平城宮跡

平城京遷都1300年祭の会場の平城宮跡には大和西大寺前からシャトルバスで会場に向かいます。

大極殿
大極殿

大和西大寺前で遅い昼食をと思いましたが、シャトルバスの乗り口の付近は駅裏っていう感じで店らしきものが見当たりません。

会場に行けば何かあるだろうと、シャトルバスに乗ります。

会場のバスターミナル周辺はフードコートとお土産物屋が集まっていました。

混雑したフードコートでようやく空いた席を見つけて昼食を摂り、いざっと思いますが、会場は日陰のないだだっ広い場所と言う雰囲気・・・

もう3時を過ぎましたが、陽射しは強く、無帽ではやばそうです・・・

バスターミナル
バスターミナル

バスターミナルの周囲にあるショップで「せんとくん」のプリントが可愛い記念のハットを購入して被ります。

「せんとくん」、着ぐるみは目付きがちょっときもい感じがするのですが、プリントされた「せんとくん」はシルエットで、とても可愛い。

歩き始めようとすると平城京歴史館の呼び込みがあります。普段は入場に1時間、2時間待ちなのに今ならすぐ入れますとのこと。

遣唐使船
遣唐使船

向かうと遣唐使船の復元模型が目立つ歴史館があります。

アニメで平城京の生活、文化交流等の紹介がありました。まあ判りやすくて参考になります。

興味の持ち方は人それぞれだからどうかな?とあたりを見回すと皆結構懸命に見ています。

朱雀門
朱雀門

目玉は平城京のVR・・・(VRって何?)流行りの3Dではないけど、平城京の構成を大画面で説明してくれます。

この上映がネックとなり行列ができる人気になっているようでした。

まあ、面白いと思いますが、抑揚が少ない感じです。お疲れの身には眠気が勝って、少々画面が飛びました。

朱雀門
朱雀門

歴史館終了後、朱雀門から歩き始めます。ライトアップがあるそうで準備が始まっています。

朱雀門は1998年に復元、大極殿が2010年に復元されたそうです。

朱雀門と同時に東院庭園というのが復元されているそうですが、今回は時間的に行けませんでした。

朱雀門
朱雀門

朱雀門から北に進むと、近鉄の踏切で止められます。西大寺から奈良に向かう近鉄が平城宮を分断するように横断しています。

平城京の発掘復元はまだまだ長期にわたり計画されていくのだと思いますが、近鉄がちょっとうっとうしい感じ。

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朱雀門

踏切で電車が通るのを待ちながら、「世界遺産に電車が走ってていいのかしら?」って、つぶやいてしまいます。

目の前に居た踏切の警護員さん、ニヤニヤしながら「世界遺産になる前から近鉄さんは通っていましたので・・・」と。

平城宮跡を横切る近鉄
平城宮跡を横切る近鉄

大極殿は17時に閉門とのこと、もう時間がないので少し急ぎます。途中、礎石の跡が示されていて、大がかりな発掘が継続されている様子が、判ります。

奈良の発掘は江戸時代から既に始まっていたのだそうです。

地道な作業が延々と進められていて、さらに徐々に施設が復元されていきつつあり、今後、平城宮の姿が現れて行くのを想像するとわくわくします。

シャトルバス
シャトルバス<乗ろうとしたら速度が遅いから閉門に間に合わないよと・・・>

これらに加え、薬師寺の西塔等白鳳伽藍の復元、東塔、唐招提寺の金堂の大修理等息の長い作業が継続されています。

さらに飛鳥、藤原京等の平城京以前の発掘も続けられており、奈良は面白そうです。

と言っても、自分にとっては、この1300年祭がないといつも京都止まりで、なかなか奈良に行くきっかけが掴めませんでしたので、「せんとくん」に感謝です。

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平城宮模型<Wikipedia>

遷都の歴史は694年に天武天皇、持統天皇により飛鳥から藤原京への遷都。

持統、文武天皇を経て元明天皇の710年に奈良北部、平城京に遷都されることで始まります。

