山登り2

浪人生活の夏に夜叉神峠で魅せられた北岳に挑戦。同じ浪人生活をする友達と一緒でした。

その男も2年の浪人生活の果てに自分と同じ大学で「青春」することになるのですが、其の時は当然そこまでは考えていませんでした。

記憶は定かではありませんが広河原から雪渓を登り、途中で友人が持ってきた茹小豆缶と雪渓の雪で小倉カキ氷を・・

あまりの美味しさに一度ならず食べて、氷の食べすぎかそのうちバテて来て休みが多くなり、地元の小学生の団体が元気に自分達を抜いていくのを見送るようになって来ました。

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八本場のコルにたどり着いたときには「もう一歩もあるけないぞ」状態になり、「おれはもうだめだからお前だけ頂上踏んで来い」と友人に頼むと「まあ明日もあるから今日は肩の小屋で休んで、明日二人で頂上に行こう」って優しい友人。

ごめん、ごめんと謝りながら肩の小屋に。この「あらかん」は,半年後の野坂の初登山でも師匠に泣き言を言ったし、山登りを趣味というくせに、気概のなさは超一流です。

恐ろしいほどに無知だったのだのか、あるいは天気予報を注意せずに山にでかけたとしか思えないのですが翌朝、嵐の直撃を受けたのです。

進路が急変したか、速度が速まったとかはあるのかもしれませんが、我々が肩の小屋で寝ている一夜の間に7月にしては早めの台風が急接近してきていました。
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明け方から風雨が強くなり、食事を摂って外にでると、とても頂上を目指す状態ではありませんでした。

頂上を断念して、来た道をたどって肩の小屋から八本場のコルに向かっている間も強い風が下から身体を浮かす様に吹き付けました。

広河原に下りてくると嘘のように天気になり、がっかりしたことを覚えています。その後、夜叉神から鳳凰三山縦走、瑞牆山、尾瀬などに行きましたがどうもこのころのことの記憶がよみがえりません。

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大学に入ると、2年の鬱屈から開放されるように「音楽」、「麻雀」、「女友達」に入れ込む毎日が続きます。

大学に行くバスに乗るのだけれど繁華街で途中下車、パチンコしてる友達探して雀荘に・・・夜も日もじゃらじゃらしてるか、女子大生と「合ハイ」したり、「ダンパ」を開催したりという生活で、山は全く無縁の世界になりました。

合コンならぬ合ハイは「合同ハイキング」のことです。さらに「合同芋煮会」なんてのもありました。

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徹夜麻雀の明けた朝、ひたすら眠い自分を置いて友人達は元気にスキーに行くときもありました。スキー場の近くに住みながら、学生の時に2度スキーに行っただけでした。

会社に入った夏に、まめな友達が上高地の帝国ホテルに泊まるツアーを企画して二人で実行。その年、帝国ホテルはリニューアルに入るということで最後の木造の帝国ホテルを味あうという趣旨でした。

高山に2泊し、クラブの合宿で逗留していた椙山のお姉様達と仲良くなって、トランプしたりして、別れを惜しまれつつ(?)新穂高まで。

 

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上高地

新穂高ロープウィから西穂高の尾根にでて上高地まで降りました。

たどり着いた帝国ホテルで2泊、上高地と木造ホテル・・雰囲気十分で大満足でした。

その冬にその友達とゲレンデスキーを始め、リフトやロープウェイで登って滑る喜びを覚えてしまい、やはり山を登ることありませんでした。

およそ35年も経って、野坂に初めて登る前の年だったと思います。奥飛騨温泉郷の名前に惹かれ、帰省の途中でしたが新穂高温泉で2泊しました。

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帝国ホテル 上高地

懐かしの新穂高ロープウェイに乗って、展望台へ、感激静まらず歩きまわっていると、大した山の格好もしていない人たちが登山口を通り過ぎて西穂高の方に歩いていきます。

登山者登録しろと書いてあるのを無視して・・・そういえば会社に入った年にここから上高地まで歩いたんだな・・・と思い出し、行けるところまでと歩き出して、結局西穂の尾根まで歩いてしまいました。

その前段があったため、野坂山登山に惹きこまれるようになったような気がします。糖尿対策の運動をという動機も大きかったのですが。

新穂高ロープウェイ
新穂高ロープウェイ

結局、如何に山に登らなかったという思いでを綴るだけの「山登り」のタイトルにふさわしくないない内容の感じです。

この3年は野坂中心ですが年に30回程度は登るようになりました。ゴルフも同数くらいでどちらが主か?というところです。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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