奈良公園 二月堂

11月29日は奈良の最終日、頭に描いたキーワードは、春日大社、二月堂、三月堂、新薬師寺を巡って、最後に興福寺の国宝館の阿修羅像で絞めようと、いうところです。

奈良公園の地図で今日のコースを確認。

転害門、正倉院から歩き始めて、白毫寺まで歩いて興福寺に向かおうと。

今日一日を効率的に廻るためには、あまり好む方法ではないけれど、ホテルから転害門までタクシーを頼みます。

転害門でタクシーを降りますが、少し手前にあった、聖武天皇佐保山南稜まで戻り、お参りして、転害門に戻りました。

大仏池

転害門を抜けて鹿の写真を撮りながら、お散歩の家族連れのお父さんに正倉院の行き方を確認。

今日は開いていなかった様な気がする、開門は不定期な感じですね。もう少し行くと、守衛さんの事務所があって人は居たようだから確認してください、と。

正倉院外構公開は月曜日から金曜日の平日だけなのだそうです。

今日は日曜日・・・ゲートの外から写真でもと思いましたが、林が邪魔して、正倉院を仰ぐことは出来ませんでした。

諦めて、大仏殿の裏を通って、2月堂に向かいます。

大仏殿裏

東大寺公式サイトの二月堂縁起の記事をお借りします。

「実忠和尚、二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定しに、若狭国に遠敷(おにう)明神と云う神います。

遠敷河を領して魚を取りて遅参す。

神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜、にはかに岩の中より飛出て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出たり。

石をたたみて閼伽井とす。」

とあり、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えています。

二月堂のショップで、「若狭井はどこにありますか?」と訊きますが、通じず、お水取りの井戸と言い換えて、教えていただきます。

2月堂のスケールは迫力があります。高さは清水の舞台の方が高いようですが、スケールの大きさは同じ様なものはないでしょうか?

「お水送り」で神宮寺で見る大松明との規模は比較するのに無理がありますが、この大きな上を大きな松明が走り回るのは壮観でしょう。

二月堂

今年の3月12日は土曜日か・・・近江八幡の左義長と重なるけど・・・土曜日奈良で、日曜に近江八幡ではつらそう・・・

「お水送り」の3月2日は週の真ん中の水曜日だけど、最後かもしれないし、どうしようか・・・などと迷います。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA