蓼科高原

今年は状況が状況だけに、余程の理由がないと、遠くに出掛けることはないと思っていました。

8月に奥さんが同僚に誘われて、箱根に遊びにいきましたが、勤め先が慰労施設として契約しているリゾートクラブを利用したということで、満足してご帰還。

大分楽しかったようで、10月に休みがとれるので、今度は家族で施設利用をしたいと。家族と行っても、娘達の事情もあり、スケジュールも合わないので、2人で行くかと言う話になります。

昨年までは、色々と主に東京方面へ出掛ける用事を造っていましたが、今年はともかく怖くて、全ての外出予定を諦めていたところで、カレンダーを確認することも無い状態が続いているので、こちらは障害はありません。

出掛けるとして、エリアはどこがいいかと問われて、幾つか候補の挙がったなかから、自分が今まで行ったことのない蓼科を希望、Go To Travelを使用しての2泊3日の旅行に出掛けることになりました。

茅野観光ナビの蓼科の説明をお借りします。

蓼科は、茅野市北部に位置する高原で、平均標高1,000mを超えることから、夏涼しく、避暑地として人気がある。

風光明媚で、温泉にも恵まれたこのエリアは古くから人々に愛され、大正・昭和の代には高浜虚子、伊藤左千夫等の文人、日本画家・東山魁夷、映画監督・小津安二郎などの芸術家たちが愛好しました。

東山魁夷の神秘的な湖を描いた「緑碧く」は蓼科の御射鹿池のカラマツ林よりインスピレーションを得たと言われているのだそうです。

というのは帰ってから知ったことで、気がついていれば、是非訪れて目にしておきたかった光景ですが今回はパスしてしまいました。

10月12日、朝9時に家を出発、途中SAでお茶しながらのドライブで、昼飯時に蓼科湖に到着、フードトラックのサンドイッチとコーヒーを購入して湖畔でランチします。

トラックに並んでいるときに列の後ろの若い人達が地域クーポン使えるんだと言う会話が耳に入ります。

と言って、今回の蓼科行きは奥さんに任せっきりだったので、 Go to Travelも地域クーポンも全く理解しないままだったので、意味が分かりませんでした。

その奥さんもどうしたら地域クーポンを使用できるのか分かっていない模様、ネットと紙のクーポンがあるとの説明を聞きましたが、なにがなにやら全く分かりませんでした。

夕方にホテルにチェックインして3日分で1万4千円分の地域クーポンなるものを貰って、ようやく理解します。

ホテルの喫茶、飲食、土産物屋でも使用できるということでした。

しかし、食事付きで、食欲がないので、それ程酒も飲まず、ルームキーピング不要を選択したら飲み物チケットをもらったり、でホテル内でクーポンを使用する機会はありませんでした。

それでも、2日目の北八ヶ岳ロープウェイの往復、3日目の車山のリフト往復などの他、昼飯、お土産などに利用させてもらい、お得感は十分ありました。

クーポン発行は長野県ですが、近隣の県であれば県をまたがっても使用できるということなので、無理に使用せずとも帰りのサービスエリアでお茶するか、お土産でもと、残った2千円を大事に持っていたのですが・・・

なんと、帰路に寄った山梨のSAは地域クーポン申請中で使用できませんとの張り紙がしてありました。

結局、2千円分を大事にお持ち帰りとなり、旅行中の日にち限定なので翌日、ただの紙くずと化しました。

旅行の際に、よさげな土産を見つけて、まあ後でいいやと思ってスルーすると、まずその後は、同じものは売っておらず、心残りとなること度々経験しています。

なにかそれを思い出しました。買える時、使える時に実行しておけと。

ランチ後、紅葉は今一早いようでしたが、蓼科湖を一周しようと歩き出します。半周したところに蓼科散策路、乙女の滝の表示がありました。

今日はホテルに帰るだけなので、時間もあるしと、乙女の滝を目的に歩き始めます。

地図を見ると、渓谷沿いに歩く道もあったようですが、よく分からぬまま、山の中を車道を小一時間程歩いて、木戸口神社、乙女の滝にたどり着きました。

乙女の滝で渓谷沿いの道を確認しましたが、岩の露出したかなり歩きづらい道のように思えましたので正解だったのかもしれません。

木戸口神社は諏訪大社を勧請し、創建されたとありますが、時期不明のようです。

立っていた説明板、今一難しくて、繰り返し読んでもよく分かりませんでした。以下のようなことなのかと。

当地は北佐久と南佐久へ通ずる道の分岐にあたり、「木戸口」は関所の機能を有していたことを示す。一本の棒に見えるように直線上に造られた道、の意味なのだと。

武田信玄はこの道を「上の棒道(軍用道路)」として整備、要所要所に炭、軍資金などを貯蔵し、狼煙場を設けていた。他に中の棒道、下の棒道の全三つの棒道が残されている。

乙女の滝は自然の滝ではなく、人工水路の形成で誕生した滝なのだそうです。

江戸時代中期に現れた名主、坂本市之丞(養川)は殖産興業をもくろみ、近畿や関東地方を歴訪し、各地の水利や開拓地の実情を調査。

帰郷後、新田開発を目指し、約2年をかけ、山浦地方の地理を調べ、測量を行い、新田開発の計画を立て、藩へ開発の献策をしました。

しかしながら藩の財政上の困難さ、あるいは地域の水流の変化に対する利権の絡みなどで、計画は進まなかった。

天明の大飢饉(天明2年~10年)に見舞われた天明3、4年、諏訪も大凶作となり、切迫した状況となり、養川の計画が日の目を見ることになった。

養川は比較的水量が多い滝之湯川、渋川などの余水を、順々に南の水不足地帯へ送り、その沿岸を灌漑する「繰越堰」を開削、寛政12年(1800年)までに約300haの新田開発を行っていきます。

