相国寺

※今回から、写真をクリックしても大きくならないように変更しました。

昨年12月15日の本法寺の記事から大分時間が空いてしまいました。

昨年、敦賀の仕事を終え、敦賀のアパートの整理と引越、さらには自宅の中の自分の居場所確保のための整理に精力を注ぎました。

そのことで、疲れ果てて、という側面はあるものと思いますが、テレビを眺めつつ、溜まり溜まったブルーレイディスクの整理をし、細々とブログの移転※と新規記事の作成を続けていました。

※敦賀で続けていたブログ「わかさはいかい」、「若狭風流水(わかさぶるうす)」「ひとひらのめも」、「くまじいノート」からの、本ブログ「Southern Wind」への移転作業が未だ終了せず、8割方の進捗率というところでしょうか。※

仕事をしなくていい、ということは、当然、時間に縛られることなく、好きなことをしていけばいいのか、と言うことになるわけですが、その開放感の裏に、もう、誰かに、何かを期待されることもないんだ、という、糸の切れた凧が彷徨う気持ちが折り重なります。

何かの制約があるということが、自分の行動の背中を押してくれていたという、情けない側面があるという現実は、触れたくないところではありますが、まあ自分の中ではそれなりの位置を占めていたのかも知れません。

しなければならないことをせずに、喉元に引っかかりがありながら、前に進む気持ちがおきないまま時が過ぎて行ったのです。

自分に仕事が無くなるということは、唯一の自分の会社の収入源が絶たれるということで、収入があるときにこそ、税理士さんにお願いして、会社ごっこのまねごとをしていられたことが、立ちいかなくなります。

会社の設立準備から、登記、運営方針の設定、会社の経理、税務、全ておんぶに抱っこ状態で来ていましたが、これからは自分でやり方を模索していくことを税理士さんにご相談しました。

経営状態が悪くなったら、委託料は考えるからと優しいこと言っていた税理士さん、案に相違して、怒ったように、退席してしまい、経理を見ていただいた奥さんと話を継続して、契約を終了することをご了解いただきました。

我が社から、一気に経理部門と税理担当がいなくなる訳で、しゃかりきになって、自分が勉強して、引き継ぎをしなければならなかったのですが….

終わり行く会社のことに今更の勉強を始める気持ちになかなかなれずに、放置状態が続いていました。

結局、当人の給料も曖昧なまま、年末調整もせず、年を越し、4月、5月になったら切羽詰まってやらなければならないだろうなと、気持ちだけは焦っていました。

3月に個人の確定申告だけはしておこうと作業を始めた途端に、自分の源泉徴収票が作成されていないことに気がつきます。ってまあ、あきれる程の無知さ加減なのですが…

そこから、4月の半ばまで、不安で目一杯の地獄を経験します。

どうしよう、どうしようという時間が続きます。いまさら税務と、経理の基本から勉強するのは、時間がかかりすぎるから、なにかやりながら都度勉強しようと模索するのですが、双方の知識がゼロに等しいのだから、手の付けようがない….

最後は税理士にお願い出来なくなる時期があることを覚悟していましたので、徐々に作業を移すことを前提に、会計ソフトだけは購入してありました。

購入したことが税理士に知られると、切ろうとしているなと疑われ、問い詰められると思い、ソフト購入費は経費として申請しないでいました。

一度、税理士の言っていることに、説明をしてもらっていた方針とことなることがあり、「以前に言っていたことと違うのではないですか!」と電話で話していた時に、異議をとなえたことがあるのですが、その時の税理士の怒りは凄まじい物でした。

後日、お宅を訪ねたときに、「お前みたいなヤクザの様な口を利く奴とは話ができない」と敦賀の土産も突き返される始末。

これからは何か質問することがあれば一件、5万円で相談に乗る、などと、それこそヤクザまがいの暴利をふっかけてきます。

怒りに震えて税理士が退席した後に、まあ、これが良い機会か、こちらで全てを引き取ろうと、奥さんと話しをしていました。

税理士さん、再度、顔をだしてきて、引き取るための手続きの話を始めるのを聞いていましたが….唐突に、お前はまだ俺に頼みたい気持ちがあるのかと、ご下問があります。

本音を言えば、もうワガママ爺は切りたいけど、今、見離されると、訳が分からなくなる、せめて今期は継続して欲しい・・・

「もちろんお願いできるのなら、継続して委託したいです」と口をついてしまいます。

本当は、もっとざっくばらんに話しをして、徐々に自分一人でやっていくための準備をしつつ、切り替えの指導をしてもらいたかったのですが、とても言い出せる様なお方ではなく、準備の為に購入したソフト費も経費として計上することのできない、気の弱い経営者であったわけで、止むを得ない。

