2 年前、桜に今一歩の4月1日、高月に国宝11面観音を拝みに行きました。
観音様のある向源寺(渡岸寺)はお祭りで賑わっていました。判り難いのですが渡岸寺は地名で向源寺がお寺の名前になります。
電車で行き、高月駅構内にあった「観音の里」高月の案内パンフレットを見ると、町内の色々な観音様が紹介されています。
この機会にできる限り歩いて拝観させていただこうと思いました。
パンフレットにある地図を見て、渡岸寺の国宝11面観音を拝観後、まず駅から離れた場所にある高野神社の大師像まで歩き、その周りをつぶしながら駅まで戻ってこようと考え、出発します。
きっと5kmくらいはあったと思いますが、途中、雨森芳州庵に寄ったりしながら、歩いて行きました。
高野神社までたどり着くと、お堂が閉まっていて、社務所らしきものもなく、人影がありません。
パンフレットに書いてある番号に電話してみると、渡岸寺は何時でも公開されているけれど他は事前に電話して開けてもらう必要があるとのことでした。
町内の世話役に電話すればすぐ駆けつけるとのことでしたが、すぐ来いというのは申し訳ない気がして、今度ちゃんと計画して、事前に電話してこようと思い、あきらめました。
その後きっかけがつかめずにいましたが、先日、敦賀駅にあったパンフレットで「観音の里 たかつき ふるさとまつり」8月2日(日)というのを見てこれは・・・と、電話してみると、高月町のすべての観音様、仏像を公開しますということでした。
「ふるさと祭り」は3つのコースの巡回バスがあり、3コースに乗ればすべての観音様、仏像を回れます。バスは各コース30分間隔で運行されるとのこと。
このほかに、案内付きのバスツアーがあるようですが、ネットで見るともう満杯ということでした。
歩くことも目的のひとつなので巡回バスで自由に行く方を選び、とりあえず、この間空振りした、高野神社が入っているコース1のバスに乗り込みます。
最初の尾山釈迦堂(安楽寺)でバスを下車。表に白山神社の名前があります。
この後もお寺、あるいは観音堂が神社の中にあるものが多いようでした。
明治の神仏分離により、一部では激しい廃仏毀釈運動も起きたということですが、人間の精神性までを強要できるものでなく、庶民に支えられながら、こうして神社に隣り合わせで仏教が生き続けてきた・・・
ということなのだと思います。
金沢のライトアップの苦い思い出から、重い三脚を持って歩きましたが、結局仏像の前で三脚をセットするのは仏様、観音様あるいは一緒に拝んでいる方たちに対して、なんとなく気が引けて手撮りに・・・
この後、土砂降りの雨の中で三脚がうっとうしいこと・・
釈迦堂を出ると雨が降り始めました。この日、滋賀県は大雨の注意報が出ていたようでした。次の石道寺は1kmくらいかなと巡回バスを待たずに歩きだします。
可愛い折り畳み傘なので、無用の三脚をぶら下げ、カメラをかばいながら歩く背中はすぐにびしょ濡れになります。
石道寺の入り口のところに神社が・・天気ならお参りするところですが、ちょっと上る気になりませんでした。
石道寺も大雨ですが、アジサイの中の観音堂の佇まいがいい感じです。
もともと天台宗のお寺であったものが真言宗として再興されたもので、実際の伽藍はもっと山の奥にあったのだそうです。
滋賀はやはり延暦寺の影響が強く、奈良仏教の開基で興福寺の末寺だったところも最澄により天台宗に改宗というお寺が多いようです。
ここの11面観音は唇に紅を指し、ふくよかなお顔でなにか母性を感じさせるいいお姿です。
観音堂の内は撮影禁止ですが「外から撮るのは止められないね」という係りの人に感謝しながらお写真を・・
この奥400mに鶏足寺跡があるとのこと。
面白そうな匂いがして向かいます。観音様ツアーには関係ないので、他の人たちはバス停の方に降りていきます。
しばらく歩くと飯福寺(鶏足寺)の看板がありました。
それほど規模は大きくない感じですが参道と御堂の跡が残っています。
