初詣

元旦の夜に長女が到着。2日の朝は元旦には我慢した「しずく」でお節をします。

お酒を控えたお婿さんの車で成田に向います。正月に限ったことではないのですが、初詣行くのが見えてて、俺は運転しないぞ、と言う態度で申し訳ないことです。

昔から、父は運転するとすぐ眠くなってしまう人であることを知っている家族は、父だけには、運転させてたまるかというところかもしれません。

ふん、俺一人しか運転できなかった時期があったんだからな・・・って、えばるほどのことじゃない・・・

混むから早く行こう、早く行こう、といいながら、結局成田に着いたのは、3時過ぎです。ここのところ、昼過ぎに成田山に行くと、毎年、1、2時間待ちは普通で、お参りが終わるころには薄暗くなってきていました。

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JRおよび京成の駅から来る行列と市営駐車場のある51号方面から来る行列が総門の前で衝突して、押しあいながら、山門を潜るという感じでした。

昨年は仁王門の階段下だけでなく、総門を潜ったところで規制をしていましたので、総門前のせめぎ合いは緩くなっていましたが・・・
今年は、意外なことに、総門に至る道に行列がありません。人との接触なしにゆっくりと総門をくぐります。

家族が厄祓いの申し込みをするのを待ちつつ、総門脇にいたおまわりさんに訊くと、11時から2時の間はものすごい人出だったのだそうで、出発が遅れたことが幸いしたようでした。

次女が今年、厄だから、お祓いを受けると・・・前厄ということらしいけど、下の娘がもう厄なのか・・・とちょっと驚きです。

娘が言うには「女性は30歳代に2回厄があるんだって」と、会社の先輩に教えてもらったことを教えてくれます。

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厄そのものの意味がよく判っていませんが、自分の中では、厄年というのは、男は25歳、42歳、女性は18歳、32歳という数字を覚えていました。

どうも・・・満年齢と数え歳がごっちゃになっているようです、というか、明確に数字を覚えていたわけではないのですが・・・

男25歳と42歳、女性の18歳と32歳の期間が青年期として、盛りの時期を表し、その節目になる年齢は人間の体調変化が大きい時期であり、注意を要するという戒めなのだろう・・・

20130102110とおぼろげに認識していました。

60歳の厄払いは、自分はその年に近づいてきて、還暦の厄払いというのもあるのかと知った次第で、自分も深川不動尊で厄払いをしてもらっています。

本来は自分の守り神にお祓いをしてもらうらしい。「七赤金星」は「十一面観音」ということですが、自分の気に入った神社仏閣で、ということで深川不動尊でした。

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男で言うと、42歳の大厄を終えて青年期から壮年期に入り、還暦を迎えて、老年期に至るということで、人間の体調の変節点という意味では還暦も厄に加わるということなのでしょう。
調べてみると、成田山での厄の設定は男が25、42歳、女性が19、33歳、男女共通で61歳となっています。千葉神社も同じ設定です。(以降、数え歳でいいます)

一方明治神宮では男性は変わりありませんが、女性は19歳、33歳、37歳となり、女性の61歳がありません。

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さらに、千葉厄除け不動尊 関叡山 妙泉寺(東金市)では女性は19歳、33歳(大厄)、37歳(小厄)、61歳とあって、色々あるようです。ここは満年齢記載になっているのでを数え表記にしました。

このお不動さんは千葉県に住みながら知りませんでした。

身体の成長と体調の変わり目という観点からは女性の37歳というのは説明が付かないような気がします。

養命酒の「7の倍数」で言うと、33歳と37歳と言う間隔は短すぎるし・・・女性特有の生理的な節目があるのかもしれません。

また、一年違いの前厄、本厄、後約が全ての厄にあるというところと、男女の各々42歳、33歳の大厄だけに前厄、後厄があるという違いもあるようです。

まあ、厄であるということを意識し、厄祓いをして、気を付けて行くと言う意味では、厄の回数が多いほど良いのかと思います。

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仁王門を過ぎて、スムーズに歩いてきましたが、さすがに大本堂まで来ると、手前の階段は参拝客でびっしりで行列がてきていました。

例年のごとく、頑張って、中央の一番前を確保して、ゆっくりお参りします。お参り後、次女のお札ができるまで時間があるので、出世稲荷にお参りしに行こうと・・・

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階段を登り始めるとすぐに行列ができています。係りの人に伺うと、出世稲荷の行列なのだそうです。

出生稲荷は奥さんが仕事を張り切るようになってから、毎年来ていますが、直前の屋台の辺りに、10m位の行列ができる程度でした。

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今日は100mに近い行列ができているのではないだろうか。

並んでいる人達に年齢層が若い人が多くなっている様な気もします。

不景気の反映の閉塞状態からの脱皮を願う「商売繁盛」なのか、社会が安定していて、若い人達の出世欲を刺激する世間になってきているのか・・・

まあ後者ということはないような気がするけど・・・

20130102087お参りを待つ参道の灯篭に八代目団十郎、七代目海老像の文字があります。現在はそれぞれ十二代目、十一代目で、八代目、七代目は江戸末期の役者ということらしい。

成田山公式サイトに「成田屋」の由来が書いてありました。

初代団十郎が子供に恵まれず、お不動さんに祈願し長男を授かり、それを喜んだ初代が息子との初競演の舞台に不動明王をテーマにした演目をかけ、これを契機に「成田屋」の称号を得るようになったということです。

20130102084灯篭に名前のある、八代目団十郎は、天保年間から幕末にかけて歌舞伎を支えた人気役者であったが、32歳という若さで自殺をしたのだそうです。(以降、Wikipedia)

八代目の父、七代目団十郎は十八の演目を選定し、それが後に歌舞伎十八番として確立したという実力、人気ともに優れ、歌舞伎中興の祖とされる役者です。

その人気ゆえに天保の改革の奢侈禁止令の犠牲になり、江戸払いとなったのだそうです。

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七代目海老蔵は七代目団十郎の三男(八代目団十郎の弟ということになります)で、松本幸四郎の養子となります。

明治の世に、成田屋に戻り、海老蔵を襲名しますが、一度も舞台に立つことなく亡くなった。

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・・・ということで、八代目団十郎、七代目海老蔵は父の七代目団十郎も含め、名声の割に、幸せな生涯を過ごしたとは言い難い感じです。

何故、この灯篭に不幸な兄弟の名前があるのだろう・・・

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まあ、きっと他の灯篭も見て行けば、他の成田屋の名前もあって、その一部だけに気が付いたと言うところだと思います。

お稲荷さんの後に、いつも素通りしてしまう釈迦堂にお参り。

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お祓いを受けたお札をもらってきた娘夫婦と合流し、帰宅します。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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