6月26日、世話になった母方の伯父の49日が市谷のお寺であり、5月の葬儀に参列できず、申し訳ない思いで参列します。
最近会っていなかった兄も参列するということで、久しぶりに会えるのも楽しみでした。
一応の下調べはするものの最後の詰めが甘く、伯父の菩提寺には昔何回か行ったことがあることの記憶を頼りに、歩きますが、なかなかたどり着きません。
曙橋で降りて10分と言われていたのに30分程たちました。パリとか己高山とか金糞山とか最近迷う事が多い事・・・
兄に電話すると、牛込柳町でおりて迷っているとのこと・・・
まあ似たもの兄弟で、お寺からの捜索部隊が派遣されて二人とも救出され、10分遅れで法要が始まります。
皆さんを待たせてしまいました。
従兄弟(従姉妹)達ともずいぶん久しぶりで、子供達が成人しているのに驚かされました。
奥さんは抜けられぬ用事があり、参列できませんでしたが、夕方に渋谷で落ち合ってBunkamuraミュージアムの「ストラスブール美術館展」を鑑賞に行きます。
東急本店の手前のヤマダ電機で奥さんを待っているとさすがにシブヤ・・・色んな人種が歩いています。
昔プラネタリウム辺りのところを東急文化村って言ってた気がするけど、場所も後から出来た本店に移って、Bunkamuraになってしまったし・・・
ストラスブール(ドイツ風にいえばシュトラッセ(通り)ブルグということ)という街はフランスと言ってもドイツ国境に近いライン河畔にある都市で、ドイツとの領有争いの的となり、所属が変遷した歴史を持つのだそうです。
ライン河の水路だけでなく、道路の東西南北方向、鉄道網でも重要な位置づけを持つ都市ということです。ブリュッセルに本部のあるEUの会議場がストラスブールにあることもそれを証明しているのかもしれません。
「ストラスブール美術館展」はシスレーの「家のある風景」をポスターにしています。
全体的には、印象派の絵は少なくて、普段知ることの少ないアルザスのローカルな画家達、ドイツをはじめとした外国の画家達が混淆した不思議な感じのする美術展だったような気がします。
これはきっとストラスブールの歴史とヨーロッパに果たす役割から来るものがあるのではないのかなと思いました。
画家達が漂流の中途でストラスブールに足跡を残している、それも一時期滞在しているということがあったのだろうかということでした。
美術館の蒐集する絵画は特に、自分の美術館、あるいは美術館のある土地ににゆかりがあるかどうかということは関係がないとは思います。
自分にはなんとなく「ストラスブール」の特異性が表れていたような気がしたのです。
展覧会は「窓からの風景」「人物のいる風景」「都市の風景」「田園の風景」「木のある風景」という分類の構成でした。
どちらかというと絵画の対象別というか、技法的な分類でのとらえ方で眺める形になっており、ちょっと判り難い整理の仕方の様なきがしました。
また、個々の絵に全て解析的な説明が付いていました。大変な準備が必要だったと思います。
ただ、全ての絵の意味を解析するというのは少し無理があるのかなと思いました。絵の解釈を押し付けられる感じで、ちょっと気になる点でした。
絵が描かれた背景を説明してくれるのは参考になり有り難いと思いますが。
そんなことはまあ、別にして、好きか、好きでないかしか判らない自分には目新しい画家達の絵が新鮮でおもしろい展覧会ではありました。
カンディンスキーのこの絵は、実際にはもっと色鮮やかな点描派と言う感じでした。
カンディンスキーにこういう時代があったとのかとちょっと意外でした。
トップのWikipediaの写真と言い、ストラスブール、ストラスブール美術館に惹かれ始めています。
・・・ほんとに次から次と行きたいところのできる浮気な男です。
展覧会の後、以前行ったことのある、「うな鉄」を探しましたが、無くなっていたようです。世の中は公示直後の参院選がうるさくなってきた頃でした。
卒業してまもなくの頃、渋谷を飲み歩いていて、大学の同級会を主催したことのある、ワイン焼きの「ヴァン」がまだ元気に営業していました。
懐かしのマスターの顔が見えて思わずニコニコしてしまったのですが、もう30年以上も前の客を覚えているはずもなく不審な顔をされてしまいました。
その後、お魚の美味しそうなお店で日本酒を満喫して帰宅しました。
【追記】
2012年4月20日~5月20日まで、、福井県立美術館に本展覧会が来ているようです。全く同じ形なのかどうか判りません。
期間が短いので難しいかもしれませんが、再度の鑑賞に訪れてみたいと思っています。