常寂光寺

2013.10.27
2013.10.27

落柿舎から常寂光寺へ向かいます。

二尊院と同様、ここも紅葉で著名なところの様です。

常寂光寺公式サイトにアクセスすると全山赤く燃え上がっているのですが・・・

目の前の常寂光寺は10月の末って、こんなものかと、呆れるほど緑が綺麗。

仁王門から緑のアーチを抜け、本堂に出ると、京都の街を望むことができました。

「苔衣きて住そめし小倉山 松にぞ老いの身を知られける」 (日禎)

開山は日禎(にっしん)上人、安土桃山時代の日蓮宗の高僧で本圀寺16世。

日禎は文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿千僧供養に不受不施義(ふじゅふせぎ)の教義を守って出仕せず、本圀寺を離れる。

翌年、小倉山に常寂光寺を開山して隠棲した。

歌人としても著名で、京の町衆に篤く信頼され、豪商角倉了以が土地を寄進した。後に、日禎は了以の大堰川改修工事を支援している。

上人は元和3年(1617年)57歳で遷化。

不受不施義とは、日蓮宗の教義の一つで、法華信者以外の布施を受けず(不受)、法華信者以外の供養を施さない(不施)ことを表す。

秀吉が命じた千僧供養に出仕するかどうかで、日蓮宗は受布施派と不受不施派に分裂し、その後、不受不施派は「邪宗門」とされ、江戸時代を通じて禁圧を受けた。

お寺でもらった縁起に定家の造営した「時雨亭址」の記述がありました。

嵯峨に時雨亭三か所あり、常寂光寺、二尊院、厭離庵これなり。近年の研究では 常寂光寺仁王門北すなわち二尊院南に位置すると。

落柿舎、時雨亭および常寂光寺・・・文化人の集いくる嵯峨野というところなのでしょうか。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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