正月2日朝、お節をして、一人だけお酒を・・・と言っても日本酒が残り少なくて、ビールを・・・正月3ヶ日は「日本酒を飲まなければいけない」と決めているのでちょいと寂しい。
昼ごろから箱根に出向きます。娘の旦那さんは日帰りでスノボーとのことで箱根には行かないので、猫達は彼に任せて連れて行かないことに。
天気は良いのに、富士山は雲の中で姿を隠していました。適度の渋滞で4時ちょいと前に箱根に着きます。
開館時間が心配でしたが、ダメ元でポーラ美術館に向かいます・・・「くま」のささやかな要望です。
4時半まで入れるとのことでセーフ、閉館時間5時ですから1時間は楽しめます。
運転で疲れた娘は喫茶コーナーで休んでいたいということで、奥さんと二人で展覧会へ。
お正月はポーラ美術館は無料開放されています。また、国立近代美術館も同様正月は無料である旨の掲示がありました。
昨年8月に訪れた時には「ポーラ美術館所蔵の日本画」でした。余り積極的に観ることのなかった杉山寧、東山魁夷の絵を楽しんだ他、始めて知る徳山神泉の絵に興味を惹かれました。
何時もの言い訳で、ミミタコですが、以前から絵を観るのは好きではあったのですが、自分で絵を書くわけでもなく、絵の何が判るわけではありません。
でも、このブログを始めて、また、特に、昨年の三菱一号美術館の「マネ」展に行った頃から、絵を観ることが一段と楽しみになって来たような気がしています。
ブログを続けることにより、想いの経緯が確認できること、書くことにより考え方が整理される・・というようなことで、まあ日記をつけるということの、ちょっとした効用と言えるかもしれません。
高月で観音様を求めて歩いたのをはじめとして、室生寺の金堂の仏像群の拝観で、何故か感情が昂ぶってしまったように仏像への関心が自分の中で溜まりつつある・・・
ような気がしているのも、ブログを書くことにより醸成されているように思います。
一番の効用としては、老人ボケのリハビリに少しは効くかもと言う面なのかと・・・
と、まあ、脱線を戻して・・・今回は前回に紹介していた、「アンリ・ルソー パリの空の下 アンリ・ルソーと仲間達」展です。
月刊「ペン」でポスト印象派の流れの中でルソーはロートレックと共に独自な世界を描いたとされていました。
Wikipediaのルソーの記述をお借りします。(一部加筆、削除)
「ルソーは1844年、マイエンヌ県ラヴァルに生まれた。
高校中退後、一時法律事務所に勤務する。1863年から1868年まで5年間の軍役を経て1871年、パリの入市税関の職員となる。
現存するルソーの最初期の作品は1879年(35歳)頃のものである。1886年からアンデパンダン展に出品を始め、同展には終生出品を続けている。
1888年、最初の妻クレマンスが亡くなった。生まれた子供も幼くして亡くなり、2番目の妻ジョゼフィーヌにも1903年に先立たれるなど、家庭生活の面では恵まれていなかった。
ルソーは税関に22年ほど勤務した後、絵に専念するため1893年には退職して年金生活に入る。
税関退職前の作品としては『カーニバルの夜』(1886年フィラデルフィア美術館)などがある。
『戦争』(1894年オルセー美術館)、『眠るジプシー女』(1897年ニューヨーク近代美術館)、『蛇使いの女』(1907年オルセー美術館)などの主要な作品は退職後に描かれている。
ルソーの作品は、画家の生前はアポリネール、ピカソなど少数の理解者によって評価されたのみであった。
ルソーの年譜に必ず登場するエピソードとして、1908年、ピカソ、アポリネールらが中心となって、パリの「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)で「アンリ・ルソーの夕べ」という会を開いたことが挙げられる。
これは、からかい半分の会だったとも言われるが、多くの画家や詩人がルソーを囲んで集まり、彼を称える詩が披露されたのだった。
日本でも早くからその作風は紹介され、藤田嗣治、岡鹿之助、加山又造など多くの画家に影響を与えた。」
ポーラ美術館はその創始者鈴木常司とルソーの紹介者である岡鹿之助との交流でルソーに惹かれたため、コレクション多いのだそうです。
ルソーの絵は代表作のWikipediaの絵を見ていると、なんとなく、1800年代の初期の方が色鮮やかで、テーマが明確なような気がします。
後期になると画面全体に色彩が中和されていき、装飾的(?)になっていく、そんな気がします。
外の世界に出て行ったゴーガンとパリに留まり、想像の世界でジャングルを創り上げたルソーを比較する観点でジャングルの中のエヴァという絵が示されていました。
ゴーガンは下の絵がいいなと思いました。
アンリ・ルソーを認めた若き芸術家としてピカソ、ブラックの作品の紹介もありました。
ルソーを「素朴派」というくくり方をするようです。「素朴派」というのはちょっと意味が判り難い気がしますが・・フランス語の直訳なのかしら?
今回の展示ではルソーの「素朴」を引き継ぐ画家としてポーシャン、ボテロの紹介がありました。
なんとなく共通する雰囲気を感じますが、「素朴」という言葉で共通なのか?というところです。
ポーラ美術館とルソー結びつけるきっかけとなった岡鹿之助の絵も好きな絵です。
風景の中にある発電所なり掘割などの人工構造物がなにかその絵の侘しさを強調させている感じがします。
ルソーの影響受けているという藤田嗣治は次回の展覧会のテーマということです。
ポーラ美術館の展覧会を定期的にトレースすることで、色々勉強になる様な気がしていて、次回も楽しみです。
いつもの絵葉書を買って、待たせていた娘と一緒に外にでると夕闇に覆われていました。