国立劇場にたどり着きます。
建物外観は正倉院の校倉造を想起させるもので、設計コンペで竹中工務店の提案が採用されたのだそうですが、その巨大さに圧倒されます。
1966年竣工で創立50周年になるのだと。その「歩み展」を伝統芸能情報館で開催していて、無料ということなので覗きます。
しっかり見れば面白いのでしょうが、あまり時間も取れず、流してしまって、あまり記憶に残りません。
恥ずかしいのですが、国立劇場って何するところなのか。
国立劇場を運営する独立行政法人日本文化振興財会のサイトによると日本伝統芸能の保存及び振興を図ることを目的とする。とあります。以下抜粋です。
国立劇場、国立演芸資料館(国立演芸場)、国立能楽堂、国立文楽劇場及び国立劇場おきなわの各劇場を拠点として、以下の4つの事業を総合的、一体的に実施する。
(1) 伝統芸能の公開
歌舞伎、文楽、舞踊、邦楽、雅楽、声明、民俗芸能、大衆芸能、能楽、沖縄伝統芸能等多岐にわたる伝統芸能。廃絶された演目などにも着目する。
(2) 伝統芸能の伝承者の養成
長期的な視点に立って保存振興し、伝承者を安定的に確保及び養成する伝統芸能伝承者の養成事業に取り組む。
(3) 伝統芸能に関する調査研究並びに資料の収集及び活用
古典伝承を踏まえた伝統芸能の公開のため、演出及び演技の向上に資する各種調査研究を進め、上演資料集を刊行し、各種古文献や演劇書等を調査して復刻、翻刻するなど、広く普及啓発に努める。
(4) 劇場施設の貸与
劇場施設の利用については、主催公演や舞台整備等で必要な日を除き、各劇場の劇場及び稽古室を、伝統芸能の保存及び振興を目的とする事業等の利用に供する。
同様の趣旨で、オペラ、舞踊(バレエ、現代舞踊)、演劇等の現代舞台芸術に関しては、その拠点として初台に新国立劇場が設置されているのだそうです。
国立劇場の正面から写真を撮りたかったけど、樹々に隠れて、うまく撮れませんでした。
最高裁判所の前を通り、三宅坂交差点を内堀側に渡ります。
最高裁って、なんか要塞みたいな建物で、圧倒的な権威主義が他を圧倒する…よくもまあこれだけ、庶民を突き放した、冷徹な「最高裁」に相応しい、建物が出来たもんだ、と感心します。
1969年の公開設計コンペで、217点集まった中から、当時、鹿島建設の岡田新一さんのグループの設計が当選したものなのだそうです。
国会議事堂は遠くから頭を見ただけですが、また今度、ゆっくり官庁街周辺を含めて歩くことにして、内堀沿いに歩きます。
平日の夕方でもマラソンをしている人は結構います。基本的には反時計回りに走る人が多いようでなにか規則があるのかと思いました。
千代田区観光協会のサイトに「皇居ランナー・マナー10の宣言」があり、左側通行、1列走行などの他に「できるだけ反時計回り」が記載してありました。
桜田門の手前にきて半蔵門方面を振り返ります。
東京歩きを始める準備に「広重の大江戸名所百景散歩」人文社刊と、別冊宝島「江戸大古地図」を購入しました。
その日に歩く範囲に百景があるか確認して現在の風景と比較をして見ようというものです。
今回、幾つか候補を挙げていたのですが、結局、通ったのは第54景の「外桜田弁慶堀糀町」でした。弁慶堀は現在の桜田壕に該当するのだと。
54景の左手に見える朱い門が井伊掃部の屋敷で、その下の内堀通りにある小さな小屋は番所。その隣にある柳の木の下に、「柳の井」があったと言うことのようです。
現在の写真を撮って見て、気がついたのですが、広重の視点がかなり高い位置からになっているなと言うところです。
火の見櫓程度では間に合わないくらいの高さで、ドローンくらいで見ないとこの視野は確保出来ない感じ。
描きたいことを書くための、独特のデフォルメなのかと言う気もします。他の絵の視点がどうなのかこれからが楽しみになりました。
桜田門は、2方面に門が設けられた形になっているのですが、他の2辺は濠に接していて塀が設けられていません。
見附は四方を塀で囲われた枡形をしているということからすると、濠が塀代わりの変則的な造りなのか、昔は塀があったものを現在は取り払われているかのどちらかは判りません。※
※本件、古地図(上記)を確認すると、濠の形が現在とは異なっており、桜田御門の1面にしか接してしていません。
濠の該当部分が実線で縁取りしていないので、城内の詳細を記載せず、と言うことで、濠を省略しているかもしれません。
ただし、桜田御門は四方を塀で囲んだ形で明記されており、塀がやはりあったのでしょう。
皇居前広場に出て、二重橋、江戸城跡碑はパス、かろうじて楠木正成公の像の前を通って、丸の内に向かいました。
歩いてみると、皇居前から丸の内はあっという間で、こんなに焦らず、もう少し、ゆっくり出来たか、とも思いましたが、時間は16時半を過ぎていました。