Eric Clapton & Steve Winwood

11月28日(月)にEric Clapton & Steve Winwoodの金沢公演がありました。

21日の週には大阪で公演があったのですが、会場が大きいこと、大阪人の乗りについて行けそうもないなとビビって・・・テレビで金沢公演の宣伝が流れて、これはいいかなと先行予約に申し込みます。 まだ5月のことでした。

2011-11-282021.24.35
公演会場

少し間をおいて、チケットが到着、石川県総合スポーツセンターのアリーナ席を取り囲む感じの2階席の最後列でしたが、舞台からは比較的近い席でした。

顔は判らないけど、人差し指大位の二人が演奏している姿が見えて、まあ満足。ただ、通路を盗撮監視の係り員が終始、動き回っているのが背中に感じられて、不快感もありましたが。

後ろの方に空席があるのにびっくり・・・まあ、9割5分の入りというところ?演者から見たら気分悪いだろうな、と、気になります。

そのせいか、クラプトンはメンバー紹介以外には最初の「コンニチワ」と曲の合間の「サンキュウ!」しか言わずに淡々と曲を続けて行きました。まあ、言葉が少ないのは不機嫌というより、クラプトンの性格的なものなのだと思います。

オープニングはブラインド・フェースの「Hard To Cry Today」で、一気に「くま」のテンションが120%に到達します。

たった一枚のブラインドフェースのアルバム・・・クリームの栄光を引きずって延々とドラムソロを演ったジンジャー・ベーカーがガンだったと、あいつさえいなければ、と勝手に思い込んでいて・・・実態は知らないのですが・・・

その後はクラプトンとウィンウッドの曲を交互に演奏して行きます。クラプトンの曲と言っても、JJケールの「After Midnight」、「Cocane」等の様に、クラプトンでヒットした曲、という言い方が正しいのかもしれません。

コンポーザー兼シンガー兼マルチ楽器プレーヤーのウィンウッドはほとんどが自作の曲が続いて、自分には馴染みのある曲ばかりで「くま」の興奮は続きます。

聴いたことのない曲もありましたが、あれが最近の作なんだろうって、言い換えると最近あまり曲は造っていないのかと・・・

それにしても、クラプトンのヒット曲のイントロが始まると若干の歓声と拍手があがりますが、ウィンウッドの時にはシーンとしている・・・自分だけ、「おーっ!」とか「キャーッ」とか言って浮いてる感じがしてきます。

ウィンウッドが「Georgia On My Mind」唄ったときだけ、唯一歓声があがりました・・・註書に産経新聞の記事を載せましたが、クラプトンはこの曲でウィンウッドを知り、クリームに入れたかったのだとか・・

休憩後に「Crossroads」があって、これはもうイントロから盛り上がって・・・

上の映像は2007年の時のライブ映像ですが、ギターで頑張ってる長髪を束ねた太めの男はスーザン・テデスキの旦那のギターの名手デレク・トラックスです。

興奮状態継続の「くま」はスペンサー・デービス・グループの「Gimme Some Lovin’」が始まると失神状態に。

エンディングはなんだったか忘れてしまったのですがやはりウィンウッドの曲で終了。

「Can’t Find My Way Home」だった気がするのですが・・・

観客もこのころには盛り上がりを見せて来て、アリーナは立ちあがって、アンコールを要求しています。

自分は、「そう言えばDear Mr. Fantasy」が無かったな・・・」と考えていた矢先に、アンコールにイントロが流れます。

「えっ、これでは乗れないのでは・・・」と心配しましたが、案の定立ちあがった人達はしかたなくゆっくり、身体を揺すっています。

そのまま「Cocaine」に移行して、少し会場が救われて、終了。

「Cocaine」もアンコールの乗りには今一の感が・・「After Midnight」か 「Crossroads」だったんじゃないかなど余分なことを考えつつホテルに帰ります。

11時までやってる飲み屋を教えてもらって、地酒で余韻を楽しみました。


※【註】神様が「憧れの人」とリラックス共演 2011.12.7 産経新聞ニュース記事

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≪エリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドの来日ツアー≫

ロック音楽の黎明期である1960年代から第一線で活躍する英国の2人の大物、エリック・クラプトン(66)とスティーヴ・ウィンウッド(63)が11月17日から今月(12月)10日まで来日ツアーを展開している。

60年代末、スーパーグループのはしりと言われたバンド「ブラインド・フェイス」で共演した2人が2008年2月、ニューヨークで催した3日間限りの再会公演を日本で再現した訳だが、ウィンウッドを尊敬し続けるクラプトンのリラックスした演奏と、通を唸(うな)らせるウィンウッドの名人芸が聴衆を圧倒した。

<我が心の「歌声」>
米黒人ルーツ音楽、ブルースの求道者として、欧米では同業者も憧れるクラプトン。

米の権威ある音楽誌ローリング・ストーンが先ごろ発表したベテランロックギター奏者ら約60人が選んだ「ギタリストベスト100」でも、クラプトンは1位のジミ・ヘンドリックス(1942~70年)に次いで2位だった。

そんな彼の憧れがウィンウッドなのだ。2007年に欧米で出た初の自伝で彼は、1960年代に組んだハードロックトリオ「クリーム」にウィンウッドを加入させたかったと告白。

「彼がライブハウスで歌った『我が心のジョージア』に大いに感動した。

当時彼は15歳。だが目を閉じて聞けば、まるで(この曲を有名にした)米大物ソウル歌手、レイ・チャールズが歌っているようだった」と絶賛するなど、今も彼に憧れ続けていることを示す記述が少なくない。

<譲り合う演奏>
そんな米黒人ルーツ音楽を探求し続ける2人の11月22日、大阪城ホール(大阪市中央区)での公演を見たが、1曲目に披露した「ブラインド-」時代の「泣きたい気持ち」(69年)で2人はストラトキャスターを抱えて登場、聴衆が沸く。

クラプトンがストラトを手にしたきっかけが、実はウィンウッドが弾いていたから、というのは有名な話だ。 それを示すかのように、互いに譲り合うような2人のギター演奏は実にほほ笑ましい。

その後も「グラッド」(70年)や「ディア・ミスター・ファンタジー」(67年)など、ウィンウッドが67年に組んだバンド「トラフィック」の楽曲も披露される。

ウィンウッドの知的なキーボード演奏とソウルフルな歌声が冴え渡る。米黒人ルーツ音楽に根ざした実験的なサウンドは今もユニークだ。

<偉業を称える姿勢>
そして中盤、公演のハイライトといえる「我が心のジョージア」をウィンウッドがオルガンによる弾き語りで熱唱した。彼がバンド「スペンサー・デイヴィス・グループ」時代の66年にスタジオ音源で発表したが、この歌声を一番聴きたかったのはクラプトンに違いない。

終盤には2人でジミヘンの「ヴードゥ・チャイル」(68年)までカバーするなど、互いに超大物になっても先人の偉業を称える姿勢を忘れない。

クラプトンは「ワンダフル・トゥナイト」(77年)など十八番も披露したが、ウィンウッドにメーンを譲りつつ、堅苦しい求道者のイメージを捨て去り、自らの演奏を大いに楽しんでいるようだった。(岡田敏一/SANKEIEXPRESS)

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