高見順の生家から、日和山金凰寺に向かいます。
高台にあり、街を見渡す感じで遠くに河口が見えます。嶋雪斎の墓とあります。
嶋雪斎は木彫家で幕末から明治にかけて活躍したのだそうです。
後ほど嶋雪斎の生家に行き当たりました。
快適に歩きだしたのは良いのですが、ビールがいけなかったか、小用を催してきます。公衆トイレが見当たりません。
臨時駐車場となっている商工会館で借りようとしましたが、建物の中には入れませんでした。
酒まんじゅうを覗きに入った駅前通りの酒まんじゅうの「にしさか」で恥ずかしながらトイレを借りてしまいます。
お礼代わりに美味しそうな酒まんじゅうとドラ焼きを購入。翌日、五縁での飲み会に持って行きました。
すっきりしてお土産ぶら下げて三国湊きたまえ通りに入ります。
岸名家の少し手前に、格子窓の「竹よし」があります。
三味線を触らせてくれるらしい・・・抹茶とお菓子とも書いてあるので、ともかく入ってみます。
お抹茶を注文して落ち着いた中庭を見ていると、竹世志さんから「三味線の演奏をお聴きになりますか」と聞かれます。
目の前で三味線を弾いていただくなんて・・・喜んでお願いします。準備をしながらポツポツとお話を伺います。
「本当は長唄が専門なんですが、みなさんに教えるのは小唄が多いです。
最近若い娘さんが随分増えてきているんですよ。」ネットで調べると竹世志さん、三国だけでなく、福井や芦原で教室を開かれているようです。
三味線、長唄、小唄、端唄と記載されています。
「本当は着物だったらよかったんですけど・・・」とそれぞれ事前に唄の意味をおしえていただきながら小唄を三曲聴かせていただきます。艶のある三味線と竹世志さんの唄声が素晴らしい。
演技が終わってからまた色々な話を聞かせていただきます。
俳人哥川の話から始まり、江戸で「花魁」という言葉は位の高い遊女を指すけど、同じ様に「三国小女郎」という位の高い遊女が居たのだそうです。
後で西光寺に寄りますが、ここに三国小女郎の墓があるようですが気が付きませんでした。
個人の名前ではないということですから、代々将軍の墓みたいなものなのでしょうか?
それtも特定の三国小女郎の墓なのかしら?
「三国は技術の高い芸妓が多かったんです。
昔芸者をしていた方でもう80歳を超える方がお二人御存命で、私はお座敷遊びの伝統を残そうと思っていて、お二人に時々お話をうかがってお勉強しているんです。」
こういうお話は無条件に嬉しくなってきます。頑張って欲しいと思います。
「覗く人は居るんだけど、なかなか入ってきてくれないんですよ。」って。
自分もどういうところか判らなかなくて、入りづらかったので、余分なことを言ってしまいます。
「三味線触れます」っていうのは余りださないで、「お抹茶」を喫するお茶屋さんを前面にだして、お望みの人に小唄も聴かせるという形にした方がいいのでは?」と・・
話を色々お聴きして、「最後に三国節を」って2節だけ聴かせていただき、ようやく失礼することに。
唄っている時の写真は口が曲がるから載せないでと言って笑顔を見せてくれたのが上の写真です。
でも唄っている時の演奏に打ち込んでいるお顔もいいなと思うので、前回の冒頭に載せてしまいました。
「美しい日本の歴史的風土」の時に旧岸名家の写真をお借りしてから一年以上経って、ようやく本物の岸名家にたどり着きました。
坂井市のホームページの記載を引用させていただきます。
『越前国三国湊で材木商を営んだ、新保屋岸名惣助が代々住んでいた町家です。
越前平野を流れる九頭竜川が日本海に注ぐ河口に位置する三国湊は、江戸時代には日本海海運に活躍した北前船が出入りする寄港地として、また、河川舟運を通じて内陸部とを結ぶ物資の集散地として繁栄していました。
旧岸名家がある下新町は、かつては船問屋等の店が軒を連ね、隣接する元新町とともに幕末から明治にかけて三国湊の商業の中心でした。
この付近には妻入りの正面に平入りの前半分をつけた「かぐら建て」と呼ばれる町家が建ち並び、河岸に面して川面に白壁を映した土蔵群とともに三国湊を特徴づける景観を形成していました。
旧岸名家もまた「かぐら建て」で、水琴窟を備えるなど、三国湊の町家の特徴を多く残しています。』
岸名家に入ると案内の人が居ません。
入場料を払って、チケットと案内を自分で持って中に入れと書いてあります。案内をよく読まなかったので庭にある水琴窟には気が付きませんでした。
2階に上がると、金沢のギャラリー鏡花で見た群青色と朱の壁のコントラストがあります。北陸の家の内装の特徴としてあるのかもしれません。
それとも平城京の「青丹よし」みたいなどこにでもある手法なのでしょうか?
旧岸名家は江戸時代の建築ではあるけれど、明治、大正時代に改造されているそうで、各時代の傾向が反映されているものなのかも知れません。
前回俳句の間と記載した部屋はここで立机式(俳諧の宗匠の就任式)を行う時の再現をしているものなのだそうです。
岸名家を出ると隣に資料館である三国湊町家館がありました。
と言うところでまた続くです。