四諦(shitai)

※本ページの写真はクリックしても大きくなりません。

「四諦」と言うのは、字義通りだと「四つのあきらめ」ということになりますが、仏教用語では四つの真理ということになり、仏陀(お釈迦様)の悟りの根幹を示すものということです。

釈迦如来図
釈迦如来図

 

四諦は「苦諦」、「集諦」、「滅諦」および「道諦」の4つからなります。それぞれの意味は下記の通りです。

1.「苦諦」
人間は苦しむものである。生老病死苦、愛別離苦、怨憎会苦など様々な苦しみがある。

薬師寺 持国天、増長天、広目天、多聞天
薬師寺 持国天、増長天、広目天、多聞天 薬師寺公式サイト

 

2.「集諦」
なぜ苦しみが生まれるか?それは人間の欲望・・・これが欲しい、あれをしたいなどの欲望があることから生じてくる。「集諦」は「じったい」と読みます。集は原因を示すものです。

釈迦立像
室生寺釈迦如来立像(絵葉書)

3.「滅諦」
苦しみから脱するためにはどうするか?人間の欲望をあきらめる、欲望を抑えることで苦しみから脱することができる。

室生寺釈迦如来座像
室生寺釈迦如来座像(絵葉書)

4.「道諦」
欲望を抑える方法として、戒律を定める「戒」、欲望を抑えるための節制、精進の努力をする「定」、欲望を抑えられる知性・理性を得るという「慧」がある。

釈迦像
釈迦像

・・・と、まあ、えらそうに書いていますが、全てこの夏に購入した「梅原猛の授業 仏教」(朝日新聞社発行)という本からの受売りです。

本書は梅原猛が真言宗仏教系の洛南高校中等部で特別授業したものをまとめたものです。

梅原猛の授業 仏教
梅原猛の授業 仏教

八重洲ブックセンターの宗教関係のコーナーに平積みされていて新幹線の中で読むのに良いかな思い購入しました。

この本は好評だったようで、続刊で「梅原猛の授業 道徳」が出ています。

バク<釈迦の梵字>
バク<釈迦の梵字>

例え話が多く入り、例えば仏陀の克己の教えを具現化している典型がイチローであるとか、判りやすくしていますが、自分は何回か読み返してようやく、少し判った気持ちになる感じで、なかなか次に進まず、いまだ読了していません。

薬師寺 阿弥陀如来 薬師寺公式サイト
薬師寺 阿弥陀如来 薬師寺公式サイトから

この内容を、一通りの授業で中学生が理解することはかなり難しい気がしますが、仏教系の学校ゆえ、基礎知識があるため、生徒が付いていけているのかもしれません。

この本の基本的考え方に「宗教」が「道徳」の基礎になるということがあります。

中宮寺弥勒菩薩像(半跏思惟像) 旧法隆寺公式サイト
中宮寺弥勒菩薩像(半跏思惟像)   旧法隆寺公式サイト

決まりごとだけで道徳を維持することには無理があり、神(仏)を信ずるというバックグランドがあって、初めて人間を律する道徳が生まれ、文明を形成していくというものです。

世界の8大文明(西欧、アメリカ、東欧、アラブ、インド、中国、日本、中南米)の裏付けには全て宗教がある。

願徳寺 聖者半跏像「特別展 仏像」読売新聞2006年
願徳寺 聖者半跏像「特別展 仏像」   読売新聞2006年

ただし、中国は宗教の代わりに儒教があり、日本は神仏習合された独特な宗教があるということで説明できるとのことです。

自分には「宗教らしいもの」に対するあこがれのようなものがありますが、宗教とは?ということを、どのように考えればいいのかすら、この歳になっても、よく判りません。

醍醐寺 聖観音菩薩立像「特別展 仏像」読売新聞2006年
醍醐寺 聖観音菩薩立像「特別展 仏像」   読売新聞2006年

この本を読んで、仏陀の悟りの根源である「四諦」のうち「道諦」の「定」が修練、克己に当り、「慧」という悟りに繋がるものと言う解釈なのかなと思います。

もう少しこの本を読んで、考えを整理したいと思っています。

今回、仏像の写真を拝借しようと思い、色々当りましたが、公開されているものは多くありません。ご本尊を軽々しくネットに載せる、コピーして利用させるなどということは許されないと言うことなのだと思います。

知恩寺阿弥陀如来立像 雑誌「一個人」11月号:京都の仏像
知恩寺阿弥陀如来立像
雑誌「一個人」11月号:京都の仏像

仏像のお姿を公開されている薬師寺と3年前の国立博物館の仏像展の写真を多く使わせていただきました。

室生寺についいては絵葉書のコピーを使わせていただきました。

また、仏像の写真は文章の内容とは無関係で自分の好きな写真を載せました。

薬師寺遠景薬師寺公式サイト
薬師寺遠景薬師寺公式サイト(サイトへリンク)

薬師寺といえば、西塔が再建されたのが1981年だそうですが中学の修学旅行(約45年前!!)に行ったきりなので、写真でしか知りません。

五木の「百寺巡礼」に、再建された西塔の彩色に異論が多くあるようだが、東塔の枯淡の味は年月により出てきたものであり、建立当時は同じように色鮮やかな姿であったはずで、自然な形である。

と言うような記述がありました。自分もそう思います。

 

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA