東京まちさんぽ-地下鉄赤塚駅

7月14日、東京メトロ「東京まちさんぽ」。

地下鉄赤塚駅→光が丘公園→秋の陽公園→豊島園(素通り)→平成つつじ公園→江古田商店街→千川駅

正直言って、あまり面白そうな場所がなく、ひたすら炎天下を歩き続けるつらいお散歩でした。

今のところ、関東地方の浦島太郎としてはいまだ都心部を歩きたい気持ちが強いようです。

光が丘公園

歴史、宗教、美術など、自分の勉強したいことに関連する事項が多いということなのか。

赤塚駅から歩き始めて小一時間。お釈迦様の手の内を抜け出せないという具合に、歩けど、歩けど光が丘団地が続き、広大さにあきれます。

光が丘団地

光が丘団地の前身は米駐留軍の居住地「グラントハイツ」。

日本陸軍が開設した成増陸軍飛行場(高松飛行場)が戦後接収されて、周辺にできたのが米空軍の宿舎であるグランドハイツで、昭和48年に日本に全面返還され、昭和52年、光が丘公園着工となった。

第1給水地:湿地のある「秋の陽公園」

前回、道路案内の若いバイトさん達が炎天下でも帽子を被ることを禁じられていると言われてビックリして、今回もそう言うことなら抗議しようと考えていました。

今回は大部分の子達が帽子を被っており、一部は東京メトロイベントのマークが入っていたので、支給もされたのだと思います。

でも、ご自身のセンスもあるようで、進んで無帽だったり、東京メトロ帽子を嫌ったのか、マイ帽子らしいものを被ったりしている人もいたりで、まあ、それはそれでいのかなと。

このイベントは朝受付をすると、今日の行程の地図と併せて。スポーツ飲料が提供されるのが慣例でした。

今日は環境が厳しいことが想定されるからと、途中2カ所の給水ポイントが設け、スタート時は手ぶらで出発することになっていました。

給水ポイントはマップに記載されていましたが、とりあえず、スタート時に水を購入して出発します。

2カ所の給水ではスポーツ飲料を各一本ずつ支給されましたが。まるで足りずに、さらに2本買い足し、合計で6本の飲料を消費しました。

体調は最低で、飲み干しても飲み干しても水分が欲しくなって、キリが無い状態。

幼稚園から小学校低学年の頃、阿佐ヶ谷の戸建て社宅に住んでいました。

というとかっこいいけど、庭のある長屋と言う案配で、各戸の垣根には子供達がすり抜ける穴がi開いていて、団塊の子供達は全ての家が、我が家の様に走り回っていました。

練馬白山神社の大ケヤキ 1083年に植えられたとされている。

その団塊の子らの一人であった自分でしたが、夏の盛りから、暑さの継続する9月に入ろうとしていた頃に外で遊んでいると・・・

ふと、自分の声が遠くから聞こえるような感じになったと思うと周囲の風景がすーっと遠くなり、吐き気がする、そんな感覚が・・・毎年のように何回か経験しました。

練馬白山神社

その後、成長してもたまに同じ様な感覚が蘇ることもあり、季節の変わり目に体調が追い付かない、ということがあるのかと思っていました。

今考えると、あれは熱中症に類するするものではなかったのかと。そうだとすると、かなり危険な状態まで遊びきっていたことになるのかしら・・・

昨夜、今日に備えて、早めに就寝しましたが、暑さで眠れず、2時間ほど苦しんだ末に、諦めて、一旦涼んでから寝ようとリビングに降り、テレビを付けました。

テレビではウィンブルドン男子準決勝のイスナーとアンダーソンの50ゲームに及ぶ最終セットの最中でした。とうとう最後まで観てしまい、かなりの睡眠不足で本日に臨むことになってしまいました。

