上総一宮十二社祭り

上総一ノ宮、玉前(たまさき)神社は延喜式神名帳記載の式内名神大社、上総國一の宮、社格は旧国幣大社(現、神社庁別表神社)。

ちなみに上総國二の宮は上総十二社の内の一つ、茂原橘樹神社なのだそうです。

久しぶりの神社の社格の話なので、記憶も薄れていて、整理します。整理と言っても、Wikipedia中心にネットで調べることになりますが。

Wikipediaを利用させていただく機会が多いので、寄付金協力依頼文が載る度に、微力ながら、1回1,500円を協力金として納めています。

まあ、年に1回という感じで、少しばかりは活用させていただく権利はあるのかと。

目一杯利用させていただいている身なれば、スムーズな運営に少しでもお力になりたいと言うところですが、ちと協力依頼の仕方が脅迫めいていて、引くところがありますが…

『延喜式』は平安中期に編纂された律令の施行規則。

『弘仁式』『貞観式』と並ぶ三格式の一つであるが、『延喜式』のみが、唯一完全な形で内容が残っているということです。

905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により藤原時平が、続けて藤原忠平が編纂に当たり、927年(延長5年)に完成。

その後、改訂を重ね、967年(康保4年)より施行。

全50巻のうち、第1巻から第10巻までが神祇官に関する記述。

うち第9巻、第10巻が「延喜式神名帳」であり、延喜式神名帳に記載された神社は全国で2861社で、鎮座する神の数は3132座。

神名帳に記載された神社を式内社(しきないしゃ)。

式内社のうちには、格付けがあり、朝廷から幣帛(へいはく)をいただく官幣社、地方国司から幣帛をいただく国幣社、その幣帛の量によりランクがあり、大社、小社と分かれる。

Wikipediaでは玉前神社の旧社格は国幣中社とあります。

中社は明治の近代社格精度で設定されたものであり、旧社格では、名神祭が行われる名神大社は全て大社、と言う記述も別途あることから、延喜式では国幣大社とすることが妥当なのかと思います。

明治期の見直しで、名神大社の区分がなくなり、幣帛の多寡の格付けで、中社になったということなのかと思います。

十二社祭りについて、いすみ市観光協会の記載をお借りします。

『「裸祭り」の名前で親しまれ、秋の風物詩となっているこの祭りは、記録によれば約1200年の歴史があり、由来は、玉前神社の祭神は海に漂着した玉という説による。

玉前神社の祭神玉依姫命の一族が房総半島に上陸したゆかりの場所、釣ヶ崎(一宮町東浪見)で再会することに始まったとされている。

一宮町を中心にいすみ市、睦沢町、茂原市、長生村の近隣5市町村の広域から神輿が集まり、房総の代表的な「海のまつり」として県指定無形民俗文化財となっている。

十二社は周辺の玉依姫に関わり、海岸に集まる玉前(たまさき)六社、海岸にお迎えする山之内四社、その他二社ということのようなのですが・・・

十二社の数え方は歴史的変遷があり、曖昧なところがあるようです。

玉前六社は「大宮」「若宮」二基ずつの神輿をだすため、神輿一基を一社と数え、「玉前六社」を「十二社」と言っていたという記述もあります。

確かに、御神輿二基で構成されているとことが多かったようです。

また、江戸時代には十二社全ての神輿が釣ヶ崎の祭典場に集った。

しかしながら、現在は、三之宮神社は玉前神社までで、その他玉前神社(一宮町)と南宮神社、「山之内四社」、谷上神社(旧岬町谷上)の5社9基の神輿が集合するようになっている。』

関連する神社と御祭神を下記にまとめてみました。

ご祭神のお名前で漢字を羅列すると解りにくいことと、『古事記』と『日本書紀』でお名前が異なり、実は双方をごっちゃに使用させていただいているので、統一しにくい。

恐れ多くもカタカナで整理します。

玉前六社は下記。

①玉前神社(一宮町):タマヨリヒメ

②玉垣神社(睦沢町):カムヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦尊=神武天王)、タマヨリの子供

③三之宮神社(睦沢町):イッセ、イナヒ、ミケヌ(五瀬命、稲飯命、三毛入野命=神武天皇の兄達)、タマヨリの子供

④橘樹神社(茂原市):ヤマトタケル(日本武尊)…..タマヨリとの関係は解りません。

⑤二之宮神社(茂原市):ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合尊)叔母のタマヨリを乳母として育ち、妻として迎える。神武天皇の父。

