自粛の春

四街道市民大学の本科および専門課程の双方に2年間通いました。前年度は双方とも皆勤賞。

今回も欠席無しで、市民大学は無事終了したのですが、3月半ばに予定されていた専門課程の最終講義と修了式は、新型コロナウィルス感染防止対策で中止となりました。

コブシ

成田の仏教文化講座、信徒七誓会、秋葉原の「明智光秀講座」、小金井公園のサクラ観察会、目利きの東京建築散歩、神田明神塾などなど、軒並み中止となり、つらい、春を過ごすことになりました。

本記事の写真は双方とも対象はたろやまの郷で、3月9日の生き物調査と19日に独りで歩いた時の写真を使用しており、記事の内容とは関係ありません。

本科の市民大学の方も歴史、IT、医療など、工夫した講義があり、それなりに面白いと思いましたが、テーマは総花的で、いささか物足りず、面白そうなテーマでも、1時間半の講義では余りにも時間が少なく、もう少しじっくりお話を聞きたいなというところがありました。

ウグイスカグラ

まあ、市民大学は講義そのものよりは、老人達を家庭からコミュニティの場に引きずり出して仲間を作らせようという意図が透けて見えてしまう部分があり、もういいなと今年で卒業することにしました。

市民大学の最終講義終了後、市長も出席しての修了式。最終回の前回、教育課の人に呼び止められ、次回来るとあんたは皆勤賞になる、市長から修了証をもらい、答辞を読めと。まあ断る理由もないのでお受けします。

コウヤボウキ

ついては言い回し等あるから、原稿をチェックしたい。1週間前までに作成して欲しい。400字程度かな?解りました。メールで送ればいいですね。いや、持参しろ。えっ?・・・ちょっと、いらっとします。なぜ、持参してお伺いをたてなければいけないのだろう・・・

まあ教育課の事務所は駅前に近いし、自分お馴染みの市民ギャラリーの2階なので、まあいいかと。しかし、このご時世に持参しろはないだろうなと。

なんとか作成して、市民ギャラリー覗きながら持参します。指示をくれた担当者がいなくて、同僚に提出。つい「持ってこい」と高圧的に言われて不快だったと、余分な一言を残します。

原稿に連絡先などを記載していましたからなにかあれば連絡があるだろうと。

数日して、担当者からメールが来て、なにやら添削したファイルが添付されている模様。オレに持参させておいて、お前はメール一本ですますのか、と。

ジジイの悪い癖で、かっとなってメールを開けぬまま、自分のオリジナル原稿で当日に臨んでしまいました。

まさか市長を目の前にしての答辞とは思わなかったのでいささかひるみましたが、昨年亡くなった運営委のかたへの弔意を示すアドリブもなんとか言えて、2年間有り難うございました、新しいことを求めて卒業させていただきます。と見得を切ってしまいました。

市長から、とってつけたように、新しいチャレンジを頑張って下さいとのお言葉をいただき終了。

サジガンクビ

最後に市長の講演、予定通りの時間で終了したと思ったら、いつもの3.3.1新道路建設推進の自己弁護が延々と30分、うーん、おれが原稿校正してやりたい・・・って、原稿からはみ出した部分だからどうしようもないか・・・

本科に対し、専門課程は市の教育委員会と四街道市唯一の大学、愛国学園大学とのコラボで大学の准教授クラスの先生達4人が、ご自分が工夫された講義を二コマずつを月1~2の土曜日に受講するものでコミニュティ形成を強要される、ということは余り感じられずに、抵抗が少ない。

今年度は下記の講義の計画がありました。

1.2.近代農業史として満州移民と帰還した移民達による四街道開拓の話

3.4.水害の印旛沼開拓、近年の都市型水害

5.6.移民の言葉に触れよう ペルシャ語講座   自分の名前をペルシャ語で書きました。

7.8.「色を見る、世界を見る」「多様性社会における「知ること」」

最終講義の第8講は3月半ばに予定されていて、これで2年連続で本科と専門課程双方とも皆勤賞、と考えていたのですが、前記したとおり、新型コロナウィルス感染防止策で中止となってしまいました。

第7,8講は心理学の先生の講義で、第7講の「色を見る」が面白くて最終講も期待していたので、中止は残念でした。

「色を見る」は心理学というものの説明に引き続き、ニュートンの言葉「光に色はついていない。色は光の持つ特定の強さ性質によてって引き起こされる「感覚」なのである。」から始まります。

ニュートンは色の認識に対して、かなり真実に迫っていたのではないか、という説明でした。

光は高エネルギー体(太陽などの)が放出する電磁波のうち380~770nmの波長の可視光であり、この可視光に対し、眼球の細胞で色を識別し、視神経に伝達されることにより色を認識する。