日本は天皇を中心とした律令制を骨格とした国家体裁を整えて行く過程にあり、平城京は藤原京に次ぐ律令国家の宮都として構築されました。

唐の長安をモデルとしたと言われますが、平城宮を北端に配置しているのは魏の洛陽を模しているということなのだそうです。

平城京の中央に朱雀大路が南北に走り、南端に羅城門、北端に平城宮が位置し、平城宮の入り口が朱雀門になります。

天皇が変わると宮を替えるということは従前から行われていましたが、藤原京および平城京への遷都から目まぐるしく、都そのものの移動が行われるようになります。

これらの遷都には天皇の系譜を巡る権力争が色濃く影響しているようです。

藤原京から平城京への遷都に関しては、汚水による都市環境の悪化により遷都を余儀なくされたという見方もあるのだそうです。

しかしながら、持統天皇の治世から天皇家に仕え、絶大な権力を握り、さらには娘の宮子を文武天皇に嫁がせていた藤原不比等の野望により行われたと見る方が妥当えだろうとのことです。(歴史学者千田稔氏:雑誌「一個人」)

大極殿
大極殿

孫の首皇子(聖武天皇)を即位させるにあたり、自分の意思が反映した都で迎えたい、ということで強引に遷都を画策して遷都を果たしたのですが、結局、不比等は聖武天皇の即位(724年)を見ることなく720年に逝去してしまいます。

その後、当の聖武天皇の迷走があり、都も彷徨いますが、後の桓武天皇の代の784年に長岡京に遷都されることにより奈良時代の終幕を迎えることになります。

大極殿
大極殿

余談ですが、梅原猛の本によると、桓武天皇は、比叡山に天台宗を開いた最澄に師事し、その挙句、比叡山の近くの京都へ遷都し、平安京が出来たということで、平安京は比叡山ありきだったということらしい。

大極殿の中は展示場になっていて、平城京発掘の状況、大極殿復元の様子等の説明があります。

高御座は、天皇が公務されるときの御座なのですが、当時のものの資料はないため、大正天皇の高御座を模して再現された物だそうです。

高御座
高御座

18時半からのライトアップを見たい気持ちがありますが、明日に検査を控える身で、余り遅い時間に帰宅するのもまずいのかなと諦めて帰路につきます。

途中、京都に近くなると大雨になり、諦めて正解だったのかなと・・・

翌日の病院ではまず、内科の検査。

最近では一番結果が悪く、温厚な女医先生が怒ります。

平城宮
平城宮

「肝機能と悪玉コレステロールがこんなに悪くなっている。お酒ばっかり飲んでたんでしょう。もう酒止めなさい!卵は禁止!ドレッシングはノンオイル限定!・・・」立て続けに言われます。

言い過ぎたと思ったのか、最後には「まあ、一日ビール一缶くらいね」と軟化しますが・・・いずれにしろ、この夏の暑さに負けて、身体を動かさないわ、毎晩の様に飲むわの生活の付けが来たようです。

内科の後に胆石の手術の相談に、奥さんを伴って外科に向かいます。「胆石の手術の話の前に、肝機能を改善して、色々な危険性を排除したうえでもう一度相談しよう」ということに。

ライトアップ準備
ライトアップ準備

余りの結果に奥さんの心配がMAXとなり、奥さんの目から涙がこぼれます。

ということで8月末から人生3度目のダイエットを継続中です・・・1か月でようやく3kg減というところです。こうしてしゃべってしまうと退くことは出来なくなるのでいいのかも・・・

【追記】今朝、テレビ朝日系列で大極殿の再現ドキュメントを放映していました。設計図がないところから出発し、当時の技術を採用しつつ、9年の歳月をかけて復元していった様子が描かれており、面白い番組でした。天井に蓮の花が全て手書きで描かれているのだそうです。花が描かれていることさえ気が付きませんでした・・・

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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