兄が逝きました。母が異なる15歳離れた兄でした。
世田谷代田の小さなホールでお別れの会が催されました。兄が生前に決めていた場所で、やはり兄の指示で無宗教で限られた友人だけを招いての会でした。
胆道癌が転移し、放射線治療、抗がん剤、ワクチンなどの闘病を5~6年続けていたということでした。
最初から医師に余命いくばくもないことを宣言され、自分の死後のことを全て段取りしつつの覚悟の時間を過ごしたようです。
昨年ストラスブール美術館展に行った時の伯父の49日の時に会えたのが最後でした。
その時に初めて病気の話は聞きましたが、自分の苦労と胸の内は明かさず、笑顔と、落ち着いて治療の様子を話す態度に接し、兄の覚悟には気が付きませんでした。
昨年末に入院して、正月を過ぎた先週、一人息子の甥と義姉が明日も来るからねと病院から去った直後に急変・・・とんぼ返りするも間に合わず、一人で旅だったのだそうです。
多様な趣味の兄でしたが、高野山の競書大会で特選を連続受賞していたこと、多くの般若心経の写経が残されていたことをお別れの会で初めて知りました。
自分は書のことは全く判りませんが、特選の書の見事さに素人ながら感銘を受けました。
葬儀を無宗教でということと、般若心経を繰り返し写経していたということの係わりについて不思議な感じがしました。人には明かさぬ心のなかでの葛藤もあったのかもしれません。
心の問題と儀式は別、と言う兄の割り切りなのかと思います。
兄のことをよく知る疎開時代、高校、大学の友達10人程が思い出を語り合いながら見送る心温まる会になり、兄も満足だったと思います。
兄の逝去も知らせず、お別れ会に来られなかった方々へのお別れの挨拶状を自ら300通程度用意しており、義姉と甥が葬儀終了後に発送するのだそうです。
たった一人の兄ですから、生前、もっと話をしておきたかったと残念ですが、兄が自分の選んだ自分なりの最後を迎えたことに、尊敬の念を覚えます。
悲しみに耐え、兄の遺志にしたがって粛々とお別れ会を施行した義姉と甥には、葬儀後、自分とは比較にならない、一層の寂しさが襲うのだと思います。
兄の遺した、この暖かい集まりを思い出すことで、兄の意志、人柄が心に沁みてきて、寂しさを少しでも和らげてくれる様な気がします。