「当たり前の暮らしを求めて」

成田山は本年4月28日~5月28日に、開基1080年を記念した大開帳が予定されています。

1080って、消費税みたいな感じでなんとなくおかしい。

煩悩の数の108の10倍とか、意味づけがあるのかと思いましたが、そういうことではなく、10年毎の行事ということのようです。

10年前の開基1070年では、成田山と門前町を繋ぐ担い手という位置づけで、「総門」が創建されました。(「Feel成田」)

今回、開基1080年を記念して、大塔の脇に醫王殿が落慶され、大塔に間借りされておられた、薬師如来、日光、月光菩薩、十二神将が本来の座所として遷座されました。

成田駅近くの枝垂桜が綺麗でした。

お隣の大塔が鮮やかな色に塗られているのとは対照的に、醫王殿は白木のままの外観で、意外な感じがありましたが、これが醫王殿本来の姿なのでしょう。

10年前に姿を現した白木の総門が、今、くすんだ味わいのある、良い色合いに変色してきており、この白木の醫王院が10年後にどのような色合いに変わるのか、楽しみではあります。おれは80歳か….

開基1090年を記念した伽藍整備も、また継続していくのでしょう。

3月25日は開基1080年記念大開帳を記念し、倉本聰さんの講演会「当たり前の暮らしを求めて」が開催されました。

今、第2土曜日に仏教文化講座受講に、第3土曜日に読経にと、月2回程度成田山に通っていますが、12月の読経会の時に、本講演会があることを知りました。

本来は往復葉書で申し込むところ、読経に通っている人達は、受付で申し込めるということで、ダメ元で2人分を申し込んでありました。

前回にも、やはり、記念講演会が開催されたようですが、定員を上回る多数の申込があったのだそうです。今回、許容人員を多くするため、椅子席を止めて、床に座り込む形で定員を増やすというお話を伺っていました。

結局、定員500人のところ、総数1800人の申込があり、管長のご判断により、第2、第3会場を設置し、ビデオで講演を拝聴出来る形を取るとことになった、ということでした。

読経会の会員であることが効いたのか、めでたく倉本聰さんにお会いできる第1会場当選の通知が来て、奥さんと出かけたと言う次第です。

12時開場なので、早めにでて、食事でもしようと成田に到着します。

ウナギの「川豊」目指して歩きましたが、店頭で整理券が発行されており、20分待ちだと。

およそ20分後に番号を呼ばれて、注文できるということですから、これは大分時間がかかりそう。

お隣の、お隣「近江屋」さんにすんなり入れて、うな重を頂きました。「ぶらタモリ」で採り上げられたお店ということですが、何の宣伝もなく、控えめです。

倉本さんの講演、タイトルだけではどんなお話をするのか解りませんでした。

倉本聰さんが「富良野塾」を開いた意義、「豊かさにたいする疑問」に対して、若者達と解を求めていく苦労のお話でした。

倉本さんの考えを正確に理解できているとは思いませんが、解る範囲で記憶を綴ってみます。

人間が便利さを得てきた過程で、エネルギーを使うことを惜しんできている。

楽する方法として、金で買う、人に頼る、色々な媒体から知識を得ることにより、知恵を使わない、などがあり、人間は力を失っていくのだと言うことのようです。

また、「創作」という言葉には「創る」と「作る」の二つの「つくる」がある。

後者は既存の道具と素材を使うもので、前者の「創る」が自分の知恵を使うことから始めるもので、こちらを目指すべきであるのだと。

人間にとって、体験から得た第一次情報が最も大事なことで、経験せずに知識として得た第二次情報、第三次情報は意味がないと考えている。

自分の力を使うことをしないで生きている人間はホモサピエンス、というよりはホモ・サスペンスと呼ぶべきものだ。

富良野に暮らし始めてから、真の闇を知り、同時に悟った、太陽の熱と光の有難さを訴えたいと「北の国から」を書き、若者たちに共感してもらう塾を始めた。

富良野の地で、何もなく、始めるのは難しく、手持ちの金400万円で、木材と、ユンボなどの最低限の道具を揃えたが、それで資金は尽きた。

塾を立ち上げたのは厳しい冬期で、先発隊の4人の若者が、廃屋を利用して、足りない資材は廃材の再利用するなど、創意工夫で切り開き、拠点をつくりあげてきた。

三つの基本原則を掲げていた。

まず、第一に借金はしないことということ。宮沢賢治の話で、「2マイナス3は幾つ?」というのがある。

2マイナス3はマイナス1ではなく、ゼロだ、というものである。現実世界にマイナスはないのだから、負の世界、借金の世界はない、ということなのだと。

借金をせずに、資金を確保するために、農繁期には農場へ手伝いに行き、必要な資金を獲得することなどの算段を徐々に覚えていった。

また、不揃いな異形で廃棄される野菜※、コンビニの消費期限済み食品などを有効利用させていただく、老人達から教えてもらった、昔ながらのエネルギーを節約した農業手法の体現、などなど知恵を使った開拓を進めてきた。

農産物の4割は無駄に捨てられており、それらを拾って、穴を掘って埋めておけば、冬場の雪を利用して保存していけることが解ってきた。

二番目にはAt Your Own Riskで、全て自らの責任であるということを徹底した。今まで回転刃で切り落とすなど、7本の指を失っているが、申し訳ないと思う気持ちはあるが、皆、自己責任として、非難を受けることはなかった。

三番目に「前例がない」あるいは「そうは言っても…」という言葉を禁句とした。

そうこうして16年の月日が経過し、塾は10棟を数えるまでに広がった。(富良野塾は1984年開塾~2010年閉塾)

その他、登山を例にとり、登山口から登って山頂を極めたように思っているが、標高ゼロから登っておらず、極めて狭い、山しか見ていないことに気がつくべきだと。

花の名前はわかりません。

例えば、富士山の五合目は2,400m、一合目ですら1,300mだ。富士山全体からみれば五合目から上のエリアなど極めて狭い範囲にすぎないことを知るべきで、常に視野を広く構えることが大切だ。

ちなみに、エヴェレストをインドの海抜ゼロから登った人は世界に二人居て、一人はオーストラリア人ティム・マッカートニー・スネイプと、もう一人はなんと日本人の岩崎圭一という人であると。

馬酔木

エネルギー問題にも触れて、石油の限界が来ていること、原子力は使用済み燃料の問題が片付いていない段階で進めるべきではない。

小泉元首相はサンディエゴで話を聞き、311の消火活動に携わった兵士400人が被爆し、うち9人が亡くなったという話を聞き、原発反対論者になったのだと。

西洋ヒイラギではないかと。ヒイラギの花は白いようです。

我々は、今日の問題点を未来に遺すことをしてはいけないと思う。「自然は子孫から借りているものだ」という言葉を噛みしめたい。

エネルギー問題については、自分が携わってきた業界でもあり、もう少し意見をお伺いしたいところでありますが、ご自分に正直で、真っ直ぐ物事に向き合い、ごまかさない生き方をしていることが伝わってきました。

またご職業柄というのでしょうか、筋書きを踏まえた、解りやすい説明をいただき、面白い時間を過ごさせていただきました。

※廃棄ニンジンの種類をゴロよく「青首、二股、三股、まんまる、チンポ」と説明されておられました。最後の言葉は小学生男児のアレを指すのだそうです。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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