竹田城

自分のブログの第2回目の記事が「史跡」でした。2009年2月の記事ですから、ほぼ7年も前になります。

一乗谷、大野城、吉崎御坊等の話の他に、築城450年祭が開催されていた国吉城址でお会いした、お城フリークの人に、山城では竹田城が最高、というお話を聞いたことを書きました。

 

竹田城 2015年11月21日

自分は歴史が好きということで、特に城に対する思い入れは無く、あまり、興味も湧かなかったのですが、せっかくおっしゃるのなら確認だけはしてみようと・・・

竹田城 2015年11月21日

和田山町の公式サイトに掲載されていた、雲海に浮かぶ城跡の写真を見てビックリ、まさにマチュピチュ、これは行かねば、と興奮した次第です。

なんのことはない、高校時代以来の憧れの対象、「マチュピチュ」行きが3年前にあっさり実現、日本のマチュピチュ、竹田城跡が後回しになってしまいました。

マチュピチュが憧れの対象、といっても、きっかけは入試の苦しみを紛らす現実逃避の幻の女神、という側面が大きかったと思います。

竹田城 2015年11月21日

きっかけは何であれ、行きたい所であったことには代わりなかったのですが、正直いうと、何時までも憧れていたくて、実現を避けようとしていた節もあったような気がします。
夢見た彼の地で遺跡を目の前にして、ただただ、茫然としていました。

記憶は明確ではありませんが、同様に、頭の中では、「雲ノ平」を、何回もトレールし、お花畑を堪能していました。

こちらはもう、体力的な面から夢は夢で終わりそうですが・・・

竹田城 2015年11月21日

和田町はその後、市町村合併で、朝来市に取り込まれ、朝来市の公式サイトに「全国一の山城遺跡竹田城跡」が設けられていますが、和田山町のサイトも継続され、双方で盛り上げているようです。

地道な宣伝活動が効いたのでしょう、天空の城として人気を集め、入城者数が、年間50万人を超えるようになり、それこそ、「全国一」の山城遺跡となってきたようです。

実は竹田城址(じょうし)、と記憶していて、城跡(じょうせき)と書かれていても、「じょうし」と読んでいました。意味は同じなのでしょうが、くま的センスとしては「じょうし」の方が語感が良いと思います。

竹田城 2015年11月21日

それはさておき、お聞きしてから、すぐに、あるいは少なくとも2年前までに来ていれば、今の様に立ち入り禁止区域もなく、自由に歩けたようで、その点が残念です。

係の人にお聞きすると、来年には最高地点の天守には立ち入りが出来るようになるということでした。また、懲りずに来てみるかと。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA