
金閣寺に後ろ髪引かれつつ、やはり、ここは相国寺つながりで銀閣寺に行かねばとタクシーを拾います。
京都のタクシーの運転手さんガイドタクシーをやっている方が多いので、まず、お話好きの方に当たった場合はいろんない話が聞けてラッキーです。
金閣寺で乗り込んだ車の運転手さん、「良い写真が撮れましたか?」と話しかけてきます。
被写体は最高でしたが、いい写真が撮れたかと、問われると、いつものことながら、どうせロクな写真がないんだろうなと口にはだせず、モゴモゴと。
「京都の人間でも雪の金閣寺はなかなか見れないんですよ。」と・・・
と言いつつ、「まあ、京都の人間は、雪が降ったからって金閣寺で来る人はいないですがね」と続けます。
運転手さんには否定されたけど、どちらかというと京の都の住人の地方から来た人間に対する上から目線という感じがします。
なかなか見れない光景であるならば、開門前のあの行列の中には、「雪が降ったから、金閣行ってみよか」という京都の住人たちもそれなりにおられるたのではないかと思います。
「あの正面に見えるのが比叡山」と教えていただき、それからしばらく走る間、薄く白くなった比叡山が見えていました。
今まで何回京都の街を歩いたかわかりませんが、あれが比叡山と意識したことはありませんでした。
サンダーバードの車窓で琵琶湖側から見る比叡山は比良山系の連山の一部としか印象がありませんでしたが、京都の街から見ると、こんな風に独立峰として見えるのかと。
余談になりますが、野坂山に対する「敦賀富士」という呼び方があるというのは最初の頃、違和感がありました。
一の岳、二の岳、三の岳が連なっていて、富士山らしくない・・というところです。
独立峰なので、頂上の形状を考えなければ富士という言い方もあるかもしれないなと思って、その後気に留めていませんでした。
いつも青少年センターから登って、往復していましたが、ある日山に下りていくときに振り返ってみた野阪は三の岳が後ろに隠れて独立峰に見えました。
ああこれが「敦賀富士」かと勝手に納得したことがありました。
金閣寺の時には、陽射しが、屋根の白と金色の壁を一層際立たせていましたが、残念ながら、銀閣寺に到着すると、雲が頭上を覆い、太陽は姿を隠していました。
門前のお土産物屋街は活気がありましたが、金閣寺の時ほどお客さんの集まりはそれほどでもありません。
銀閣寺は正式には東山慈照寺、金閣と同様、臨済宗相国寺派大本山相国寺の塔頭、文明14年(1482年)、室町幕府八代将軍義政が山荘東山殿を建立。
義政の没後に、寺院となり、法号、慈照院にちなんで慈照寺と名付けられ、開基は義政となっている。
銀閣と言うのは金閣寺との対比で呼ばれたということで、銀色に輝いた歴史はないようです。
開山はホームページ(銀閣寺)には記載がないのですが、Wikipediaに下記の記載があります。
「開山は夢想疎石(国師)とされるが、(金閣寺と同じく、)勧請開山、すなわち実質的な開山ではなく、名目上の開山」ということのようです。
夢窓疎石の享年が1351年ですから、年代的には全く合わないので、当然そういうことになるのでしょう。
元々は別荘として建立され、後にお寺に変わったので、外部の僧が代理をして、常駐の住職がいなかったということなのでしょうか?
あるいは夢窓疎石を開基とするということが慣例的に行われるということがあったのでしょうか?
修学旅行の時に見た金閣は自分には派手過ぎて、ちょっと抵抗があり、銀閣がより好ましく思えました。
お付き合いしているスイスの会社の前の社長夫妻が来日されたときに、自分が京都を半日だけ案内しなければならなくなりました。
どこにするか悩みましたが、正解はないのだから、自分が一番好きなところに連れて行こうと、銀閣寺から哲学の道を案内しました。
食事はネットで調べた、祇園のミニ会席のお店を予約しておき、お座敷でのランチを・・・今、思い出そうとしてもどこだったのか全く記憶にありません。
奥様が庭造りがご趣味ということで、銀閣寺の庭に甚く感激して、喜んでいただいたことが記憶にあります。
庭ということであれば、他に行くところもあったのかとも思います。
ただ、確か、彼女の目指していたのがイングリッシュガーデンということでしたから、日本人の好む庭とと彼女のはまる庭というのは異なるのかもしれません。
まあ15年も前のことを、今頃いろいろ言い訳しても始まらないのですが。
今だったら、どこにお連れするのだろうか・・・と言っても、自分の中では進歩はなく、今でもきっと、銀閣寺は外れないような気がします。
金閣寺では、歩いていると、樹々の枝葉の雪がどんどん落ちてきていましたが、銀閣寺の樹には雪がたくさん残っていました。
雲が厚いこともあり、陽が射す時間が少ないこともあると思いますが銀閣寺の方が山深い感じがします。
その中でも、たまに、雲の切れ間から、陽が射したときの輝きは印象的でした。
大分長い時を過ごして昼過ぎとなり、文化博物館のコンサートには間に合いそうもありません。
敦賀に帰ろうと。ホテルに預けていた荷物を取り、駅に向かいました。