イスナーの疲れ切った顔はきっと、ウォーキングのゴール直前の自分の姿に酷似してるのだろう、他人事には思えませんでした。

時宗 慈光山阿弥陀寺 「ひぎり地蔵」

寝不足でぼーっとしつつ歩いていると、耳が抜けない感じになり、咳払いを繰り返し、唾を呑み込んでも変化無く、自分の声が遠くから聞こえるようになります。

えっ、と昔の感覚を思い出します。もしかしたら・・・

慌てて、途中にあった「(練馬)白山神社入り口」の交差点から白山神社を探し、境内の日陰でしばし休憩をとり、回復を待ちました。

白山神社での休養で熱中症状態は大分和らぎ歩き出しますが、最後は、腰の痛みがでてきて、へろへろでゴールすることになりました。

練馬駅の高架を潜ると、西部池袋線に沿ったな千川通り(清戸道)を延々と江古田まで歩き、左折するとゴールの千川駅になります。

今は暗渠化されたり、廃止されている千川上水に沿った道ということです。

千川上水は1696年(元禄9年)に徳川綱吉により開削が命じられた。

小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)、上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)および六義園(綱吉の寵臣・柳沢吉保の下屋敷)内の池への引水が目的であった。

千川の名は分水口のある境橋が仙川村(現在の東京都調布市東端から三鷹市南部にかけての一帯)のすぐ近くで、この仙川村を通した上水だったことにその名は由来している。

上水路の設計は海運の発展に多大な寄与があった豪商の河村瑞賢、多摩郡仙川村の太兵衛・徳兵衛が開削にあたった。

『御府内上水在絶略記』には、太兵衛・徳兵衛の開削の功により、仙の字を吉字に改めて千川とし、両人にこれを名字として賜った旨の記述がある。と。

なるほど千川と仙川は同根だったんだ・・・

仙川通りは桜並木の綺麗な道路で、少しいやされますが、体調不良の身にはいささか長過ぎてつらいものがありました。

朝日カルチャーセンターの古文書の先生が勤務されておられる、武蔵大学があり、向かいに武蔵野稲荷神社があります。「武蔵の学生、通り抜け禁止」の標札がちと面白い。

書き置きの御朱印をいただき、由緒書きをお願いしますが、用意していないとのことでした。

武蔵野稲荷神社

ベンディングマシンで水分補給を図っていましたが、御朱印で100円玉が切れてしまいます。

ICカードが使えるマシンがないかと捜しつつ歩いていると、セブンイレブンがあり、ここなら小銭いらずで買えるなと、入ろうとした途端に凍り付きます。

以前、赤坂を歩いていた時に、髷を結い、和服にちゃんちゃんこ着たおじさんが前を歩いていて、思わず写真を撮っていました。

武蔵野稲荷神社

さすが赤坂、色んな人が歩いているもんだというところで、感激したものでした。

ところがその後、どこでかは忘れたのですが、同じ恰好のおじさんをお見かけして、顔もどうもあの人だと・・・

おれが東京へ出る回数を考えると、このおじさんとお会いする確率というのは天文学的な確率なのではないかと不気味でした。

そ、そ、そのおっちゃんがセブンイレブンの窓際に設置されたカウンターのところで冷たい物飲んでいる・・・・熱中症でおかしくなったのかと、鳥肌立ちして恐ろしさに震えます。

おっちゃんがジュース飲みながら見ているものに、見覚えがある・・・なんと今朝配られて、自分も手にしている「まちさんぽ」のマップでした。

どうやら、赤坂固有の人と思ったのが間違いで、自分と同好の士で、同じ様なウォーキングに参加していて、コスチュームがばりばり人目を引く、ということのようでした。

江古田駅

あんな恰好したおじさんだから、あ、前にも見たと、認識できるのであって、俺みたいに平凡な服装した若い人からジジババまで、東京メトロのイベントの常連は数多くいて、そのうちの何割かの人とは顔を合わせているのだろう。

今、隣を歩いて居る人は実は前回、後ろや前を歩いていた人かもしれない。色んな可能性があるけど、そんなことつゆとも思わなかったな、と一人で興奮してしまいました。

千川駅でゴール。いつもなら遅めのランチをビールで流しこむのですが、腹がガボガボでとてもそんな気になれず、東京駅に直行、グランスタ「知床寿司」で「穴子とあさりちらし」を購入。

ちと贅沢して直通快速のグリーンで美味しくいただきました。「深川めし弁当」より穴子が楽しめる感じがしました。でも酢飯より白米の方が・・・と寿司屋さんにワガママな要望を。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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