箱根 慰労会

娘が箱根に行きたいと言っていると、奥さん。

予定は有楽町で飲んだ翌日の12月3日に箱根に行き、4日に帰ってくるのだと・・・詳しい説明を聞かぬまま、いいよと回答します。

箱根に着いてから、実は、くまのご苦労さん会として、家族で食事をする計画だったのだと聞かされます。長女は仕事で来られなくなったとのこと。

以前から前を通り過ぎるだけで、入ったことのないけど、良さげな、という強羅のITOH DINING by NOBUに予約が取れたらしい。

箱根には奥さんの叔母から、権利を譲られたアパートがあり、たまに利用しています。

リゾートマンションという範疇なのかも知れませんが、造りはまさに昔ながらのアパ-トで、間取りで言うと、1DKになるのでしょうか。

ITOH DINING by NOBU

箱根だけあって、全戸に温泉が敷かれているのが特徴になります。

一時期、正月に出かけて、箱根駅伝を何回か宮ノ下で見学していました。2日が5区で、3日が6区に当たるわけですが、東洋大の5区、柏原君が脚光を浴びたときの走りも観戦しています。

目の前で走る小柄な選手を観ていて、東洋大頑張っているとは思いましたが、彼があんなにスゴい選手だということは知りませんでした。

5区を観るためには、2日の朝早く、千葉を出るか、1日の夜に箱根に入っている必要があります。元旦はのんびりして成田山に初詣、2日の昼頃出て、翌日の復路を観ると言う方が多くなりました。

当時、敦賀の往復を繰り返していたため、年末に千葉に帰り、正月早々箱根へ移動、その脚で敦賀に帰るというのは、結構つらいものがありました。

ある時期から、新年早々の安全祈願が1月4日であったのが、5日開催となり、少しは楽になりましたが、まあ正月が短すぎることには変わりない….

昔から三が日は寝正月、というのが定石で、それほど日本酒が好きでもなかった時期から正月だけは日本酒を飲んで朦朧としているもんだ、と身体が慣れていたせいもあるのでしょう。

逆に、家族が千葉で暮らしていて、たまには違う場所で過ごしたいと言う気持ちも分からないわけではない・・・と、いうところで、正月を箱根で過ごす時期があったというところです。

こうして今、年金生活者になってみると、別宅をもつ贅沢は許されず、手放したいのですが、老朽化アパートにつき、個別売買は難しい。

アパート自体を取り壊し、再開発に供するため、二束三文で買い付けるという話が出ていて、当方は有り難い話だと思っているのですが、集合住宅のため、色々な思惑の人が居て、進まないようで・・・

3日の昼過ぎに千葉を出発し、アパートに寄るつもりでしたが、時間がなくなり、仙石原で夕陽を観てからレストランに向かいました。

ワインで乾杯後、コース料理を堪能、食後、娘が頼んでいた、プレートにチョコレートで「祝!退職」の文字が描かれているデザートが出てきました。

2浪人して大学を卒業したのが24歳ですか、それから68歳までの44年間、一応途切れることなく、仕事をしていたことになる。

まあ年数の違いはあれど、サラリーマン生活を続けた人に共通する経験で、取り立てて言うことでもないと思うけど、改めて、言われてみると長かったなあ…と。

翌日は強羅に車を置き、箱根登山ケーブルカー、ロープウェイを乗り継ぎ、大涌谷経由で桃源台まで空中散歩。

桃源台からバスで強羅まで戻り、帰宅しました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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