立教大学池袋キャンパス

11月10日(土)高校の同窓会「都市・建築城北会」が立教大学で開催されました。

第二土曜日で、仏教文化講座がある日なのですが、年に一度開催のこちらの会を優先しました。

池袋西口

この会、今回で第17回を迎えるのだそうで、レジメに今まで開催された会の履歴が載っていました。自分は、下記の会と合わせて、今回で4回目の出席となります。

立教大学正門前

東京駅とステーションホテル見学を含んだ「東京駅にの歴史と復元」、東大工学部一号館見学とキャンパス自由見学を含んだ「東京大学本郷キャンパスの140年」、学習院大内の乃木希典院長官舎跡など歴史的校舎見学を含んだ「学習院の校地の変遷」。

資料を見ると。自分が参加した会以外に・・・

メーザーライブラリー記念館

三菱一号館を含む三菱地所の丸の内開発が2回、国立新美術館、スカイツリーと向島周辺の江戸時代建築、湯島聖堂・神田明神、国立西洋美術館と徳川霊廟、三河島汚水処分場施設・・・

本館

東大前田侯爵邸・東京大学生産技術研究所見学、岩崎家霊廟・松本記念音楽迎賓館など見学の「近代の世田谷・多摩川河畔」などなど、面白そうなテーマが並んでいます。

本館

トイレで幹事さんと並んだときに、もうネタ切れだよと、おっしゃっていましたが、まだまだ東京には面白そうなところがありますし、諸先輩にご専門の先生方も居られるので、きっと枯渇するこなく継続されて行くのだろうと期待しています。

12号棟

このとことろ大学シリーズが続いていますが、同窓会の建築関係の伝手を辿って、講演と見学会を設定してきているが、そうそう都合の付く物ではなく、大分ご苦労があるようです。

今回は建築関係の伝手による対象設定を諦め、幹事さんと同期の女性で立教の卒業生が居られたのでコーディネートをお願いして実現したとのことでした。

幹事さんのお話では「都市・建築」と言いながら、土木・建築出身者は六割いるかいないかで、特に女性は全く関係ない人達なのだと。

「応用化学」出身故、部外者感がある上、「東京駅」で、懇親会に参加して、同期の人間に「お前、建築じゃないだろう」と不思議な顔をされて、以来、懇親会はでないようになったのですが・・・

「鈴掛の道」

別途開催されている同期会は何十年と不義理をして、顔をだしたら、覚えていてくれる同期が少なくて、寂しい思いをして、以来、億劫になって参加していません。

そういうこともあり、次回から懇親会も参加させてもらおうかなと・・・

本日の講演の題目は「立教大学の池袋移転とレンガ校舎」、講師は立教学院展示館学芸員で、学術コーディネーターの豊田雅幸先生。

講演の後に第1食堂、立教学院展示館をご案内いただき、その後、キャンパス内の自由見学となりました。

本館

ご講演の内容に沿い、立教の歴史を整理してみました。

立教大学の始まりは日本聖公会の開祖であるチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が築地に開いた立教学校になる。

 創立者チャニング・ムーア・ウィリアムズ像

聖公会の教えは「Via Media(中央の道)」で、中庸、中道を旨としたプロテスタントの会派ということのようです。

また。ウィリアムズ主教の信条は「道を伝えて、己を伝えず」で、自分を抑えて、道を求めると言う意味ということで、会派からも主教のお人柄からも、穏やかなイメージが伝わってきます。

本館

ウィリアムズはアメリカ聖公会に所属し、布教を目的として日米修好通商条約締結にともない、1859年に来日、日本に初上陸したプロテスタントの宣教師となる。

しかしながら、日本はキリスト教の布教は禁止されたままであり、ウィリアムズは長崎で黄檗宗崇福寺、後に東山居留地に居を構え、布教解禁を待って、日本語の習得、聖書、聖歌、祈祷書の翻訳に努めた。

また、ウィリアムズを訪れた高杉晋作、前島密、大隈重信等に、英語や通信制度、国際情勢などを教えていた。

1866年、ウイリアムズは一旦帰国、中国、日本の双方の伝道主教任命され、中国に渡り、武昌を拠点として活動する。

1867年に大政奉還があり、布教の可能性が開けたためため、大阪に拠点を定め、日本と中国を往来して、双方の国への布教に励んだ。

1873年、東京拠点開設のため、築地に転居、新に来日した宣教師達とともに、伝道、教育、医療事業などの活動を開始。

メーザーライブラリー記念館

1874年、立教の前身となる立教学校を創立、現在の聖路加病院にあたる地であった。

その後、1883年に立教大学校と改名(1891年に再度立教学校に戻す)、現在の聖路加国際大学にあたる場所に、移転した。

メーザーライブラリー記念館

聖路加も米国聖公会の宣教師による創立で密接な関係にあるようで、立教と聖路加を合併して、立教大医学部設立の動きもあったようです。

その後、1907年に「立教大学」の呼称を認められ、1922年に正式な大学として認可される。

1919年、増加する学生達を収容するため、池袋に移転した。ということで、来年に池袋移転100年を迎えると言うことになるわけです。

ヒマラヤ杉?

レンガ造りの校舎は鉄筋コンクリートを基礎として、内面、外面にレンガ材を積んだ構造となっているのだそうです。

1922年の関東大震災ではかなりなダメージを受け、修復に期間と費用を要したということでした。

講演終了後、「日本で一番美しい学食」という評価の第1食堂に向かいます。3時から貸し切りのパーティがあって、入れなくなるとのことで急ぎます。

可能であればこの第1食堂で懇親会という目論見があったようですが、先約があったことの他に、メンバーの中に卒業生が半数以上居ることが必須条件で街の中に会場を予約したとの説明がありました。

江戸川乱歩記念館 開館日は水曜と金曜日のみでした。

メーザーライブラリー記念館の立教学院展示館で開催中の「歴史の舞台、池袋キャンパス」ー『池袋の立教』そも100年ー展をご案内いただき、解散。

「鈴掛の道」

キャンパス内の江戸川乱歩記念館(閉館で中にはいれませんでした)、諸聖徒礼拝堂(チャペル)などを歩き廻り、池袋に戻りました。

メーザーライブラリー記念館新館 丹下健三の作品ということでした。

そう言えばこの間、西口を歩いた時に、昔、何回かお邪魔した、「うな鐵」が見つからなかったな。

場所だけでも確認しに行こうと歩いて居ると、もう、とても懐かしい、「ロサ会館」が遠目に見えて、そうなれば、と「うな鐵」を発見、

いつか来てみようと、家路につきました、

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA