なんだよ。今年は2日なんで、3日の節分と続くんだけどね。と。
「季節」を表す二十四節気の立春とその前日 の節分は毎年日にちが固定されますが、初午は2月最初の午の日をあてるので、年により違いが出てくることになり、今年はたまたま連日になったということになります。
太陽の位置と無関係な陰暦では、春夏秋冬の循環による、暖かい、暑い、涼しい、寒いの往来と暦の間にずれが生ずる。これを補うために、下記の二十四節気が取り入れられた。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒。
二十四節気は太陽の周天360度を24等分し、一期を15日とし た位置にそれぞれ節気を配して気候の推移を知るようにしたものということです。
なじみのない、節気名もありますが、正月に購入した「平成31年神宮宝歴」を見ると、例えば「清明」は春分の15日後、新暦で4月5日ごろ、春期玲瓏として、花が咲き始め、万物に晴朗の気があふれてくる。とあります。
また、「白露」は秋分の15日前、新暦9月8日ごろ、野草に宿るしらつゆが秋のおもむきを感じさせる、「寒露」は新暦10月8日ごろで、朝晩、肌にそぞろ寒気を感じ始めるころ・・・など風情があり、良いなと思います。
とはいえ、最近では大分、肌の感じる実感がずれてきているような気もしますが。
一方、二十四節気に対し、季節の推移を把握するための補助的暦日として「雑節(ざっせつ)」が、生活に密着した事柄から造られている。
農事関連の 生産生活に関わりがあることが多く、節分、初午、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日、土用、彼岸、盂蘭盆などなどがあげられており、「神宮宝歴」にはクリスマスまで含められています。
雑節の一つ 「初午」は、旧暦2月の初めての午の日を祀るもので、本来初春の行事であったが、現在では新暦2月の最初の午の日にあたり、まだ寒い冬の行事となっている。
和銅4年(711年)、2月最初の午の日に 京都伏見稲荷大社の祭神、宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) が稲荷山( 伊奈利山)へ降りられた、ことに則り、初午が祀られるようになり、全国の稲荷神社でも初午が執り行われる。
ちなみに稲荷神社は全国に主祭神の神社が2,970社。境内社、分祀となると、なんと32,000社にも及ぶのだそうです。ついでに神社の中で一番多いのが八幡宮、7,817社、44,000社ということです。
また、「節分」は二十四節気の季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の各前日を指していたが、現在では、立春の前日のみを言うようになっており、中国古来の豆を撒き邪気(鬼)を祓い、新年の吉神を迎える風習が残ってきた。
豆まきの外に、柊の枝に 焼いたイワシの頭をさしたものを戸口や窓に飾る習わしもあるのだそうです。
ついでに、吉神である歳徳神のおられるその年の方角を「あきの方」あるいは「恵方」と呼ぶ。
恵方はその年の吉方位となり、甲および己年が甲方、乙および庚年が庚方、丙、戊、辛および癸年が丙方、丁および壬年が壬方となる。
今年の干支は己亥(つちのとい)すなわち己年なので、甲の方、東北東が恵方にあたるということになります。
自分が敦賀に行き始めた頃、20数年前だったと思いますが、「恵方巻き」なるものを敦賀で始めて知りました。
東京でも、千葉でも聞いたことがありませんでしたから、関西の風習なんだなと、理解しましたが、いつの間にやら、千葉でも昔からあった風習のように広がっていて驚きました。
江戸末期に大坂の船場で商売繁盛の祈願として始まり、一時廃れた。という話があるようです。
その話を基にして、1977年に大阪の海苔問屋が海苔の販売促進イベントとして復活を仕掛けた、あるいは広島のセブンイレブンが仕掛けたなどなど、説は色々あるようで、由来はあいまいですが、復活恵方巻きはせいぜい30年程度のことのようです。
美味しそうな恵方巻きが出回るので、なんとなく買うようになってきてしまっています。
縁を切らないため、丸ごとを無言で一気食いするという風習のようですが、従う気にもならず、美味しい大きさに切っていただいています。
と、下志津八百稲荷の初午でした。
是非、初午に行ってみようということで、奥さんと話がまとまりましたが、あいにく、2月2日は市民大学のある日で、どうも行事には間に合いそうもありません。
2月2日、市民大学受講のために文化センターへ向かう途中で、稲荷神社の脇を通ると、この間のガラス屋さん、たき火に当たりながら、祝詞の練習に励んでいました。
11時から始めるよとのお話を奥さんに連絡、文化センターへ向いました。
12時前に稲荷神社に戻ると、奥さんが誰もいない境内のベンチに手元に立派なお弁当を持ち、 一人で座っていました。
式典はすぐに終わってしまい、神主さん、氏子さん達は直会に入っていると。
市長も、衆院議員の秋本まさとし先生も来てるよって、そういえば近所の公園の脇に黒い車が2台停まってたけどあれがそうか。
翌日の豆まきにも秋本先生、顔をだしておられましたが、時間がずれ、至急、佐倉の麻賀多神社まで行かねばならないとかで、中途で退出しておられました。
衆院予算委員会の中継を見てたら、質問者の真後ろに、トレードマークのオレンジ色のネクタイした秋本先生の顔をお見かけしました。先生良い場所とったな・・・
奥さん、初午で氏子のおばさんと仲良くなって色々話をしたようで、節分の話を聞いて面白そうだと。
春日神社を皮切りに津之守神社、稲荷神社三社で、各々16時、16時半、17時と順番に豆まきが行われ、地元の人達は三社を順次回って、豆を集めるのだそうです。
初午は空振りでしたが、面白そうだから豆まきにきてみようと、連チャンの神社詣でをすることになりました。
春日神社では30分前程から竹とんぼ大会で子供達を盛り上げた後、社殿の四隅から豆まきをして、その後、仮設舞台から、長老達が豆まきをします。
豆といっても透明のビニル袋に入った豆の他、金平糖やうまか棒などの駄菓子などに時々、紙を結んだ五円玉が入っているようでした。
なるほど、春日神社から、津之守神社へ歩いて行くと、家族連れや、おばさん達が一緒にぞろぞと向かっていきます。
津之守神社は敷地が小さくなってしまったせいか、道路を渡った、護国神社の前の公民館で開催。「春日神社より、五円玉が多いからね」との宣言で始まりました。
最後の八百稲荷神社には前述のように、秋本先生も来られていましたが、神主さんのお祓いから始りり、氏子代表達の豆まきがあるという一番、神社らしい豆まきの感じがしました。
今日の三社は旧千代田村に属する地域だったところで、共通して豆まきをしているのだけど、線路を挟んだ旧旭村エリアはまた独自に行事をしているのだろうと言うことでした。
成田山の豆まきも行ってみたいし、近隣の豆まきもまだまだ色々ありそうで、来年からも季節を楽しんでいきたいと思っています。