大雄山最乗寺

8月14日、15日を箱根で家族と過ごしました。

と言っても、上の娘と、下の娘の旦那さんは仕事で来れなかったため、奥さんと下の娘と猫2匹と一緒です。

奥の院の天狗
奥の院の天狗

14日の土曜日、電車で敦賀を発ち、10時半、小田原着。既に箱根にいる家族にピックアップしてもらいます。

大雄山線と言う電車の終点、大雄山というところに行ってみよう・・・お寺があるはずだと。

まあ一家そろってB型人間で、綿密な事前調査は得意な方ではない人達の集団ですから・・・

道了尊.
道了尊

大雄山駅にたどりついて、売店の人に観光スポットを訊くと「お寺しかないけど・・・」って、そのお寺の場所を聞きます。

お寺の名前は大雄山最乗寺(大雄山最乗寺)、駅前のバスの行き先に「道了尊」とありましたが、そこが訪ねるお寺でした。

以下は最乗寺のホームページの縁起の説明です。
大雄山最乗寺は1394年、了庵慧明禅師の開基による曹洞宗のお寺。

了庵禅師は相模の地頭の立場にありながら戦国乱世にむなしさを覚え、出家し、能登総持寺等各地で修業をし、相模に戻り最乗寺を開設。

最乗寺開基にあたり、三井寺円城寺に居られた、行者、相模房道了尊者が(天狗となって?)空を飛んで了庵禅師の基に駆けつけ、土木作業受け持ち、一年で完成した。

了庵禅師没後、道了尊者は山中に籠り大雄山を護り、人々を救済するとしてお姿を消し、十一面観音菩薩の化身として信仰を集めている・・・とのことです。

この縁起では了庵禅師と道了尊者の関係がちょっと判り難いけど、お寺の中に天狗様があちらこちらに居られるのは道了尊が飛ばれたときのお姿から来ている様です。

仁王門からの参道は車で登ってしまいましたので歩きませんでしたが雰囲気のある杉並木となっている様です。

寺域全体が杉の木立に囲まれて、昼なお暗き、苔むす感じです。

瑠璃門をくぐるって総合受付でリーフレットをもらいます。

なにやら大勢の人が集まっている様子・・・仏像彫刻の教室でした。月に2回の教室らしいので、たまたま遭遇したことになります。

どういう動機で生徒達が集まっているのかはわかりませんが、宗教的なというより、彫刻を趣味にしている言う意味合いの人もいるのかもしれません。

不器用な自分は手を出す気にはなりませんが、拝み、崇める対象として考えていた仏像を自分で造るという世界があるのか・・・と、ちょっと驚きでした。

皆、先生のアドバイスを受けながら、一心に楽しそうに彫っています。

境内の建物は比較的新しく再建されたものが多く、本堂(護国堂)も昭和の代の建物ということです。

塔を拝観し、結界門を過ぎると道了尊者をご本尊とした御真殿(妙覚宝殿)があります。

ご本尊は奥の方に居られて拝むことはできない様です。十一面観音ということなのでしょうか?僧侶が熱心に読経している姿がありました。

天狗にちなんだ高下駄を見ながら結構きつい階段を上って奥の院までたどり着きます。

境内の建物の新しさと異なり、仁王門から奥の院へ続く、鬱蒼とした森の中を進む階段は歴史を感じさせる重厚な雰囲気があり、嬉しくなってきます。

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時々挨拶を交わしていた、兄弟。おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて、頑張って奥の院まで歩き通したみたいで、ご飯をしてました。

奥の院の裏からは急な階段を通らず、ゆっくりとした坂を下って、駐車場まで降りて行きました。

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奥の院

昼食には遅い時間になりましたが、往路に見ていた「とろけるタンシチュー」の看板に惹かれて「魯風人」

魯風人
魯風人

に寄ります。

「ろさんじん」ならぬ「ろふうじん?」と思ったら「ろふと」と読ませるようです。面白い・・・

タンシチューを堪能するとおしゃれなデザートがお重に入って出てきました。

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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