伝教大師像

己高庵で食事した後、高月に戻ります。先ほどの雨の勢いはどこへやら、強い日差しが生ビールの誘惑に負けた身体にきついです。

前回空振りだった高野神社へ向かいます。 高野神社は元は己高山満願寺というところで、己高山寺群が里に下りたものの一つの様です。

先に訪れた石道寺も、このあとに訪れる雨森の観音寺、日吉神社の円満寺、理覚院も高月にありながら己高山寺群のようで、お寺の名前にに己高山の名前が付いています。

高野神社

一番最初に訪れた尾山釈迦堂も己高山安楽寺跡にあるということです。寄り道で木之本側に行ったおかげで己高山を知ることになりました。

高野神社2

滋賀の琵琶湖周辺は戦国時代の武将が闊歩したていた地域というイメージが強いですが、宗教の世界では奈良時代、平安時代から歴史に重みをなしてきた地域の様です。

高野神社(満願寺)薬師堂

戦場として有名な賤が岳が木之本の琵琶湖側にありますが木之本を挟んだ東側に己高山が対峙するように鎮座する形になります。

己高山は自分にとっては、史跡巡りと登山の両方を兼ねた美味しいところになりそうです。
高野神社(満願寺)薬師如来・

満願寺薬師如来

それにしても泰澄は白山、周辺の平泉寺等のみでなく、己高山の開基にも行基と並んで名前ができてきます。

そう言えば尾山釈迦堂は白山神社でしたし、この後行く保延寺の釈迦堂も白山神社の一角にあり、白山神社信仰がこの地域まで広まっていたようです。

保延寺阿弥陀堂脇白山神社

五木寛之の「百寺巡礼」に、色々なところに名前がでてくる役の行者は、一門の人たちの活躍を総体して全て役の行者の行跡とされているのではないか?

それと同様に、泰澄の場合も弟子たちの行跡が混在している部分があるのではないかという記述がありました。

なんとなく納得できそうな話です。

高野神社大師堂

というところで伝教大師像なのですが、像の前に表示があって、伝教大師像と称されているが、実際に後年の慈恵大師のお姿を表していると考えられるということです。

正直言うとお寺や神社の雰囲気が好きなので、昔は仏像、観音様にはあまり興味がありませんでした。

仏像の見かたというのがよく判っていません。

伝教大師像

国宝、重要文化財、その他の違いがどこにあるのか理解できないでいます。区別する判断基準が美術的価値ということであれば、違いの判らない「三流芸能人」ということになります。

財産価値とは関わりなく、対峙していて、落ち着く、安らぎを感じる像が良いなと自分だけの基準でお参りしています。

伝教大師像は厳しい目で一点を見つめています。

伝教大師像

強固な意志を感じて、見る者のくじける気持ちを奮いたたせ、付いてこい!と言われているような感じがします。安らぎとは違って、勇気づけられ、ずーっと見ていたい・・そんな感じがします。

2年を経てようやくお目にかかったという感激も混じっていたかもしれません・・

伝教大師像

大師像を後にして、そのあと保延寺の阿弥陀堂、観音堂を拝観。保延寺の観音像は20cmくらいの小さく可愛い観音様でした。

保延寺も渡岸寺と同様、お寺の名前でなく、地名だということですが、どちらも歴史の中でそういう名前のお寺が一時的にあったのではないのかなと思います。

ちょっと道をそれて、雨森の己高山観音寺の11面観音像をお参りします。

このまま進むと日韓交流の源を築いた雨森芳州の生家の記念館があり、疏水の流れる雨森の可愛い集落にでます。

2年前の高月歩きの時に、ハングルの併記された、標識があり、奇異な感じがしましたが行ってみると理由が判りました。

今回は観音様が主なのでパスして道を戻り日吉神社に向かいます。写真は2年前のものです。

雨森芳州は、江戸中期の新井白石と同門の儒学者で、対馬藩の外交方として、朝鮮との外交や貿易に尽力、秀吉の侵略行為により悪化していた朝鮮の感情を和らげ、交流の基礎を作り上げた人です。

その功績は韓国の盧泰愚大統領来日時の宮中晩餐会での答礼の挨拶で、「270年前、朝鮮との外交に携わった雨森芳州は誠意と信義の外交をした。」と称えられ、さらに、訪韓した小泉首相もスピーチで、芳州の「誠心の交わり」の言葉を引用したということです。

日吉神社・円満寺の11面観音、阿弥陀如来、理学院の十一面観音、八幡神社・来光寺阿弥陀像を拝み、渡岸寺にたどり着きます。

高月はケヤキの木が多いことから高槻と命名され、その後月見の名所として歌が詠まれたことから高月になったという由来があるそうです。

高月のケヤキ10選の一番の大木が来光寺の入り口にありました。

来光寺入り口のケヤキ

渡岸寺の観音様はお顔はちょっと冷たい感じがするのですが、その質感はすごいなと思います。歩き廻っていさかか疲れて、今日の行程はもう終わり。と、しばし観音様から離れた場所にある椅子に座って、ぼんやり眺めていました。

若い女性がなにか訴えるように、というのか、すがるように観音様を見上げています。魅入られて言葉もない様子です。前に来た時も中年の女性が同じように魅入られた様子を見せていました。

渡岸寺十一面観音像

お祭りは5時までで、渡岸寺の向源寺の境内の屋台も片づけにかかっています。結局全部の仏像、観音様をみることができず、半分あるいは1/3程度しか回れませんでした。

まあ、木之本の分を含めるとずいぶんお参りしたことになります・・・

浄光寺十一面観音像

渡岸寺のあとにもう無理かな、と思いながら伺った浄光寺は片づけの手を休めて迎えてくれました。

十一面観音様はなんとなくとぼけた感じで思わず微笑んでしまいます。

片づけの人と話しながら、来年こそ全部の観音様を制覇しようと思いますと気負う「あらかん」でしたが、来年は長浜と高月の合併があり、このおまつりが維持できるのかどうか判らないとの話でした。

長浜市の観光案内にも登場する観音像群ですからきっと来年もあるものと思いますが、みなさん町の行末と相まって一抹の不安を感じているようでした。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA