木の芽古道3

犬の鳴き声は熊ならぬこの「くま」が接近してきたのを警戒して吠えていたということの様です。

手前の杉の木から向こうが今庄(南越前)になるのだそうで、峠自体は今庄に属するとのことです。

木の芽峠県境.
木の芽峠県境.

もう少しで犬のいる所に上がるという手前に明治天皇の御膳水があります。

明治11年の明治天皇の行幸の時に使用された水ということです。覗き込むと淀んだ感じはするけれど、透明な水がありました。

一登りで峠に出ます。リーフレットに有る「峠の茶屋」(前川家)があります。

犬に話しかけながら作業をされていた方が当主の方で、「これが茶屋なのですか?」とお聞きすると、うんざりという顔で説明をしていただきました。

木の芽茶屋.
木の芽茶屋.

前川家は福井藩の「茶屋番」を勤めていた家で、この峠を越える福井藩の客人達のお世話をすることが役目だったのだそうです。

今でも当主がここに住みながら建物を維持しているということの様です。

茅葺屋根の苦労、南越前町の対応の不満など色々な話をお聞きしているうちに、犬達も当主と話しているのでこいつは大丈夫だと思ったのか、段々静かになってきました。

木の芽茶屋.
木の芽茶屋.

「茶屋」と言ってしまうと、商売で茶屋をしていたところと思われるのでちょっと困るとのお話でした。

お茶屋さんと間違えて、覗き込んだり、土間に平気で入ってきて「お茶くださ~い」などと言うおばさんが居るんだからと憤慨しきりです。

木の芽茶屋
木の芽茶屋

まあ、お茶でもと囲炉裏でお茶を入れて振舞っていただきました。

木の芽茶屋
木の芽茶屋

外を改めて見ると、道元ゆかりの碑、道標、説明があります。

隣に、清盛の子供で北陸の国主だった平重盛公の墓があります。随分新しい・・・

お聞きすると、元々、重盛の墓は、敦賀から美浜に抜ける関峠にあったのだそうですが、朽ち果てようとしていて、消滅寸前だったとのこと。

前川家は平清盛の子孫に当たる血筋で、先祖の墓を再興したいと願い出て2年前にようやく実現したというお話でした。

さっき吠えてた犬達です。紀州犬のお父さん(?)は気性が激しい様で唯一繋がれて吠えてます。

お母さんと子犬とちょっと血筋が違う感じの犬が放されていて、自由に歩きまわっています。

なんか親子の様子が可愛くて・・・

来る時に道に落ちていた動物の毛と骨の話をすると、なんとこの紀州犬のお父さん中心に犬達がカモシカを倒してしまったので、丁寧に埋めたのをまた犬達が掘り出してしまったのだそうです。

「熊は居るけど、まあ恐れて出てこないよ」とのこと。

・・・本気で帰ろうと思ったのに・・・

木の芽峠城塞群
木の芽峠城塞群

曹洞宗の外人門徒の団体さんが上がってきて、さらに、登山姿の団体も上がってきて長居は迷惑と見晴らしが良いからと勧められた鉢伏城址に向かいます。

その前に木の芽城址と西光寺丸城址に向かいますが、城址への道は藪で閉ざされていて、進めない様で、諦めて鉢伏城址に向かいます。

途中で愛知から来られた登山クラブのおばさん達がはしゃぎながら山菜を採っています。蕨を見つけて急遽登山より山菜採りに夢中になったということでした。

ワラビ
ワラビ

観音丸城址も藪の中。標示だけで近づけません。

観音丸城址
観音丸城址

山道を抜けると開けた林道沿いの登りになり、スキー場のリフトの終点にたどり着きます。

鉢伏城址は標高761.7mの鉢伏山頂上にあります。

敦賀湾が眼下に広がり、霞んでいますが水島が確認できました。

水島を望む
水島を望む

この次はなんとか新保、今庄間を歩いてみたいと思います。バスがだめなら、新保に車を置いて、適当な所まで行って往復するという手があるかもしれません。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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