37回目の記念日

1977年、7月2日、赤坂霊南坂教会。

「椰子の実」の作曲家、大中寅二さんのオルガン、大中さんの娘さんのアリアソロをバックにして、くま夫婦の結婚式が執り行われました。

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奥さんがくるからとユースの花屋さんにお願いしました

司祭は飯牧師(1980年に山口百恵の結婚式の司祭を務めた方です)でした。

二人で教会を探し回って、霊南坂教会にたどり着き、飯牧師にお願いして、了解いただき、ようやく空いていた7月2日。

何かあって、こんな暑い日に・・・周りの人間には勘ぐられました。

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結婚式まで3ヶ月ほどだったでしょうか・・・牧師のご指示にしたがい、毎日曜日に礼拝に霊南坂に通いました。眠かった・・・

婚姻届の承認サインは飯牧師と当時の会社の部長のお二人でした。

親族、会社付き合いを無視して、六本木のスナックを借り切って仲間だけの披露宴を・・・

親族は親族たちで集まり、宴会をしたらしい・・・結婚前にお詫び行脚をしてはいたのですが、申し訳ないことでした。

部長は、俺の出番がサインだけでは許さんと、会社の同僚、先輩たちに命じて、日を改めて、職場に近い鶴見で披露パーティを開いていただきました。

つまらぬことに突っ張って、周りの人に迷惑をかけて生きてきたのか、と今、反省しきりです。

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結婚以来、なんらかの記念行事をしようと、会社の接待で知ったお店や、好みの料理屋を調べて見つけたレストランや、料亭でちょっと豪華な食事をしたり、小旅行をしたりすることを続けてきました。

おそらく、自分の仕事の関係が多かったと思うのですが、途切れることはありましたが、概ね継続してきたと思います。

今までに行ったところで京橋の「シェ・イーノ」、人形町の「たえ」が記憶にありますが、大分記憶が薄れています。

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子供が出来て関係なくみんなで食事にいったりしていることがごっちゃになっていて区分けができないというところだと思います。

今年は奥さんが「公文」の研修で、7月の初めはカナダに行っていましたので、無しかなと思っていましたら、帰国翌週に敦賀に来るとのこと。

叔父が倒れて入院、子供がいない故、一人で参ってしまった叔母のケアに週何日かは東京に通っている奥さん、無理するなといいましたが、結局決行することに。

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それならちょうど、13日に舞若道開通直前の記念行事で高速道を歩く催しがあるので行事の第1候補にあげ、その他の候補もあげて、土曜日に来たら決めようと。

昨年もお願いしたホームスィートホームでアニバーサリーケーキを注文します。

美味しい料理をと、「かどの」を予約。

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ユースの花屋さんで、奥さんが来るからと花瓶二つにそれぞれ、1000円ずつの花を作ってもらいます。

「ちょっと張り切って入れ過ぎちゃったよ」と、それでも2000円を払って、花束を二つもって帰ります。

「かどの」はいつもの通り、美味しかったけど、季節がら、素材的に厳しい時期なのかと品揃えにちょっと、寂しい感じもありました。

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腹一杯でケーキを半分食べて、明日の午前中は雨は大丈夫そうなので、高速道を歩こうと決めて、就寝します。

翌日起きて、食事をしようとすると土砂降りになります。

即、中止を決断。

メールで送った候補リストには入っていなかったのですが、急遽、恐竜博物館に行くことにしました。

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途中、ユニークな品揃えの北鯖江PAに寄ります。奥さんが帰りの電車の夕食用にと焼き鯖寿司、半人前を購入します。

恐竜博物館は「スペイン奇跡の恐竜たち」特別展が開催されていました。ドンキホーテで有名なラ・マンチャの化石群の紹介で、背中に突起のあるコンカベナトールが目玉でした。

恐竜博物館を出ると雨が再び降り出しました。昼食にソバを食べ、平泉寺に案内します。

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新聞で東尋坊跡に石畳が発掘されたとありましたが、20畳くらいのエリアがシートで覆われていました。新しい建造物を建設中に見つかったようで、建設は中断されているようでした。

前にも御朱印はいただいていますが、再度、御朱印をいただきます。

天気も悪いので、奥の院と南谷の発掘現場はパス。福井発、16時40分のシラサギで帰るという奥さんをお送りしました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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