こういう雰囲気は大好きなので嬉しくなります。
人一人いないと思っていましたが、本堂までたどり着くと団体さんが休憩していました。
後で知りましたが、ここは最近紅葉で有名なのだそうです。
今度の紅葉の季節の第1候補は秋月の石山寺、そして飯福寺を巡るコースになりそうです。
素直に石道寺に戻ればよかったのですが、山を下る様な形の分岐があったのでままよとそちらを選んでしまいます。
これが木之本側に下る道で、鶏足寺の寺宝を飾った己高閣、世代閣のある輿志漏神社をお参りすることになります。
途中の道は竹藪と杉木立の美しいところで癒されます。
観音の里のお祭りは高月だけのお祭りなので、木之本に来るとお祭り気分は全くなくなり、巡回バスも関係なくなります。
まあいいかと輿志漏神社にお参りを・・・
正直いうと、自分の中でかなり混乱し始めます。
鶏足寺は実はこの輿志漏神社、己高閣、世代閣という鶏足寺の仏像群を収納した御堂があるところあるいは己高山山頂が、本来の己高山鶏足寺らしいのです。
Wikipediaおよび滋賀大の調査報告で鶏足寺を確認すると下記のような記述がありました。ちょっと長いですが・・・
「木之本町の東方に位置する己高山(「こたかみやま」、あるいは「こだかみやま」)の山頂付近および西麓には、古代から中世にかけて多くの寺院があり、天台系山岳仏教の聖地であった。
これらの寺院は近代以降すべて山麓に下り、または廃絶している。応永14年(1407年)の奥書のある『己高山縁起』によれば、近江国の鬼門(北東)に位置するこの山は奈良時代に行基および泰澄によって開かれたという。
鶏足寺は己高山の中心寺院であった観音寺の別院であったもので、伝承によれば天平7年(735年)、行基によって開基。
いったん荒廃したものを延暦18年(799年)最澄が再興したという。
文永6年(1269年)下野国・薬師寺の慈猛が、それまで天台・真言宗、兼帯であったのを真言宗に改宗した。
奈良・興福寺に属する寺院を書き上げた『興福寺官務牒疏』という資料(嘉吉元年・1441年)には、己高山の五箇寺として法華寺、石道寺、観音寺、高尾寺、安楽寺の名があり、観音寺の別院として鶏足寺、飯福寺、円満寺が挙げられている。
鶏足寺跡とされる寺院跡は己高山の山頂近くにある。
また、山麓の古橋地区から徒歩15分ほどの山中にも「鶏足寺(旧飯福寺)」 と称する寺跡があり、現在では秋の紅葉の名所として知られている。
山麓の古橋地区の与(輿)志漏神社(よしろじんじゃ)境内には薬師堂、大日堂のほか、己高閣(ここうかく)、世代閣(よしろかく)と称する2棟の収蔵庫が建ち、鶏足寺や関連寺院に伝わった仏像などはこれらの収蔵庫にて収蔵・公開されている。」己高閣、世代閣の仏像は撮影禁止です。
展示会みたいな並び方でなんとなく仏像が窮屈そうな感じもします。以下は滋賀大のレポートからの抜粋です。
「鶏足寺の薬師如来像は唐招提寺旧講堂の薬師如来像
に近似しており八世紀末から九世紀のごく初期の作と考えられている。
また、十二神将像は三体ありいずれも木心乾漆像で滋賀県内ではこの三体しか確認されていない。
これらは延暦十年(791)銘の興福寺北円堂四天王像よりやや古いものと考えられている。
十一面観音像は衣文表現がやや単調で形式化されており時代が下るものと思われる。」
最澄が再興したという記事がありますが、己高山全体が湖西の比叡山の様な大きな寺域を示していたのだと思います。
前に書いた奥越の平泉寺を想起させる話です。
己高閣、世代閣に収めた仏像は何時でも拝観ができますが、薬師堂、大日堂に収められた仏像は限られた期間に開帳されるそうです。
普段はお堂の窓の隙間からのぞけるだけですが薬師如来はさらにお堂に入っており拝むことができません。
木之本でうろうろしている間に雨はすっかりあがり日差しが強くなってきました。さあ高月に戻らねば・・・己高閣の隣にある己高庵で昼食をとり、再び歩き出しました。