JL002便 0729

出張です。以前、「メンドシーノ」で記事を書いたカリフォルニア州ユカヤ市に向かいます。

10年振りでしょうか・・・

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0時過ぎ出発なのに7時頃着いてしまいます

2年前の長女の夏休みに便乗したハワイ島、昨年のゴールデンウィークのおくさんとのニューヨークと久しく縁のなかった、アメリカに毎年、行っていることになります。 
2009年から、アメリカへの渡航の際には、日本のように、短期滞在のビザ(査証)を免除しているすべての国々を対象に、電子渡航認証システム(:ESTAElectronic System for Travel Authorization「エスタ」)が義務づけられています。

おくさんが見送りがてら遊びに来ると言っていたけど・・・
おくさんが見送りがてら遊びに来ると言っていたけど・・・

「 ESTAはテロ防止などの観点から、ビザが免除されている人の情報を出発前にインターネットで収集し、各渡航者についてビザなしで訪米する条件を満たしているか、保安上のリスクをもたらさないかなどをチェックするもの 」(政府広報オンライン

と、詳しいようですが・・・ハワイ島に行くときにおくさんが全部手配してくれていて、自分では申告をしていませんでした。
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電話をすると、すでにウロウロしていると・・・なぜか仙台の七夕飾りが。

海外出張に関しては、会社の関連会社の旅行代理店にすべてお任せで、なにもしなくていいのですが、ESTAも代理で、できますよと言われて、それくらいは自分でやろうかと・・・

と言いつつ、申告しようとしたら、手帳に控えていた自分のパスポートナンバーが2年前に更新する前のもので、代理店にメールで問い合わせる始末・・・

挙句の果てに、申請すると、「お前は既に登録されている。新しい登録をするのか?」と聞いてきます。

国際線の便数が少ないせいかそれほど煩雑ではありません
国際線の便数が少ないせいかそれほど煩雑ではありません

「くま」を危険人物とみた代理店が断りもなくやってくれた?

代理店に問い合わせると、内容を確認してくれて「2010年11月に登録。今年、11月まで有効」とのこと。

確か、ニューヨークに行くときに、おくさんがハワイの時に申請したESTAが有効なうちにアメリカに行かねばと言ってたのを今、思い出しました。

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自分でやらなかったために忘れていたというお粗末、ということでした。

その昔、海外出張に関しては、ビジネスクラスで海外出張ができていました。

そのうち、ごく限られた条件でしか、ビジネスが使用できなくなり、頻繁に行く人間はディスカウントチケットで出張するようになります。

シャトルバスで羽田全部を回ってみようと
シャトルバスで羽田全部を回ってみようと

会社の上司の奥さんがJALのCAで、キャンペーンに協力しろということで、JALカードホルダーとなってから出張はほぼJALを使用することを原則にしていました。

ヨーロッパ便ではJALのチケットはディスカウントでも1回の変更が利きました。

スイスに滞在していた時に、1回フライトを変更した後に、またトラブルがあり、帰りのチケットを失効。
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第2ターミナル 初めて来ました

スイスの会社に調べてもらったのか、自分でネットで調べたのか記憶にないのですが、安いチケットを販売している旅行代理店を見つけ、電話をすると、なんと日本人でした。

スイス人のご主人と結婚して、自宅で代理店をやっているのだそうです。代理店=ご自宅は自分が滞在していたバーゼルの郊外にあり、緊張しつつ、トラム乗って行ったことを思い出します。

その時に、日本からメールで注文をもらえれば、日本発のラウンドチケットを購入して、日本に送ることができるという話をお聞きしました。
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数字などは覚えていませんが、えらく安い値段で、しかもフライト変更が利くチケットであること、ただし、郵送する時間が必要なので、1週間程度は見る必要があるなどと・・・色々道はあるものだと感心しました。

ヨーロッパでは1回でも変更の利いたJALのディスカウントチケットでしたが、アメリカでは変更が利かずに苦労します。

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仕事の質が予定通りの工程を許すものではなく、変更は必須・・・となれば、正規料金か他社に変更するか・・・当然の帰結として、変更の自由度があるユナイテッド(UA)を選択することになります。

UAを使用し続けること5年程度だったでしょうか?UAでもフリークェント・フライヤーになり、どんどん貯まるマイレージでアップグレーディングでビジネスで行けるようになりました。

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UAのコードシェアでANAを利用することもありました。
当時、ANAは他の航空に比較すると、スタッフ全員が一丸となって溌剌としていて、若き熱気が伝わってくるという印象がありました。

ANAが発展しつつあるという思い込みがあり、そう見えたと言うこともあるかもしれません。

茶目っ気で、機内でJALカードで買い物をしたら、チーフを先頭にCAが3人でそろって挨拶に見えて、恐縮してしまいます。

なぜ、JALのフリークェント・フライヤーが今回ANAを選んだかを聞きたいとのことでした。

特に理由があるわけでないので、余分なことをして迷惑をかけたと申し訳ない思いでした。

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国内線のショップは7時半〜8時くらいで閉店でした

と、前ふりが長くなりました。

代理店にサンフランシスコ便の手配をお願いすると、JALのサンフランシスコ直行便はなくなったとのこと・・・

代理店が勘違いしていて、結局、サンフランシスコ直行便は成田から羽田に移り、夜中の12時過ぎにでて、前日の夕方にサンフランシスコに到着するという、羽田の特性を生かした、ずいぶん様変わりの形で存続していました。

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JAL国際線の第1号である、サンフランシスコ往復便JL001、002便が無くなった・・・

と聞いたときはJAL、というより時代が大きく流れたんだな・・・JALを象徴する001と002便はどこの地と結ぶ便になったのかなどと、考えてしまいましたが・・・

以前は朝、アメリカについて、そのまま移動して、昼から打合せというきつい行程もありましたが、夕方到着、一泊してから、移動あるいは打合せとなるので大分楽になったような気がします。

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第1ターミナル 何回か利用した覚えがあります

千葉住人としては寂しい限りですが、国際線のメインが、成田から24時間稼働可能の羽田に移って行くのは時間の問題ということを実感した思いです。

LCC基地としての生き残り策、羽田との連携、羽田と成田の高速移動手段などの課題を解決していき、成田の意義が残ってくれることを祈る思いです。

7月28日の18時のSFOに到着です。一人搭乗が遅れ、30分遅れになりました。
7月28日の18時のSFOに到着です。一人搭乗が遅れ、30分遅れになりました。

知事さん、最近表に出てこないけど、お忙しさに負けて、タレント性を喪失しつつあるのかしら・・・

「もともと・・・」、などという言葉は飲みこんでおきましょう。
くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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