アルカトラズ・クルーズ

10月25日、アルカトラズ・クルーズのあるピア33にたどり着きます・・・

って、じつは、eチケット握りしめて、団体さんの添乗員やっていて、ゆとりがなくて、乗る前の写真が一切ありませんでした。

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ということで、クルーズのチケット売り場周辺の写真は21日にユカヤに向う時に撮ったものも混じっています。

事前に購入している人の列に並び、eチケットのプリントを示すとすぐに6人分のチケットを渡され、もう乗船するから並べと言われます。

12時10分にはまだ30分以上ありますが、行列ができていて、最後尾に並びます。

並んだ人には福がある?・・・行列の中間で、アルカトラズの写真をバックにポーズをして集合写真を撮られます。

乗船待ちの行列に沿って立てられたパネルに出発の便毎に写真が飾られていて、帰りに購入できる仕組み。

どうも写真を買わずに、飾られている自分達の写真を撮影して帰る人が多いらしくて、行列中は撮影禁止の表示が目立ちます。

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まあ、家族で来た時には記念にと購入することがあるかもしれないけど、男6人で写った写真を買いたいとはあまり思わないだろうな・・・

チケットを購入したサイトAlcatraz Cruises.comに紹介ビデオが載っており、島の様子垣間見えるビデオを下に紹介させていただきます。手話のおばちゃんの脇に英語ですが説明がスーパーで流れます。Arcatraz20Cruse20logo

というところで船に乗り込み、船内で6人で話しているうちにアルカトラズに到着。最初にガイドからインストラクションがあるのでまず聞く様にとのアナウンスがあります。

ガイドのおっちゃん、満場の注目を浴びて嬉しいみたいで、延々と同じ様なことしゃべり続けます。みんなどこまで聞けばいいのか分からず、動けずに付きあっています。

こちらは時間がたっぷりあるわけではないので適当に切り上げて、先に進みます。

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帰り時に、船を待つ間、何人かの違うガイドの話を聞いていましたが、喫煙の注意など必要なことを伝達すると、さあ、楽しんで来いと、手短に切り上げていました。

我々の担当に当たった、このおっちゃんの粘液体質が皆を引きとめていただけのような気がします。

ネットにはオーディオツアーが含まれていると記載されていましたが、言語の記載はありませんでした。

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刑務所棟の受付に行くと、向こうからJapaneseだなと訊いてきてくれて、6人まとまってここに並べと、日本語にセットした、オーディオセットを貸してくれます。

看守と囚人の役を振り分けられた、声優達が入れ替わりにそれぞれの立場で刑務所内を案内を聞きつつ、結構な時間をあちこち歩き廻りました。

それなりに面白いものでしたが、建屋の外にでたときのゴールデンゲートブリッジの景観とサンフランシスコの街の景観が一番感激したというところでしょうか・・・

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クルーズのホームページとWikipediaの記事で、少しアルカトラズのことを整理してみました。

「アルカトラズは1775年、スペイン人により、「ペリカンの島」、”La Isla de los Alcatraces” と名づけられ、後に、英語風に短縮されて “Alcatraz” となった。

アルカトラズ島は、灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1933年から1963年まで連邦刑務所として使用され、ザ・ロック、監獄島とも呼ばれていた。

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1848年のメキシコとの戦争後にアメリカがカリフォルニアの支配権を得て以来、アルカトラズ島は軍事目的のために使用される様になる。

1848年、シエラネバダ山脈の麓で金が発見されてゴールドラッシュが始まった。

多くの人がカリフォルニアに集まるようになり、1850年にカリフォルニアは30番目の州として認められ、サンフランシスコは多くの船が寄港する重要な地となり、1852年、灯台が建設された。

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米国陸軍はサンフランシスコ湾の防衛上の重要性を認識し、1853年には、要塞化工事に着手した。

南北戦争(1861年 – 1865年)の直前までに、86門の大砲が島を巡らすように設置され、ミシシッピ以西では最大の砦となった。

南北戦争中は、アルカトラズ島は南部連合のサンフランシスコ湾への侵入を防ぐ役割を果たしたとされる。

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南北戦争の前後から、島は監獄としての役割も果たすようになり、1861年、アルカトラズ島は太平洋省の軍事刑務所として正式に指定された。

アメリカの西部開発に伴って、アメリカ政府とアメリカン・インディアンとの紛争が多発し、反乱罪などでアルカトラズ島に送られたアメリカン・インディアンも多かった。

しかしながら、島内への水と食糧の供給にコストがかかり、1930年代初頭の大恐慌もあって、軍は1933年、アルカトラズ島の刑務所を閉鎖します。a121025104

刑務所は軍から連邦司法省刑務所局に移管され、1934年7月1日、アルカトラズ連邦刑務所が開設された。

アルカトラズ刑務所はアメリカにおける最大の安全性と最小の尊厳を供給する最初の刑務所として設計された。

1934年から1963年の間、アメリカでもっとも有名な罪人、脱走の名人、ギャングのボス、トラブルメーカー達がこの最も防護され、厳しく統制され、一目で脱走不能と判る、「岩の島」に収監されていたのだ。

