史跡

敦賀に赴任する前に、ときおり短期出張で往復している時期がありました。そのころ電車のなかで「国盗り物語」を読み始め、滋賀から福井にかけての地名が随分出てくるので面白いなと思っていました。

敦賀に住み始めてから「徘徊」が始まりましたが、徘徊先の中でもより惹かれる場所というのもできてきました。

「国盗り物語」にも出てくる一乗谷の朝倉邸跡がその中の一つです。と言っても史的価値観とは無縁で、自分が落ち着けるところ、なにか思い入れがある場所と言う感じです。

朝倉邸跡

朝倉邸は一乗谷の中にありますが、山に囲まれた、たたずまいに浸っていると、なぜか懐かしい感じがして、ゆっくりした気分になれます。

再現された町並みを見学していてお聞きしたのですが、長期にわたり連綿と発掘が続けられているようでした。

その悠々たる作業で徐々に全貌が見えてくるその悠然さも、惹かれた点かもしれません。山中にある城址には未だ行っていないのでそのうちにと考えています。

朝倉義景は決戦の機を逃し、一乗谷に敗走しますが、こんないいところに落ち着いていたら都に行かなくてもいいやという気持になるような気もします。

自分の福井徘徊は、お気に入りの場所の一つである大野から始まりました。

小京都といわれる整備された町並みをのんびり歩いていると朝倉義景公の墓があり、その最期をよく理解していなかったため、何故にここにと不思議な気がした記憶があります。

後でお墓が大野にある理由を知りました。

大野城

吉崎御坊は「国盗り」にでてきたのか明確に覚えていませんが、一向一揆で戦国大名を苦しめた真宗が福井、石川に広がる起点になった地と言えると思います。

東と西の本願寺の別院があり、周囲に昔は門前町だった、という雰囲気があって、一時期の隆盛を想起できそうです。

高台にある御坊跡がお気に入りの地になります。

階段を登ると高村光雲の蓮如像が目立つ公園になっています。歩いていると蓮如さんが座って北潟湖を眺めていたと言われる石がポツンとあります。

蓮如さんのお人柄を知る由もありませんが、孤独な気持ちで京を思い出しつつ眺めていたのだろうと勝手に想像をしていました。

北潟湖の穏やかな水面を見ていると落ち着いた気持ちになれます。

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後になり、蓮如さんはかなり政治的な人で一向一揆も、お弟子さんが起こして苦しんだと言われるが、実はご自身で主導されていたという説もあるという話を読みました。

ちょっとイメージが変わりましたが、吉崎御坊のお気に入りランキングには変動がありません。

今回文章を書いて写真を探したところ吉崎御坊の部分が欠落していました。吉崎別院のホームページでお写真を借りました。

他にも福井市内を歩いた時の写真が紛失していて落ち込んでいます。

以上の2箇所は名前どおりの「史跡」で、建物はなく、基礎しかないのに、好みの場所に入るのは不思議な気がしますが、逆に何もないことが想像力を掻きたてて、思いを馳せることになるのかもしれません。

また歴史と言うより、人間の歩いた人間臭い跡という気持ちが募るのかもしれません。

建物がなく跡しかないというと他に手筒山城址、国吉城址、小浜城址などに行きました。

話は飛ぶのですが国吉城址でお会いした「山城」フリークのお方に、兵庫の竹田城が最高と言うお話しを聞きました。

ネットで確認したところ、雲海の上に浮かぶ竹田城はまさに日本のマチュピチュで、徘徊の足をのばすところが増えてしまいました。

和田山町のホームページにお写真を借りました。 (和田山町) 

くまじい
阿佐ヶ谷生まれの73歳

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