⑥南宮神社(一宮町、長生村):トヨタマヒメ(豊玉毘売命)=タマヨリの姉、ウガヤフキアエズの母+カナヤマビコ(金山毘古神)=イザナミの子で直接関係なさそう。

上記を迎える役目で、下記の「山内四社」があった。

①玉崎神社(旧岬町和泉、中原):トヨタマ、ホオリ、ウガヤフキアエズ(豊玉毘売命・火遠理尊(山幸彦)・鵜葦草葦不合命)

②玉前神社(旧岬町椎木、一宮町綱田):トヨタマ

③神洗神社(一宮町):トヨタマ、ホオリ、タマヨリ、ウガヤフキアエズ

④和泉玉崎(いすみ町):現存しない。

この他に、玉前、山之内に入らない、谷神神社(祭神不明)、鵜羽神社(ウガヤフキアエズ、トヨタマ、ホオリ二社がある。

9月13日に先立ち、9月10日に鵜羽神社の神輿が玉前神社まで渡御する祭りがあるようです。

玉前神社の祭神である玉依姫(タマヨリヒメ)は、「海彦、山彦」に関わる神で、海の神である大綿津見神(ワタツミノカミ)の娘。

姉である豊玉姫と夫の火遠理命(ホオリノミコト山彦(=彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト))の間に生まれた子が鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)。

玉依姫は、生まれたばかりの我が子を残して海に帰ってしまった姉の代わりに鵜葺草葺不合命を育て、のちに結ばれて、初代天皇である神武天皇を産む。

自分にとってのパワースポットの一つである、福井県若狭、遠敷明神一宮である若狭彦神社の祭神はホオリノミコト(火遠理命)、二宮である若狭姫神社の祭神がトヨタマヒメ(豊玉姫)でした。

さらに、若狭彦神社に小さな社が祀られており、若宮として、ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)が祀られています。

これらの内容は以前「遠敷明神」で記事にしています。

山彦は豊玉姫の援けを受けて、山彦を苦しめていた海彦を懲らしめ、豊玉姫と結ばれ、子供を授かります。

山彦が、姫との約を違えて、出産の場を覗してしまいます。

姫は出産の際に、「八尋大熊鰐(やひろわに)」あるいは「龍」の姿になっており、その姿を見られて、地上にいることのできなくなった姫は子を、妹、玉依姫に託して海に帰ったとあります。(異説はあるようです)

ということで、十二社祭りが海の神の一族である、タマヨリ、トヨタマ姉妹を中心とした海の生活を営む町々の、豊漁と安全を祈るお祭りであるのかと、少し理解できました。

玉前神社はつい最近、社殿を修復したようで、重厚な社殿が黒光りしていました。

南宮神社まで歩き、御神輿の出発風景を撮影しますが、驚いたことに御神輿はかけ声をかけながら走って行き、あっという間に置いて行かれます。

なんとおそらく5Km以上はあろうかと思う、釣ヶ崎海岸まで走り、海岸で全ての神輿が集まった時点で「一斉差し上げ」、「鳥居くぐり」をしてまた、走って帰るのだそうです。

まあ、帰りは皆疲れてくるから、ほとんど走れないけどねとの説明を受けました。

南宮、玉前の神輿は玉前神社に帰ってきてから、御神輿を練り歩き、南宮に神輿が帰る時には、花火が上がるのだそうで、夜が面白いよといのことでしたが、今回は釣ヶ崎で帰ることにしました。

神輿が走って行くなら俺も釣ヶ崎まで歩こうと、人のいなくなった道を歩き出しますが、かなり歩きでがあるなと。

途中、分かれ道で不安になり、関係者らしい人の車に道を尋ねたところ、歩けやしないよ、乗りな、と優しく勧められ、素直に従いました。

車でもかなりの時間が必要でしたので、歩いていたら、御神輿の集合に間に合わなかったかも知れません。

帰りはシャトルバスがあるから乗って帰りなさいと、アドバイスを受けて卸していただきました。

神輿が全て参集し、これから一斉差し上げというところでしたが、人が多すぎて、うんざりしてきます。

神輿に近づくことも難しそうで、面白い絵になりそうもなく、早めに帰ることを決意しました。

シャトルバスがあるということで、バス亭まで行くと、長蛇の列が出来ていて、恐らく一台では乗れそうもありません。暫く待ちましたが、なかなかバスも来ず…..

よし、もう時間の制約もないので、駅まで歩こうと、歩き始めました。結局、1時間後に、朝からの総計30,000歩で、到達しました。

歩いている間に、シャトルバスが2往復程度するのを見ましたので、待ち時間を入れても、確実に半分の時間程度で駅に着くことはできたのでしょう。

それにしても少々歩きすぎで、翌日、翌々日、膝の古傷が悪化し、休養することになりました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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