65歳の逡巡

ちょっと久しくブログから離れていました。

慣れないWindows8が手足を縛り付けて、身動きできなくなりつつあることに加えて・・・

憧れのマチュピチュの写真の整理に「うかつ」なことができない・・・という緊張が気持ちを逆に萎えさせて、PCに向かっても、ぼんやりと隣のテレビに見入ってしまう日々が続き・・・

いけない、またマチュピチュ紀行へのハードルを上げてしまう・・・

と、まあ言い訳をしようとするといろんなことが出てきます。

<Billie Holiday “As Times Goes By”>

敦賀祭りの間に迎えた65歳という、年齢が生活の節目として、意識されます。

異様に暑い夏に身動き取れず、自分の体力と気力の防波堤が崩れかけて、ブログどころではなかった・・・というと嘘があるか・・・

へロヘロになりながら、無様な生き方になっても、自分なりに自分のやりたいことを続けていきたいという気持ちをより強く意識するようになってきているような気がします。

やりたいことの数と残りの時間数を比較すると、当然の帰結として自由になる時間を増やしていく必要がある。

といっても、自分のやりたいことあるいはやりたかったことの一つはきっと現状を肯定して「仕事」を続けることだったかも知れない。そこを乗り越えることが一番の課題なのでしょう。

自分の気持ちに過去の連続性を求めていてはきっと、あれもしたかった、これも成し遂げられなかったということに帰結する可能性が大きい。

今まで多くの節目となるチャンスで「跳べなかった」 反省がありつつ、結局また、そのまま自分では跳べずに、周囲の状況に流される自分がいるような気もします。

40にして惑い、50にしてさらに惑い、65にしてラストステージのステップで戸惑う自分がいます。

それでも、世紀末的な季節感の中で・・・

本当のラストステージなのだという背水の気配が自分を奮い立たせ、周辺の整理と、新たな舞台道具を揃えようという気持ちが起きつつあり・・・

結構気ぜわしく、夏から秋の入口を過ごしていて、ブログに向かえなかったというところもありました。

って、えっかっこしいが・・・

結論がでないまま65歳がスタートします。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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