円山応挙とロン・カーター

ようやく昨年11月の整理が終わり、12月に移ろうと思っていたのですが、スマホの写真を確認していて、おっとっと…

11月12日(土)に根津美術館にお邪魔した記録が抜けていました。

Blue Noteに、はまった奥さん、行きまくって、とうとう、1ライブ無料招待の権利を得ます。

一人分のチケットで二人いけるんだから、くまが好きなライブがあれば行こう、との有り難いお申し出。ただし、11月一杯のスケジュールでという制約がありますが。

円山応挙 雨竹風竹図屏風(左、雨)1776 重文

ライブスケジュールを確認して、11月12日にロン・カーターと、聞き慣れた名前を見つけて、これにしようって。

ロン・カーター・ノネットって弦楽器4人を含んだ9人編成のバンドで、ちょっと面白いかも。と、思ったのですが・・・

円山応挙 藤花図屏風(右) 1776 重文 根津美術館公式サイト

Blue Noteとなると、途中にある根津美術館に行ってみたい、前回、庭園を廻る時間がなく、断念したので、早めに行って、庭園散歩もしてみたい。

奥さんは午前中は仕事なので、別行動で、Blue Note集合とします。

円山応挙 雪松図屏風(左)1786 国宝 三井記念美術館蔵

根津美術館では『円山応挙-「写生」を超えて-』の前期(~11月27日、後期11月29日~12月18日)が開催中でした。

展覧会のタイトルの意味が難しいのですが、購入した図録集を読むと、円山応挙は、円山・四条派の呼称とは別に、近世写生画の道を開いた「写生派」の創始者でもあるのだと。

それは、『雨月物語』の作者、上田秋成が「絵は応挙の世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵が皆一手になった事じゃ、是は狩野家の衆が、みな下手故のことじゃ・・・」と評価されている通りということらしい。

写生に対して、狩野派の手法は探幽以降の絵手本、下図、古画を模写する「粉本」が主流であり、創作性に欠けたということなのか。

根津美術館庭園

応挙はしかし、一次写生図を浄書した写生図、写生図を模写した模写図などを経て、本画に到達する道を示し、写生図が旧来の手本に置き換わった「粉本」となった、と言う言い方も出来るようです。

写生図を元にするということは、師の描き方の技術だけでなく、物事を観る視点を学ぶ意味があるのだと。

根津美術館庭園

写生図から始まる創造の世界というのが「超えて」の意味なのだろうか。結局のところ、自分には難しすぎる命題でよく解りませんでした。

見当違いですが、マネ、ドガ、ルノワール、ファンタン・ラ・トゥール、モリゾ等がルーブルで模写を繰り返していたと言う話を思い出しました。模写により、何かを掴み、新しい波を生み出して行った・・・

根津美術館庭園

常設展の展示で、前回釘付けになった、饕餮文方盉(とうてつもんほうか)を再度楽しんだ後、庭園を歩きます。これは一眼レフが欲しかったなと、紅葉しかけの庭を楽しんで、Blue Noteに向かって、歩き出すと、前の方を奥さんが歩いていました。

ロン・カーターの演奏を楽しみにしていたのですが、彼はプレイヤーとしてより、コンダクターとしてノネットの音をまとめ上げることに重点を置いているようで・・・

あらあらしい個性と、かすかに匂う民族性を愛するくまさん、思いもかけない予定調和の世界に戸惑いつつ、ウィスキーが進みました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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