湯島聖堂2013

お茶ノ水から、神田明神に向かう間、聖橋を渡りつつ、東京医科歯科大や、振り返ってニコライ堂の写真を撮ります。

東京医科歯科大
東京医科歯科大

渡りきったところに湯島聖堂があります。今までお参りしたことがないなと、神田明神の前に寄り道を・・・

「寛永9年(1632年)林羅山は尾張徳川義直より、孔子聖像、顔子、曾子、子思、孟子の四賢像、祭器の寄進を受け、上野忍ヶ岡に与えられていた私邸内に孔子廟を創建します。

元禄3年(1690)、徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。

その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は大学校・大学と改称されます。

明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。」

司馬遼太郎「街道を行く-本所深川散歩、神田界隈」の話が続きます。

「昌平坂」の項が湯島聖堂に該当します。下のパンフレットの地図で言うと、斯分会館の右の通りが昌平坂にあたる様です。

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湯島聖堂パンフレット

「昌平坂」の項をまだ読んでおらず、湯島聖堂に対して、何も知らずに、大成殿をお参りしただけで、昌平坂も斯分会館の近くにあるらしい孔子銅像もパスしてしまいました。

「・・・昌平という名は孔子が生まれた郷村の名をとったと言われている。・・・」

「・・・湯島台に聖堂があったればこそ、神田川をへだてた神田界隈において学塾や書籍商がさかえたのである。」

戦国時代は学問に縁がない武将が多かったなかで、前田利家は、その晩年に、儒学者、藤原惺窩(ふじわら せいか、1561〜1619年)の講義をうけて勉強を重ね、加藤清正、宇喜多秀家等にも学問を薦めた。

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武辺一辺倒の清正達に武士がそうあるべき理想的人格者像として曾子のことばを説いたのだそうです。

「以て六尺之孤を託すべく、以て百里之命を寄すべく、大節に臨んで奪ふべからず。君子人か、君子人なり。」

下記の意味になるということです。

『友人などが死にあたって、その遺児をあずけるに足るような人格の持ち主で、国家の政治をまかせるに足りて、非常の場合でも、他者から強要されて志を奪われることはない人であれ。』

暗に秀頼のことを指すのだということは判りそうです。

「君子人か、君子人なり」は『そういう人格の持ち主こそ、君子と言うべきだろう。』ということなのだと思いますが、司馬遼太郎は独自の解釈を展開します。

『君子、人(ひと)か、君子、人(ひと)なり」と訓んで、君子は本来、ただの人かもしれないが、しかし、学問によって、倫理的に自分を造り上げ、常人を超える人間になるのだ。』
だから、利家が清正達に勉強しろと言ったということだと。

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なるほど・・・

「江戸期の儒学というものは、武士が武士になるめの工夫の道だったと言える」と・・・

「豊臣家の諸大名は藤原惺窩を招いてはなしをきくことが広まり、その中に家康もいた。やがて家康の世の中になるが、惺窩は家康に仕えることをせず、弟子の林羅山を家康に推挙する。

家康は自らは林羅山に学ぶ姿勢は見せなず、官吏としての扱いをしたが、2代目秀忠の教育をまかせ、侍講とした。

孔子像
孔子像

その後、林羅山は家光に重用されるようになり上野に、屋敷を拝領し、私塾としての学問所をひらく。」

という前振りがあって、上記のパンフレットの説明の聖堂開設に繋がるわけです。

その他に湯島聖堂は下記にあげる関連事項で、東京の教育、文化におおきな影響を与えたことが判ります。

荘氏像
荘氏像

1.湯島聖堂は明治時代に改組されて、文部省となる。

2.昌平坂学問所は天文学の開成所、医学所と併せて、東大の基礎となる。

3.明治5年に湯島聖堂で博覧会が開かれたことを契機に湯島聖堂に日本初の博物館が開かれ、現在の東京博物館となる。

4.明治5年に東京師範学校、、7年に東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展。

5.わが国初の図書館である書籍館が置かれた。

聖堂の全体の雰囲気は中国と和風が混淆した不思議な雰囲気を醸し出しています。

不思議さは日中混淆というより、宗教的な色合でない、学府の歴史が築き上げてきた雰囲気が、神社仏閣になれた身に、何気なしの違和感を感じさせているということかもしれません。

雰囲気に染まりやすい「くま」は漢詩の本と、「四字熟語」の文庫本を購入してしまいました。

構内で、筆、硯、墨等の販売をする屋台がでています。墨画用の7色の墨があるのに興味を引かれつつ、神田明神に向います。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

2件のコメント

  1. 突然ですが、3月16,17日は何の日ですか、TVで見たのです最後だけ、

  2. 藤本様
    Wikipediaの「2月7日(旧暦)」に以下の
    記事があります。
    「延宝9年2月7日(グレゴリオ暦3月17日)
    :孔子を祀る湯島聖堂が完成」
    今週末になにか記念行事があるということ
    だったのかもしれませんが、自信はありま
    せん。

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