昨年までに、税理士が毎年作成してくれた4期分の報告書をソフトでデータ入力してトレースできるかどうかやってみようと、思いつきます。

1期分を入れてみると、どうも初年度の既存会計報告と数字があうことが判り、少し光明が差してきた気持ちで、第2期を入れてみると是も合う。

承天閣美術館

第3期から消費税申告の必要があり、この時点で、税理士の費用が跳ね上がりましたので、きっと複雑で、やっかいなのだろうと、緊張して入力します。

消費税についてもソフトが全て計算してくれて、簡易課税制度適用となっているため、前提を入力し、費目の仕分けさえ適当であれば、そう手間が増えることもなく、計算ができることがわかります。

固定資産と減価償却、源泉徴収の考え方など普段から言葉は聞いていても、仕組みが判っていなかったことも、前提と入力の仕分け方法が見えてくると、自動で計算できることが判ってきます。

成功事例だけひろって説明すると、いかにも順調そうですが、何か新しい項目があると、都度判らないことだらけで、そうそう簡単に進んだわけではありません。

承天閣美術館

あたらしい壁にぶつかると、都度、2,3日悩みつづけ、まあこういう風にすればいいのかと、試行錯誤して、上手くいけば、徐々に先が見えてくる。遅々とした歩みながら、少しずつ、先に進んできました。

一旦、疑問が生ずると、寝る時も頭を離れず、探るための手順を眼をつぶりながら考えて、あれを、いや、これも試してみよう、と。思いつくと、寝る事が出来ずに、まだ夜も明けぬ朝の3時頃から起き出して、試行してみる、と言う生活が続きました。

既報告の4期分のトレースを終え、既存の報告書と変わらぬ損益を得て、いよいよ自分一人で作り出す、第5期の入力が終了し、数ヶ月遅れの年末調整のご報告、個人の確定申告を終えました。

これからまだ、入力の終わった5期目の決算の精査を進め、決算報告書と法人税、消費税の申告書をまとめて行かねばなりませんが、作業としての山場は越えることができたのかと、少々ホッとして、生来の怠け癖が頭をもたげてきています。

というところで、ようやく昨年末の京都行きの最後の記事になります。

相国寺は正式には萬年山相国承天禅寺。室町幕府第三代将軍義満が、後小松天皇の勅命をうけ、夢窓国師を勧請開山として、約10年の歳月を費やして明徳3年(1392)に開基した臨済宗相国寺派大本山。

ちなみに「勧請開山(かんじょうかいさん)」とは高名な僧、あるいは実質的な開山の師にあたる僧を名義上の開山として迎えるもので、相国寺創建時には夢想国師(1275-1351)は故人となっています。

鎌倉期の鎌倉五山にならい、選定された京都五山は南禅寺を別格とし、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺(東福寺塔頭)の序列とし、相国寺は第二位に列せられた。

蟠龍図は狩野光信(永徳嫡子)

相国寺は、五山文学を代表する禅僧や、如拙、周文、雪舟らの日本水墨画の規範を築いた画僧を多く輩出し、文化的にも京都の中心に在り続けてきた。

後に豊臣氏の外護を受けて、慶長10年(1605)豊臣秀頼が現在の法堂を建立、慶長14年には徳川家康も三門を寄進するなど各勢力の庇護厚く発展し、金閣・銀閣両寺をはじめ九十余カ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山となる。

法堂(重文)は桃山時代の遺構でわが国最古の法堂、本尊釈迦如来および脇侍は運慶作。天井の蟠龍図は狩野光信(永徳嫡子)筆。

相国寺にお詣りするのは、もう3回目か4回目になると思いますが、通常は、寺内はご開帳されていないため、承天閣美術館で金閣寺の若冲などを愉しませていただいているだけでした。

今回は特別拝観があり、初めて、法堂、方丈、開山堂をお詣りすることができました。

方丈に絵のほとんど消えてしまった杉戸がありました。面白いなと思い、ご案内のお坊さんに、これは写真を撮ってもいいですか?と尋ねて撮影させていただきます。

「おそらく雪舟の絵だと考えられているんだけど、こんな状態の絵を撮影禁止にしてもしょうが無いし、ご自由にどうぞと。」

承天閣美術館ではやはり、「若冲展」が開催中でした。ポスターの鸚鵡牡丹の絵が面白く、絵葉書を購入しました。

ここは、いつも奥にある第2会場の常設展の若冲を観るのが愉しみで、十分満足して、いよいよ千葉に帰宅です。

同志社の角に、相国寺と薩摩藩と、新島襄の関係を述べた立て看がありました。相国寺の寺域の広大さに感心し、また京都御所の真横に藩邸を確保した当時の薩摩藩の勢いが感ぜられて面白いなと。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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