
2月22日、23日は昨年参加した勝山左義長でしたが、今年は寒くなくて、あまり興味が湧いてきません。
どうしようか、昼間に屋台だけでも見に行くか・・・
悩みつつ、金曜日の夜に読みかけの「毛利元就」を読んでいたら止まらなくなり、上、中、下と読み通してしまいます。
さらに、並行して読んでいた五木寛之「親鸞」の上巻を読み終えて、一歩も外に出ない土日を過ごしました。
親鸞が叡山での苦行の中で、聖徳太子の「私のところに来い」という言葉を聞きます。
太子の呼ぶ場所として太子の開基された六角堂に思い至ります。
親鸞は、昼間、叡山でお勤めを済ませた後に、夜、六角堂へ通う、100日参籠を始めます。
五木の創作に寄る部分が大きいと思いますが、その六角堂で後の奥方として迎える紫野に出会います。
100日参籠を終える前に、親鸞は叡山を捨てることを覚悟します。
ここで上巻は終わり、下巻から吉水の法然上人の元へ通いだすところから始まります。
週が明けて、25日は、福井病院で糖尿病の検査です。
眼科と内科にかかるので診察はいつも昼過ぎまでかかります。
26日はこの一年間で3回目の桂離宮の参観。
前日宿泊して京都で食事しようとホテルを取ります。
観光シーズンからは外れていますが国立大の入試があり、ホテルは満杯でした。
三井ガーデンホテル三条の喫煙ルームをかろうじて確保します。
25日の午後も休みにして早めに京都行くつもりでしたが、結局、病院の後に部屋に戻り、ぐずぐずしていて京都に着いたのが夜8時ごろになります。
三条を歩き、柳馬場通りで、今日の魚「びわます」の貼り紙に魅かれます。
京都の地酒とともにお造りを美味しくいただきました。
明日の桂離宮は14時からなので午前中はどうしようか・・・
飲みながら、ホテルでもらった地図で検討していました。
嵐山まで行き、渡月橋を起点に南に下って桂離宮に行こう、と概要を決めます。
あれ?三条の一本南に「六角堂通り」がある・・・ここだったのか・・・
帰りがけに歩いていくと烏丸通の手前に六角堂(紫雲山頂法寺)がありました。
門が閉ざされていたので、翌日朝一番できてみようと。
翌日ホテルを引き払いお詣りしたのは朝8時ごろでした。6時に開門されるようです。
背の高い池坊会館の中庭のような感じの場所に六角堂があります。
お寺の池の傍に宿坊があり、坊の人たちが毎日お堂にお花を飾っていたことが池坊の起源ということらしい。
近代的な池坊会館と親鸞上人の修行の地・・・不思議な雰囲気です。
会館のエレベーターで最上階に昇り、お堂の全体像を拝むことができました。
下で掃除をされていた方に、御朱印をお願いします。
三十三間堂の御朱印帳に続く2冊目は青蓮院で購入したものです。
青蓮院の後に吉水にある知恩院の御朱印があり、六角堂と並ぶことになりました。
なにか親鸞上人に御縁があったのかもしれません。