著名なギャングアル・カポネ、ジョージ・“マシンガン”・ケリーなどもここに収容されていました。

アルカトラズは「刑務所の中の刑務所」と呼ばれていた。それは他の州刑務所から移送されてくる受刑者が存在する、唯一の刑務所であったからである。

連邦刑務所時代には、14回の脱獄事件が起き、それに関与した受刑者は36人である(うち2人は2回脱走を試みた者)。

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このうち23人は身柄を確保され、6人は射殺され、2人は溺死した。5人は行方不明であるが、溺死したものと推測されている。

1963年3月21日、当時の司法長官ロバートけ・ケネディは高騰する修繕・維持費用という財政的理由によりアルカトラズの閉鎖を命じた。

維持費に300万ドルから500万ドルかかったとされ、それに加え日々の食糧や水の輸送供給にかかわる運営費用が他の連邦刑務所と比べ高額であったせいもある。

 

その後、打ち捨てられた島にインディアンが住み始め、さらにインディアンの権利を主張して占拠事件が起き、全国におけるインディアンの権利を認めさせるきっかけとなった。

1972年、国立レクリエーション地域と指定され、一般観光客に公開されている。」

飛行機の時間が気になり、早めの船で、サンフランシスコに戻ります。

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といっても3時を過ぎていて、これからケーブルカーに乗って、パウエルでBARTで空港まで行き、ホテルまで戻って、荷物をピックアップして、再度空港に行くのはかなり厳しそう・・・

えいやと覚悟して、フィッシャーマンズワーフで遅い昼食を食べて、タクシーでホテルまで帰ろうと・・・

6人なので、ワゴンタイプのタクシーがあれば、良いけどまあ期待できないから2台で行こうと。

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再びのBoudinのテラスで食事をしてから、タクシーを探しますが、全くありません。こうなれば近くのホテルに行けばすぐタクシーが拾えるだろうと・・・

きょろきょろしながら歩いていると左手にあるホテルの前にタクシーが停まっているのが見えます。

慌ててそちらに向いますが、直前で出て行ってしまいました。

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ホテルのフロントで、タクシー2台を呼んでもらいます。2,3分で来ると思うから外で待っていろと・・・10分経っても音沙汰ない。再度確認すると、もう一度電話するからと。

再び外で待とうと、ホテルから出ようとすると、電話してくれているコンシェルジェが我々を呼びとめます。

「どうも、タクシーが来れないようだ、もっと東の方に行くとタクシー乗り場があるからそっちに行ってみろ」と。

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少し焦ってきて、タクシー乗り場を探しますが、よく判りません。そのうち一台の空きタクシーがきて、捕まえます。

もう一台ないかと聞くと、「6人か、全員乗れ」と・・・一応試みようとしますが無理な話で、3人に先に行ってもらい、もう一台を探します。

程なくもう一台が捕まり、ほっとして乗り込みますが・・・ようやく乗れた、このタクシードライバがギリシャ生まれの変な奴で、うるさい道中になります。

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助手席のくまに盛んに話しかけてきて、やむなくつきあっていましたが、乱暴な割り込みをしてきた車を見て、彼のおしゃべり回路が全開となります。

「ああゆうのは、あれだ、なんて言うんだっけ、え〜っと、ほらあのなんだ、コックローチだ、日本語でなんていうんだっけ?」

「『ゴキブリ』か?」「そうだよ、『ゴキブリ』だよ、『ゴキブリ』!」と人の肩をバシバシ叩きながら、喜びます。

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Boudin

 

それからはもう、自転車でフラフラしてる青年や、強引に横切ろうとするオバサンを見ては・・・

「この、『ゴキブリ』、あいつも、こいつも『ゴキブリ』だ、『ゴキブリ』〜!!」と、止まらなくなります。

それでも時々はまともな話もあって、今日はワールドシリーズで交通が大混乱していて、タクシーも乗り難い状態になってるんだと。

なるほど、日が悪かった訳だ。

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Boudin

ことに、昨日ジャイアンツ第1戦を快勝してサンフランシスコ中が湧きかえっているところかもしれません。

フリーウェイに乗っても、合流に手間取る車に、向って『ゴキブリ』!と叫ぶや、人の肩をバシバシ、ハイ状態が続きます。

なんとか、ホテルに到着して、預けていた荷物をピックアップして、空港に向いました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

2件のコメント

  1. くまじい様
    極めて具体的で詳細にわたる紀行文、「ウン なるほどなるほど・・」と肯きながら読ませて頂いた次第。
    私も一度は訪れたいと思いました。
    クリントイーストウッド主演「アルカトラズからの脱出」をもう一度見たくなりました。
    恥ずかしながら
    正吉のサンフランシスコ訪問記事もご覧頂ければ幸いですhttp://masakiti1192.meblog.biz/article/4434747.html。

  2. コメントありがとうございます。
    久しぶりのサンフランシスコで、初めての
    アルカトラズを楽しみました。
    今回みたいに時間制限がある時は、車があ
    ればなと思っていました。
    正吉さんのように自転車を借りると言う手
    も有るのかと・・・まあ、賛成は得られな
    かったと思いますが・・・

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