物体そのもには「色」はなく、可視光のうちのある波長を吸収し、ある波長を反射しやすいかの性質により、何色に見えるかが決定される。

顔料、染料というのは従って、特定の波長の光を選択的に吸収させて、所定の色と認知させる物質で、物体の表面に塗ったり、しみこませることにより、物体表面の分光反射率を変える役割をもつものである。

眼球の中にある光受容体には桿体細胞と錐体細胞があり、桿体細胞は単独の視物質のみを発現するため感度が高いが色覚には関与しない。

錐体細胞は異なる波長特性を持つ視物質を発現するため色覚の基礎となるが、感度が低いため充分な光量を必要とする。

暗所では錐体細胞はほとんど働かず、桿体細胞が働く。このため暗所では、物の形は判っても色ははっきりとは判らない。

光の色を感ずるのは眼球の中にある3種類の錐体は波長の分光感度域がそれぞれ異な波長のS(Short Wave)、M(Mid Wave)、L(Long Wave)の3種類の錯体細胞の働きによる。

L錐体は長波長(黄色周辺)に反応し赤錐体とも、またM錐体は中波長(黄緑周辺)に反応し緑錐体、S錐体は短波長(青周辺)に反応する青錐体と呼ばれ、それぞれ特定の範囲の波長に最も反応するオプシンタンパク質というタンパク質を有している。

人間の錐体細胞 (S, M, L) と桿体細胞 (R) が含む視物質の吸収スペクトル

これらが可視光線を受け、3種の錐体からの情報の相対比や位置を分析して色を知覚、すなわち、黄色より長波長の光に対しては、赤錐体にのみ感度があり、緑・青錐体には感度がないという「赤」の視覚パターンを生じる。

また、赤錐体には青錐体より短波長側に第二の反応ピークがあるため、青より短波長の光に対しては、赤・青錐体に感度があり、緑錐体には感度がないという「紫」の視覚パターンを生じる。

これらの3錐体による知覚信号が視神経を経由して大脳の視覚連合野に入り、色として認識するのだと。

きっと、昔勉強したことなのだと思うけど、良くはわからぬままに、なるほどと、納得します。

中止になった最終回のテキストが郵送されてきました。

タイトルは「多様性社会における『知ること』の大切さ」というもので、一見、前回と関係なさそうですが、前回の講義内容に立脚した「多様性(ダイバーシティ)社会」の講義ということでした。

アオキ

前記した3種の錐体の存在は全人類に共通の特徴ではなく、2種類のみを保有する人がいて、世界で10%、日本には5%が相当する人が相当する。2色型の人はS、MあるいはS、Lの2種類の錐体を有し、赤と緑の識別が難しいことになる。

シュンラン

以前は「色覚異常」あるいは「赤緑色盲」などと称し、3錐体のマジョリティの人間に対して、小数派の2錐体保有者を差別化する傾向があったが、これは多数派の人間が自分達に都合の良い環境を是とし、小数派を異常と見なす横暴な考え方である、と。

コスミレ

少数派としては、さらには4錐体の人、錐体の反応する波長のピークが異なったり、錐体数やその分布が異なる人もいて、全ての人が同じ色を感じている訳ではないので、異常と見なすのは間違いである。

多数派が作り上げた「自分達に都合の良い環境環境」で小数派が苦しむ状況をなくそうとすことを多様性=ダイバーシティと称する。

ジュウニヒトエ

自分達の常識とは異なる人達との共生を目指し、ダイバーシティを獲得するための第一歩として、不便を感じる小数派の人達を「知ること」が重要であり、少数派の人も「冷たい社会」への疎外感を持つことがあるかもしれないが、多数派社会の人間達のことを「知ること」による相互理解が必要であろう。

ヒイラギナンテン

「ダイバーシティ」は、一般的には「生物多様性」「遺伝的多様性」「文化多様性」あるいは労働における「人材の多様さ」といった概念を指す語として用いられる。

ミチタネツケバナ

社会生活におけるダイバーシティは年齢や性別はもちろん学歴・職歴、国籍・人種・民族、性的指向・性自認といった側面から人を制限しないこと(バリアーフリー)、むしろ積極的に採用していく取り組みなどを指す意味で用いられている。

ヒメオドリコソウ

「色を見る」ことから「知ること」の重要性を伝え、全般的的なダイバーシティのあり方を説こうということこそが第7講、第8講の目的だったということのようです。

レンゲソウ

最後に色の世界の多様性のあり方として、色の見え方、感覚の共有性をもった配色を規定した「ユニバーサルデザイン」の説明をする予定であった。といことでテキストとして、「カラーユニバーサルデザイン推奨配色セットガイドブック」が示されていました。

最後まで聴講したかった講義でした。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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