乙女の滝はこの用水路開発により形成された、渋川、横谷渓谷への落差だったということです。。

乙女の滝で清涼感を満喫し、周辺でお茶しようと探しますが、開いているカフェもなく、かっての狼煙場だったという大きなホテルも休館?中なのか人気もなく、諦めて、蓼科湖にもどりました。

途中、振り返ると雲に覆われていた八ヶ岳が顔を出しています。おもわず、売り出し中の別荘の庭に入り込み、しばらく山を眺め、同じような写真を撮りまくりました。

蓼科湖湖に戻り、周回道路の残りを歩き、終点にあった彫刻公園を巡り、ホテルに向かいました。

翌日は北八ヶ岳ロープウェイで坪庭自然園、北横岳へ。

北八ヶ岳ロープウエイは、サイトのイントロをお借りすると・・・

「八ヶ岳の北端の北横岳と縞枯山の間に架かり、山麓駅(標高1,771m)から山頂駅(同2,237m)までの高低差466mを約7分で駆け上がります。」

雲が多く、八ヶ岳は見ることができませんでしたが、蓼科山が眼前に姿を現してしました。

ロープウェイの脚下には紅葉したカラマツが広がり、シラビソやコメツガが立ち枯れてできると言う数段の白い横縞模様が続いているのが見えました。

縞枯現象は風、降雨、日射などの自然現象の影響によるもので、100年から300年の周期で世代の交代を繰り返すものなのだと。

ロープウェイ山頂駅を下りると横岳の噴火で噴出した溶岩が固まってできた溶岩台地に自然にできたという坪庭自然園がありました。

花が盛んな時期、雪が積もった時期も良さそうで、再度来てみたいなと。ただ・・・そんなこと考える場所は数え切れないほどあって、残りの人生全てを費やしても、廻りきれないでしょう。

坪庭自然園から北横岳へのぼり始めてすぐアゴが上がります。

フラフラ歩いて、もう少しでヒュッテというところで奥さんが待っています。もう少し頑張ればなんとかなりそうと。

ヒュッテにたどり着きますが、ここから後15分の登りという話に、ここまで目一杯で来たので、心が折れ、頂上を諦め、ヒュッテで一人待つことにしました。

奥さんが頂上から下りてくるのを待ち、坪庭の残りの半周を廻って、宿に帰りました。今まで、かなり遅れても、最後までは歩けていました。今回のリタイアはかなり、心折れる出来事ではありました。

3日目は帰る前に、車山を登り、少し先にある八島湿原を見て帰ろうと。

車山は本来2本のリフトを繋いで、頂上にたどり着けるのですが、チケット売り場で、2本目のリフトが工事中で、利用できないとの宣告を受けます。

1本目の終点から歩くと40分、この先さらに車で車山の肩まで行けばそこから30付で頂上に行けますとの説明を受けます。

ここはリフトを選択して、頂上までたどり着きました。地元の小学校や、中学校の遠足コースになっているようで、多くの子供達が元気に歩いている行列と遭遇しました。

彼らはバスが八島湿原(八島ケ原湿原)に廻って待っているようで、八島湿原まで歩いていくのだと。その後こちらは車で八島湿原に向かい、湿原の木道を歩いていると、歩いてきた小学生達が元気にすれ違っていきました。

八島湿原は八ヶ岳中信高原国定公園中部の霧ヶ峰の北西部に位置する標高約1632mの高層湿原、諏訪市及び諏訪郡下諏訪町にまたがる。

日本の「高層湿原」の南限にあたり、泥炭層が発達し、8.05mにもなっている。これは、学術的にも貴重で、天然記念物に指定されている。

Wikipediaに「高層湿原」の記述がありました。

「高層湿原はまず、湖沼から始まり、湖沼への周囲からの土砂の流入、水生植物の繁茂などが起き、次第に埋められていく。標高1000m以上の場所や高緯度地方では寒冷な気候のため、植物の遺体は腐敗・分解がしにくく泥炭となって堆積していく。

堆積物の溜まった湖沼にカヤツリグサ科などの植物が侵入し、湖沼はやがて湿原に変わる。この段階の湿原を低層湿原という。

低層湿原は表面が平坦で地表面と水面が一致し、湿原の表面まで冠水しており、湿原の水は地下水と雨水などであり、比較的富栄養性で、植物としては、大形のヨシやガマ、および大形のスゲなどが生育している。

長い年月につれて、湿原は泥炭が多量に蓄積され周囲よりも高くなる。そのため、湿原は地下水からの供給が行われず栄養素の少ない雨水のみで維持されるようになる。

また、湿原の水は腐植酸によって次第に酸性に変化する。生育している植物は主にミズゴケとなり、ミズゴケは湿原上に小さな塊となって生長し、小凸地(ブルト)、小凹地(シュレンケ)を作リ出していく。

これが、交互に生長して湿原全体を時計皿をふせたように盛り上げていき、「高層湿原」と呼ばれるようになる。」

八島ヶ原湿原の泥炭層は8.05mに達しており、低層部分はヨシ、アゼスゲ、カサスゲなどのヨシ・スゲ泥炭。中間部分は、オオミズゴケ、ワラミズゴケなどのヌマガヤ湿原。高層部分はイボミズゴケ、チャミズゴケ、ムラサキミズゴケなどのミズゴケ湿原になっている。

八島湿原にたどり着いた時には既に夕刻が迫り、大分気温も下がり始め、久しぶりの高原の休日に名残を惜しみつつ帰宅の途につきました。 


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くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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